【1人〇〇】を検証したら人生は楽しいと結論づけられた話
1人映画、1人カラオケ、1人焼肉、1人旅…。
【1人〇〇】について聞くと「無理。1人は楽しさ半減」派と「余裕。1人は気楽」派に分かれて興味深い。理由も三者三様だ。
ちなみに私は“1人〇〇”の時間が苦ではない。むしろ大好きだ。しかし、理由がしょーもない。一般的な、輝く“1人〇〇”と同等に扱うのは実に申し訳ない気がする。
なぜなら、私の“1人〇〇”へのモチベーションは「自分の嗜好を身近な人に晒さずに済む」という、ただこの1点に集約されるからである。
分かりにくいので説明しよう。
私はクセのある物が昔から好きだ。
3歳にしてイカの塩辛をアイスクリームを食べるがごとく欲していたし(良い子は真似しないで)、牛・豚ホルモン、焼き鳥はハツ(心臓)を好み、吐く息が臭くなろうがニンニク串は欠かせない。白子は、それが精巣部分であろうと、旨いもんは旨いのでペロリ。
キラキラ輝く素敵女子がインスタにアップしそうな物と真逆な食べ物が私は大好きなのだ。それらをできれば抱えて食べたい。健康的なサラダや映えスイーツなどいらない。
が、しかし、その欲望むき出しの姿を、職場や友達との食事会で見せられるだろうか……。そこまでの強心臓を、あいにく私は持ち合わせていない。そこでピッタリなのが“1人〇〇”という場なのである。
飲食店に限らず、他の“1人〇〇”も同様。決してキャピキャピと可愛くはない自分の嗜好を身近な人に晒さずに済む。実に大きなメリットだ。
で、大学生の時の話である。
私は、かねてより興味のあった場所へ1人、旅に出ることにした。場所は京都。苔寺(西芳寺)である。1人旅に最適な場所だと思った。
「苔、見に行かない?」そう友達を誘う勇気が私には無かった。苔に興味のない友人を東海地方の田舎町から京都まで付きあわせるのも申し訳ない。私と同じように苔大好きな友達も見当たらなかった。
ずっと行きたいと願っていた場所だ。
「キレイだね。緑だね」無言を避けるためだけの会話に気を遣うのなら、1人で心静かに苔を愛でたかった。
なかなか同年代に理解してもらえなさそうな自分の嗜好。それを身近な人に晒さずに済む、私が考える【1人〇〇】の目的に合致していた。
ちょうどその頃。
私は失恋したばかりだった。
ハッとした。
センチメンタルジャーニー!!
京都で一人旅!しかも失恋旅行!!
今までの私にはない、キラキラした【1人◯◯】の側面に気づく。心は躍った。
今すぐこの足で、センチメンタルにジャーニーしたい。
しかし、問題があった。当時、西芳寺の特別拝観は、事前に往復ハガキでの申し込みが必要だったのである。早まる気持ちを必死に抑える。「まずは郵便局で往復はがきを買うところからか」
熱量が少し下がった気がした。
ところがだ。
家に帰ると、新聞の折り込みチラシに私の求めていた物があったのである。
京都を巡る日帰りバスツアー。旅程に西芳寺が含まれているではないか。しかも梅雨どき。苔が艶やかなピッタリの季節。なんという巡り合わせ。
苔が私を呼んでいる
そうとしか考えられない。
旅程には苔寺近くの“鈴虫寺”も含まれており、当時未練タラタラだった私は「ついでに復縁も願ってこよう」と決心した。発想が怖すぎる。
集団バスツアーなので、1人旅とは少し違う気もしたが(1人で行動するなら1人旅と一緒。)そう考えて、翌日には申し込んだ。
***
京都への道中、バスから景色を眺め「来てよかったな」と思う。空はどんよりして、小雨が降っている。これ以上にない感傷日和だ。
ツアーの参加者のほとんどは仕事をリタイアした年代の方たち。女性グループが2組とご夫婦が1組、そして私という集団だった。
