溢れていく想いは声の表面張力を超えて
物心ついた頃から喜怒哀楽を言葉や態度に出すのが、どうしても苦手で、それがなぜかを考えた時、そもそも自分の表現方法が周りと違うからということに行き着いた。
「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「悔しい」…
声にした途端に自分の感情が嘘になる気がしてならず、そして人と話すのも上手くできず、一日に何語喋るの?と言われていた時代もある。
小学校だか中学校だかの運動会の映像を見ると、周りに合わせてぎこちなく飛び跳ね手を叩き、綱引きの勝利の喜びを表そうとしている姿があった。
違ったのである