立花孝志コンパスの針は動かない Vol.1(古参視聴者としての思い出から)
2019年の参議院議員選挙の政見放送は、アノ伏魔殿をグラつかせたに違いない。
「元NHK職員」を名乗る男は、放送の末尾をこう締めくくった。
“では皆さんもご一緒に、NHKをぶっ壊す!”
「立花孝志ひとり放送局」との出会い
ネカフェ通いで治癒したテレビ病
ネカフェが入る雑居ビルの階段は暗く、急だった。自遊空間や快活CLUBといった大手チェーンを知る前に通っていたのは、地元駅から歩いて30秒の小さな店。
紙コップに入った90円のリアルゴールドを飲みながら、自分の日常から遙か遠くにいる感覚を味わうのだ。
何故なら、テレビなんて既に狭すぎる世界だったし、「dボタン」で参加できるキャンペーンなんてどうせ当たらないと思っているから。
ただ、ネットは自分でYoutubeチャンネルを開設すれば自由に自分を発信できるし、ブログ等では多種多様な意見が並んでいる。
一方通行の情報ばかりを得ていた私は、視野が広がるネット情報の虜になっていった。
自宅にPCが! 元祖突撃系Youtuberを発見
ネカフェは毎日通えばお金が幾らあっても足りない。なんて考えていた矢先、高校1年になると自宅にPCがやってきた。
ネット依存なんて批判されるけど、地球と同じ広さ位の情報網を探るのだから、釘付けになって当然なのだ。
そこでたまたま「おすすめ」に上がってきたのが、当時まだ知る人ぞ知る人物だった立花孝志さんだった。
視聴者としての思い出(2014年〜)
自宅と思われる一室でカメラを前に話す姿はコメンテーターのようで、実際に立花さんはその一室を「スタジオ」と言っていた。
“今日は2014年何月何日、お昼の何時何分です”
視聴者に見せるデジタル時計には日の丸がついていた時期も。今思えば、既得権益をぶっ壊す初期段階、日本を愛する気持ちを持って活動していた証拠だった。
今やNHK問題からそれているように見える立花さんだが、軸はブレていない。
それは初期から今に至るまで一度も下ろすことの無かった、「立花孝志ひとり放送局」の看板が物語る。
社名は本当に“ひとり”の放送局として名付けられたのだろうが、同時にまだ仲間が少なかった事で孤独の闘いだったこともあるはず。
立花さんに釘付けになった私は、Youtubeに上がっていない動画を見るべく、「会員限定マル秘動画」のパスワードをメールで教えていただいた事がある。
複数あるチャンネルのうち、青いアイコンのYoutubeチャンネルで公開されていたある事件の動画が飛び飛びになっていた事があり、それを全編見たかったからだ。
そしてその事件と類似した事が、再び話題になる。今は国会議員2人と多くの仲間がついている立花さんの闘いは、まだ終わっていない。
10年の時を経て嵐が襲来
2013年冬頃、天王寺営業センターの寺井職員が契約者(被害者)Tさんの自宅を訪問し、立花さんがTさんの旦那役を演じて対応。裁判で受信料請求の根拠になる契約日を集金人が勝手に書き入れ、2004年〜05年頃の不祥事の連発に対する怒りで不払いをしていたTさんへ裁判通知が届く。
寺井職員の上司の尾崎副部長(天王寺営業センター、せんとくん)が回答を先延ばしにしたため、その担保として立花さんは契約書を預かることに成功し、Tさんからの正式な代理人としてNHKとの交渉に当たった。
その契約書変造の件が10年の時を経て、政治団体「NHKから国民を守る党」所属の齊藤健一郎参院議員に降り掛かった。
続く
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