決まったゴールに向かって走るのか、まだ見ぬゴールを設定して走るのか

ロングラン

これまた、最近のお気に入り『SUMMERDELICS』の中の1曲。個性が爆発したアルバムの中でのGLAYの王道楽曲は、アルバムの中における安心材料。ちゃんと王道もいけるから、他はたまには遊んでおきなよという提案をさらっとしてくれるような存在。何度か書いているが、王道だからといって、昔取った杵柄にいつまでもあぐらをかくような人ではありません。初めて聴いた時も「キタキタ〜」とちょっと肩の力を抜いて聴いていたら、Bメロよ。
Bメロに新規性をぶつけてくるとは。こんなにも言葉がメロディの中に詰め込まれた曲って他にないのではないか?というくらいの凝縮っぷり。伝えたいことが溢れて溢れて、なんとかこの間に言わないと、ちゃんと全部を伝えきれないというような焦燥感を掻き立てられるような、そんなBメロ。だからこそ、そのあとのサビの安心感がまた心地よい。Bメロもなんか忙しない心の動きに連動しているように感じるが、その中に自分であるための理由を探すような前向きさがあるからこそ、ちゃんとサビに「バトン」が渡せる。

GLAYの活動こそが「ロングラン」の象徴のようなものだが、ランニングとかマラソンというのは、ゴールに向かって走るけれど、バンド活動は目標を達成しても、その後にまた新たな目標を掲げて走っていくようなものなので、ペース配分とか、どこで給水したり、休憩をとったら良いのかというプランが立てにくいだろう。また、レコーティングをするとなったら、それこそ、音作りのバトンを渡していかなければならないだろうし。自分ひとりで決められることがないからこそ、同じ方向を見ていないと進めることができない。そんな状態で、バンドを結成して35年も経ったバンドの状態が今のGLAYってわけで。先が見えないロングランをどうしてここまでこられたのか、必然でありながらの奇跡だと思う。そんなバンドだからこそ、

アドレナリンよ ケチらずにさぁ もっと出してこうぜ

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

なんてことをさらっと書いて、歌い上げることができるのだと思います。

長い道のりを進めるコツは、心おきなく話せる仲間がいて、そして切磋琢磨しあえる関係性であること。過剰なストレッチを目指すのではなく、現状維持のちょっとだけ上をみんなと見上げて進んでいくこと。バトンを渡すときは、スピードを落とさずに相手を信じて走り続けることが大切。
バトンをわたすのだって一苦労なんだから。ゴールを常々あっちにこっちに散りばめておいて、時にはファンの手を握って一緒に走ってくれる。なんかそんな優しいGLAYを妄想して、顔がにやけてしまう。

2017年アルバムのときはできなかったので、今回のライブ前に一人カラオケで歌ってみようかなw

#GLAY #Bメロが尖っている #ロングラン #長距離ランナー #バトンのつなぎ方


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