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生きてます。kyuphyです。

 中学生の時、生きている意味とかそんなバカらしいものを本気で考えて、考えるだけ無駄だわという結論に至ったことがあります。豪雪地帯に住んでいたので、除雪した泥だらけの雪たちに埋もれて、このまま眠れば起きることはないかなと目を瞑りました。5分ほどだったか、本当に死ぬほど寒かったので家に帰って温かいココアを流し込みました。なんでいきてるんだろうってすげえ思いました。

 小学生のとき、軽いいじめを受けた僕は、(とても謙遜な人間だったので)中学生のときに道徳の授業で「いじめはなぜおきるのか、あなたの考えを書きなさい」という問いに対して、「いじめられる人間にも少なからず原因がある」と書きました。なぜか先生に居残りをさせられました。理不尽な世界です。

 中学生の修学旅行で僕は班長になりました。職場体験的なことを計画し、事前に職員室の電話をつかい、○月○日にそちらにお伺いしたいのですがよろしいでしょうか的な予約をしました。当日、メンバー全員で向かったら、そんな予約受けていないと言われました。自責の念に支配された僕を周りの人は慰めてくれました。その目に光はないように見えました。

 中学生まで仲の良かった幼なじみの女の子がいました。親同士で何かがあったのかは知りませんが、ある日から全く遊ぶことがなくなりました。一人ならまだしも、同じような理由で遊ぶことがなくなった友達が数人いました。親は尊敬しています。時々、また会えたらいいなと思うことがあります。

 小学6年生の時、特に興味もクソもなかった女の子から付き合ってくださいと言われました。ただ嬉しいという感情で動いた単純な僕は、コクリと頷いたのを覚えています。一ヶ月もしないうちに別れを告げられたとき、すごく悲しかったのを覚えています。その子は違う中学に行ってしまったから、それ以来会っていません。

 誰かと仲良くしようだとか、この社会の中でうまくいきるだとかは、案外簡単にできる。それはきっと心がそこにない人間が多いからだと思う。きっと僕は人間で人間ではないのかもしれないと考えることがある。昔から思う。やけにだだっ広い公園を見ると特に思う。世界の一部の中のその小さな存在が、どんなに叫んでも自然界の構造を変化させることが決して不可能であるかのように。



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