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兄の専用車、オート三輪車から四輪へ

1957年にオート三輪車を購入も、数カ月は宝の持ち腐れだった。兄が運転免許試験に3回ほど落ちていた。叔父が「どうしていつも落ちるのかねえ」と不思議がっていたのを覚えている。

自動車学校も免許試験会場も隣町にあった。バス代、汽車代もバカにできない。兄は肩身が狭かったのか、夜遅くまで勉強していた。ようやく手に入れた運転免許証は宝ものになっていた。

東京五輪が開催された1964年に、オート三輪車から四輪トラックへ乗り換えている。この間、小学生~高校生も、乗せてもらったのは数えるだけ。まさに兄の大事な玩具、いや専用車だった。

孫が6日方、新潟での2週間の合宿免許から戻る。お土産を持って来たとき「どうだった」と聞いたら「今のところ順調です」と言った。残るは試験だが、3回も落ちることはないだろう。

※娘から連絡あり。「きょう(7日)幕張に行き免許取ったよ」。

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