「春を愛する人」から想像するものは?

春を愛する人

この楽曲は、まず『BELOVED』というアルバムに収録され、1996年に世に放たれた。その後、「口唇」というシングルのC/Wとして、再度世の中に理リリースされた。「口唇」は、100万枚に近い売上があるため、もしかしたらシングルで知った人の方が多いのだろうか。
そう、この楽曲はシングル曲ではないのに、知名度のある楽曲だ。自身が学生の頃には、春を愛する人をカラオケで歌うと、両思いになれるという、怪伝説まで流れ、なぜか女子がこぞってこの歌を歌っていたように記憶している。
何がきっかけでこれほどまで世間の目がシングル以外の楽曲に向けられたのか、その理由はわからないが、1990年代の音楽は、何かがバグっていたようすら感じる。

「春を愛する人」という言葉から想像されるものの代表格は、「四季の歌」だろうし、もしかしたらGLAYのこの楽曲を最初からイメージする人も増えたかもしれない。先に「四季の歌」から入った人は、「春を愛する人」という言葉から条件反射的に、マイナー調のゆったりした楽曲をイメージするだろうが、「春を愛する人」は良い意味で、そんなイメージを払拭させてくれる。「これぞ、GLAY楽曲」と思われるメロディラインと優しい歌詞。
「春を愛する人」は、春の歌ではなく、四季の歌。四季折々の感情や景色を的確な言葉で表すTAKUROには、脱帽しかない。
イントロというか、少しずつ音階が上がる先に入ってくるTERUの♪Sunshine〜のインパクト。うつらうつらしていたのに、グッと目が覚めるような感覚になる。このイントロからサビに入って行く流れとかは、なぜか五稜郭からの景色が思い出される。先日函館に行った際に何度もふと感じたのは、やっぱりこの街がGLAYの楽曲を支えているのだということ。
春を愛する人は、桜の時期に五稜郭の周囲がピンクに染まる映像がとても似合う。こうやって、音楽はどんどんと映像になっていくのだと教えてくれる楽曲だ。

楽曲はライブで一層息を吹き込まれ、作られた時から少しずつ形を変えて行くことがある。この「春を愛する人」の2回目のBメロ(?)の半ばで、ドラムが変則的なリズムを打つところがあるのだが、そこはライブで春を愛する人を聴ける時に、いつも息を飲んでしまう。呼吸が止まる。それくらい、構えて聴きたいところ。音源だけでは決して味わえない感情、そして演奏の熱。GLAYのメンバーに鍵盤はいないけれど、この楽曲はピアノがいい役割をしている。決して主役を食うわけではないけれど、ピアノがなければ味気ない。すっと楽曲を支えながらも、その存在感を知らずにはいられない。
初めて、函館でライブに参加した2013年。なぜか、この楽曲を演奏してる最中に涙が止まらなくて、嗚咽した。そう、静かに、激しく感情に訴えかけててくる。

ただ訪れる春の花の目の息吹に似た

Ah  終わらない夏を今も胸にしまってる

Ah  切なくて秋の 散りゆく街路樹を背に

Ah  やがて来る冬の 肌を刺す 風の中で

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

日本語で綴る四季の美しさよ。


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