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ヒロインを殺す音楽

 PK shampooというバンドが大好きです。やっほー。kyuphyちゃんだよ。PK shampooが約2年ぶりにMVを公開しました。

タイトルは「S区宗教音楽公論」いかにもPKらしいタイトルですね。

西武新宿死のうと思った
東京でも僕はあの学生街を返り血のように覚えてる
神様 やさしいさよならを僕に教えて
盗み出して空に飾るコーラス 基礎からやるには夕陽が眩しすぎて
すべて欲しがると苦しい 神様 やさしいさよならを僕に教えて
西武新宿死のうと思った 押さえつけるだけじゃまだ血が止まらない
思い出の曲や映画ともさよなら ふたりが寄り添った素晴らしき日々よ
このまま 魔法をかけて 歌声、星空、君といたあのきらめきを
このまま 魔法をかけて 歌声、星空、消えそうだよラウダ、星をつれて
今夜だけ、僕ら二人だけ どこか遠くに逃げてしまおう
まるで僕らのせいじゃないと 言わぬばかりに溶けて
応報刑論よ僕を引き止めて でも神様あの子をさらってよ
宗教音楽公論よ鳴り止まないで ずっと このまま
S区宗教音楽公論

 歌詞えぐいですね。現代社会においてどうしようもなく苦しくて死にたくなって、もう神様なんとかして〜〜っていう宗教音楽がずっと流れている感覚。そんな軽い感じではないけどネ。返り血っていうと、狂気の殺人鬼が返り血を浴びて甲高い笑い声を響かせているようなイメージだったのですが、この曲における返り血は、こうするしかなかったんだ、、、の絶望に似てますね。東京に来てからあの頃の景色を思い出すときの、こうするしかないよな、っていう絶望感というか。血はその絶望だとか苦しみだとか、負の感情のメタファーなんだなあって思います。押さえつけるだけじゃ、止まらないしね〜。

「ラウダ」という言葉は水星の魔女のキャラじゃなくて、神をたたえる歌のことですね。まさしく宗教音楽公論ってカンジね。応報刑論ってのは、まあ言わずもがな、、、それでもあの子をさらってよってのが、心情の矛盾、葛藤みたいなのを感じますよね。

 歌詞についての話はこれくらいにして。まあ詳しい話はこないだのヤマトパンクスのインタビューを読んで欲しいんですけど、、、このインタビュー読んだ後だとすごく聞こえ方が変わると思います。


 もうこれだけで1000字くらい書いちゃってるんですけど、本題はここからだったりします。この曲は歌詞を書いている人が主人公の音楽じゃないですか。僕とかわたしとかってまあ大体書いてる人のことじゃないですか。君とかあなたとかは特定の、ここでいうヒロインで、神様〜とかは第三者ってかんじです。ヒロインを殺す音楽というのはヒロインとの別れとか悲しさと切なさを伴った音楽のことを言おうとしてます俺は。

 でも、ヒロインを生かす音楽ってなかなかないんですよ。そこらへんにありふれている恋愛ソングってのは、君が好きだよ〜〜〜な主人公メインの曲ばかりで、君を生かす音楽ではないんですよ。本当に、真の意味でヒロインを生かしてくれるのはヒロインを殺す音楽だったりするんじゃないですかね。悲しい曲を聞くと案外明るく生きれるもんですよ。それじゃ。

次回。「アナーキー・イン・マイ・ヘッド」


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