一番後ろの席から、参加者を見つめる。話し声が聞こえてきて、声のトーンから、これから行く地へのワクワク感が伝わってきた。友人やパートナーと感情を共有している。
え?私ですか?センチメンタルジャーニーですよ。ふふふと鼻を鳴らして、ちょっとニヤけた。
苔寺は最高だった。
庭園の緑に、したたる雨粒。
まるで、苔が周りの音を吸収しているように静かだ。木々の息遣いが聞こえそう。カメラを持って行ったのに、写真を撮るのも忘れて見惚れていた。寄りと引きで、苔たちが違う表情を次々に見せてくれる。息を呑んだ。
ただただ美しい。
来て良かった。
***
午前が終わり想像以上の満足感に、私の心は満たされた。
「お弁当をお配りしますね」ツアーガイドさんが順番に机を回ってくる。その様子を見ながら、午後の鈴虫寺に思いを馳せた。京の、おばんざい弁当を頂きながら『感傷旅行【後編】』へとギアを入れようとする。
その時だ。
「お姉ちゃん、1人じゃ寂しいからこっちおいで」女性グループの1人が私を呼んだ。声のほうを振り返ると、周りの方も頷きながら手招きをしている。
予感はあった。バスの休憩中も苔寺でも、チラチラと視線を感じていたのだ。その時から既に私を輪に入れてくれようとしていたのだろう。気を遣わせてしまうほど、私はこの集団で浮いた存在だったらしい。
一瞬迷う。
と、ほとんど同時にグループ内のスペースに私のイスがセッティングされた。有無を言わさぬ早業。実に見事だ。「お言葉に甘えて」弁当を持って移動する私。
あれこれ根掘り葉ほり聞かれるのだろうと思った。
「なんで1人で来たの?」
「寂しくないの?」
「何歳?珍しいね」
超高速回転で一問一答を想定していく。
しかし、意外なほどに一切何も聞かれなかった。唯一「ごめんね、迷惑じゃなかったかしら?」とだけ。
ご婦人方の話は尽きることなく次から次へと展開していった。
・ヘアアレンジについて
・最近飲んでいるサプリメント
・お墓のこと
・旦那様の法要のこと
・尿漏れの悩み
・嫁姑問題
ディープ。
“なぜ私をここに呼んだのだ”と、若干の困惑が混じる。
ただ、文字にすれば一見、議題はネガティブなのだが、不思議なことに皆さん、ワハハっと終始笑顔だった。時折、笑いすぎて涙をハンカチで拭く人まで。
強し。
ここに居て良いんだろうか、所在なさげに少し縮こまっていると「人生色々あるけど、とーっても楽しいから」唐突に、最初に声をかけてくれた女性が私に言うった。「そうそう」と別の女性。
たしかに本当に楽しそう。
「ハイ、コレ」そう言って、ご婦人が手のひらにパインアメをのせ、私に差し出してくれる。お礼を言って受け取ると、一緒に来た友人にも配り始めた。別の女性はチョコレートを。当然のように私にもくれる。
慌ててカバンをごそごそした私は、銀紙に包まれたキシリトールのガムを1つずつお返しに渡した。「すみません、これしかなくて」そう言うと「ちょうど口をスッキリさせたかったの」と笑顔が返ってきた。
鈴虫寺から始まったツアー後半戦は、予定していたセンチメンタルジャーニーと180度違う、賑やかな旅になった。誰かが話し、つられて笑い、お腹はいっぱいなのに何かしら食べ物を支給される旅。
賑やかな時間はあっという間に過ぎた。
先輩がたに挨拶を告げ、1人帰路につく。なんだか急に寂しい。私はカバンをごそごそと探った。実は私も持っていっていたパインアメの大袋。そこから一つ出して口に入れた。
その袋とは別に、ポーチに入れた1つのパインアメを見つめる。私はそれを、しばらくの間大切にとっておいた。
「人生は楽しい」先輩の言葉と一緒に。
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