歌詞はないが、そこに楽曲は存在する

HIGH COMMUNICATIONS 


今じゃ普通に「ハイコミ」なんて使っているが、この楽曲がリリースされる前20年ほど前までは存在しなかった(厳密にはどこかにあったかもしれないが、自身は知り得ない)言葉だから不思議だ。
テンション高く交流しましょうねという意味だと認識をしているが、当時のロックバンドがあまり頻繁に楽曲のタイトルに使うような単語ではなかったように思う。
※GLAYは2001年にも「GLOBAL COMMUNICAITON」というシングルをリリースしている。2001年は単数形、2004年は複数形であるところも気になるところ。

そして、こともあろうか、この楽曲にはフリ(?)がある。記憶が定かならば、最初からあったわけではなく、例のごとく、何処かのタイミングでTERUがふと始めた動きが定着したものだったような。これも今は当たり前のようにライブの中の光景に溶け込んでいるので、いつからか覚えていない。ただ、TERUのふとした動きは、後々定着しがちであるということだ。そして、よく起こりうる。

リリース当初(もしかしたら今も公式にはそうなのかもしれないが。。。)は、この楽曲の歌詞が公開されていなかった。歌詞カードには「HIGH COMMUNICATIONS!」というフレーズが2回記載されているだけ。
明らかにいろんな単語を並べているのは聴いていても明白なのに、歌詞が表に公開されていない。いまだに自身は理由を知らない(知っている人がいたら教えていただきたいです)。

ただ、今回のツアーでは、アンコールラスト曲として、思い切り暴れてはしゃいで、踊って、ある意味で「ハイ」な状態にしてくれた。特にファイナルの時は、ツアーも、そして最前での貴重な時間ももうこの1曲で終わりなんだという感慨深さがあり、フリの準備を万全にしながらも、しんみりしてしまっていた。…が始まってしまったら、そんな気持ちはすぐに「ここではない、どこかへ」と。この楽曲こそ、ライブで体感しないことには、楽曲としての完成形は見えないのではないかと思う。ライブそのものに足を運べずとも、是非ともライブ映像を観ていただきたい。ライブの演出も、楽曲を構成する大事な要素であることが、理解できるケースのような楽曲だ。

前述の通り、リリース時には清新な歌詞が公開されていないため、耳で聴いた音を、自身の中の歌詞カードに転記するようなイメージ。ただ、耳で聴いている時と、文字になったものを見る時と、全くイメージが異なる。なんか、そのあたりにも歌詞が公開されていない理由が隠されているのか。

いずれにせよ、とにかくライブ演出がかっこいい。ハイコミは歌詞もベースにある歌詞の繰り返しなので、頭で覚えるよりも体で覚えて行く感じ。中毒性があるのか、それともそもそも私らのDNAに最初から刻まれているようなものなのか。
もはやこれだけファンをしていても、よくわからないことはまだあるが、それでも、我々は「ハイコミ」をするべく、日常を越えていく。その先には、自身が吐き出したエネルギーたちもしっかり光合成によってたっぷりの酸素に変えてくれる頼もしい存在がいる。
だから、迷わずに歩いていこう。

https://www.youtube.com/watch?v=LiL65HrYhV4


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