Hue's CRYAMYツーマンに行ったヨ
はじめまして。kyuphyです。ライブに行ってきた話と、ライブに行くという行為についての話を、、、寒いわボケ!冬きらい!なんなん、四季に置いて春と秋はまだわかるけど、冬ってなんなん?寒すぎるし誰か得することあるか?顔面乾燥するし、手足なんか痛えし、無理すぎる。雪国出身とか関係ない。冬しね!
初っ端乱れましたが、12月14日の、説明するのだるいからタイトルで察せよ!
ぼざろの聖地、下北沢シェルター。あんなにぎゅうぎゅう詰めのライブハウス自体が久しぶりだった。すごく良かった。演奏がどうとか音楽的にどうとかそういうもんは語ったところであんまり伝わらないだろうし、伝えたくない気もする。
てかさ、本題はそこではなくて、今回はライブに行くという行為について色々と話そうと思って。音源で聴くよりも、ライブハウスで聴く方が2億倍くらい良いし、心から感動するんだけど、ライブハウスで聴く場合、外界というマイナス点が多すぎて音源とトントンくらいの気持ちにさせてしまう。
たとえば、外の鬼のような寒さとか、フロアの痛えファンとか、それこそぎゅうぎゅうを強いられる環境とか。(ライブ終わるまでタバコ吸えないとか)そういう外界のダルさがライブの醍醐味だという奴!そんなことねえ!だるいもんはだるい!無理なもんは無理!そうやろ!
ライブに行くまでの交通費とか計算しながら物販は買えねえなぁ、とかバイトしながら、これもライブのため!とか色々我慢したり努力して足を運ぶライブでは、心の底から楽しみたいんじゃ!それを邪魔しないでくれ!、!人の努力を無駄にするな!!!
なんでこんな攻撃的な文章書いてんだ、?
下北の朝は寒かった。寒くて泣きそうだった。いや、正しく言えば寂しかったんだろうなぁ。終わってしまったら何を頼りに生きればいいの状態になる。次のライブ予定が無いと不安になる。インディーズバンドなんていつ活休しても解散してもおかしくないんだから、見れるうちに見ないといけないって頭ではわかってるのに。寂しい。
涙を流さないようにしなくてはならない。という凝り固まった考えがよくない。泣ける時に泣いとけってんだ!そう思います。
友達とライブに行ったとき、友達の反応を伺いながら演奏を見たりしないといけないのはめんどくさいし、だるい。べつに気にしなければいいじゃんとか普通に無理。気をつかうというのは無意識的に起きてしまうものだからしゃあない。かと言って一人で行くってのもなんだか寂しい気もする。
つまりだな!ライブに対するあーだこーだっていうものは聴き手のエゴでしかないのだ!演者の裏側とか見たくない!とか演者と結婚したい!とか物販高い!とかまじで全部エゴ。そしてそのエゴを全部受け入れてくれるフロアなんてあるわけがない。もはや求めること自体間違ってるということなのだ!
それでもライブに行くのは、肌で感じる音が鋭くも優しく、心臓にぶち刺さり、血液として消化されていく感覚が、本当に気持ちいいからだろ?なあ、そうだろ?お前らは音楽を聴きにきてるんだろ?そうって言ってくれよ。。。
ありがとう下北沢。
次回は音楽における誤謬性について!お楽しみに!
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