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成仏のために祈るという概念ないんだ

地元のテレビ5月4週放送分を見る。田植えシーズンに関するニュースが目立った。24日は小学校の児童米づくり体験、25日は農業高校1年生の田植え実習、27日は一般市民の田植え会だ。

共通しているのは機械を使わず、手で苗を植える昔からのやり方。秋の収穫祭が楽しみといったところか。子どものころ田植えや稲刈りを手伝ったが、仕事がきつくて嫌な思い出しかない。

5年前の5月20日、弟の樹木葬を行った。墓石の代わりに栃ノ木を植えた。埋骨する際、住職さんの手配を断った。そんなことをしたらクリスチャンの弟がビックリする。ただ土に返した。

弟は家を出て47年経っていた。両親と兄が相次いで亡くなっている。そのことを伝えると「僕には成仏のために祈るという概念がないんだよ」と言われた。仏式葬儀や法要に無関心だった。

私も無宗教だが、いつの間にか開眼供養の心配をしている。お経をあげてもらうと、ただの石がお墓になると言われても…。この5年、弟の栃ノ木は栃ノ木のまま。何かやるべきなのか?

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