バンド経験者が紡ぐバンド経験者へのエール
汚れなきSEASON
曲調にばかり注目してこの12年、干支が一回りする期間、聴き続けてしまったが、歌詞が切ない。。。
この楽曲が『GLAY』に収録されている意味が今日、一番よく理解できた日だと思う。それくらいこの楽曲が放つメッセージは強い。楽曲の中に出てくる地名に浮かれている場合ではない。
バンドで音楽を志したことがある人にとっては、この歌詞に共感できるポイントは多いのではないかと思う。自身はイメージで世界でしかないが、事実だからこそ、自分の身に起こった出来事だからこそ、そこに含まれている歌詞は一層リアルに聞こえる。単語そのものは決して難しいものはなく、そして、小難しい言い回しとかもない。だからこそリアルで、第三者視点で見ても心が苦しくなる。当事者にはどう聞こえるのか。
10年の時間を主語にして、自分たちはその時間によってどう変えらたのか?という表現をしている。そう、自分の力で10年をコントロールしていたわけではなく、無常にも時間が過ぎていってしまった様子があまりにもありありと表現されている点がまた辛い。自分たちがどうもできなかったわけではなく、時間によって10年もの「トキ」を費やしてしまったという皮肉。時間が過ぎなければ、まだなんとか踏ん張れたであろうという責任転嫁。こういう表現がいっそう、楽曲が持つ全体の哀愁を形作っていく。
こんなにも気持ちいいサウンドに乗せている歌詞が、あまりにも重い。
だからこそ、現実を突きつけられた人が、ライブの中でもそこまで目立たぬよう、周りが気づかずに乗ってられいるような曲調にしたのではないかと邪推をしてしまう。
それくらい、曲調と歌詞のストーリーがチグハグなように感じる。
そして、これでもかとDメロで
この歌詞。待って!と歌っているのに。何度も歌っているのに。結局、待ってほしいその背中はどんどんと小さくなっていくはずだ。
鮮やかな痛みを追い越せないという状況こそが、何よりもつらい。
自分にとっての痛みや辛さは、もう何度も経験しているからこそ、その痛みを感じない方法や、痛みから逃れる手法もちゃんとわかっているよという主張。強がり。このあけすけな心は、やっぱり激しいロックナンバーがちゃんとライブの場で昇華させてくれる。だから、ライブの時は、もう身を委ねるだけだ。
メンバーがやけに気持ちこもっているなというのは、この映像を見たら十分わかると思う。バンドを継続させている人だからこそ、何度かこの世界で辛酸を舐めたことがあるからこその説得力。
とくとご覧あれ!
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