4年間のVtuber活動を振り返るnote

こんにちは。VPL1期生/Σリーグ代表の穹憧るかです。
もうすぐ私はデビューから4周年。たまには身の上話をしようと思います。
私は文章を書くのも読むのも大好きで、Σリーグのドラフト会議のたびに皆さんのnoteを見ながら(ちなみに毎シーズンほぼ全てに目を通している)「私も書こうかなぁ」と心の中で思ってはいたものの、忙しさ等を理由に書かずじまいでやってきてしまいました。反省。
ということで今回は4年間の活動を振り返りながら自分語りをします。あまり長々と自分のことを書き連ねるのもどうかと思いますが、最近私のことを知ってくださった方により私のことを知っていただけたら嬉しいですし、既に知ってくださっている方にも読んでいただいて知らなかった面を発見してもらえたら幸いです。
4周年の節目を迎えるということもあり、気の向くままに書いていたらやっぱりすごーく長くなってしまいました。ごめんね!

1.Vtuberデビューの話

「なぜ皆さんはVtuberになったのですか?」
Vtuberの方にしか刺さらない質問で申し訳ないが、皆さんの答えはどうだろう。いろいろな理由があると思う。
「変なおじさんに『Vtuberになれ』って半年くらい言われ続けて、拒否してたのに勝手にガワを作る話を進められて強制的にVtuberにさせられました」
これが穹憧るかのデビュー理由だ。この時点で他にあまりいない。
そのおじさんというのが兎鞠まりさんが大好きで「メス堕ちするところが見たい」というわけのわからない理由で、私はバ美肉ボイチェンVtuberになることを自分の意志が介在する余地なく決められていた。

唯一名前だけが拘ったというか自分で決めたところだった。
"穹憧るか"―――自分でも気に入っている。実用面からは目を逸らすが。
"きゅうどう"の由来だが、"球道"という言葉から来ている。伝わるのが相当に野球に造詣が深い方だけになってしまうが、"球道即人道"という言葉がある。これはPL学園の監督を務められた中村順司氏の言葉で、同校出身の元ヤクルト宮本慎也選手の応援歌にも「球道」の単語が使われている。私のバーチャル中学時代の恩師がよく使っていた言葉だ。
皆様もご存じの通り大のつく中日ドラゴンズファンの私は野球に関する配信をする予定だったため、何か野球要素のある苗字をつけたかった。そんな私が思いついたのがこの印象深かった「球道」だった。
しかしそこは何歳になっても厨二病。そのまま単語を苗字にはできなかった。そこで読みはそのままに漢字を変えることにした。
"穹"という字には大空の意味がある。"蒼穹のファフナー"というアニメに使われているイメージが強い方も多いだろう。私もいつも「変換は蒼穹のファフナー」で出ますよと説明している。めちゃくちゃいい作品なので見ていないという方にはぜひ見ていただきたい。
ドラゴンズブルーを自身のカラーに据える上でこのうえなくイメージに合致する一文字だと思った。美しい澄んだ青空をイメージさせる一字だ。
"憧"は文字通り。「空に憧れて」というフレーズは松任谷由実さんによる「風立ちぬ」の主題歌の1フレーズだが、まさしくそういう意味合いだ。何せ中日が地を這うドラゴンになって久しいので。
今でこそドラゴンの身体が板についているが、当初は中日が優勝するとドラゴンに戻れるという設定の人間の見た目だった。2012年を最後にAクラス入りがなく暗黒街道まっしぐらの中日ドラゴンズ。自虐だがネタにした。
中日ドラゴンズを応援して、中日に優勝してもらって元の身体に戻って空を舞いたいという願いを込めた、そしてわかる人にはわかる野球大好きが詰まった苗字が"穹憧"。
そして拘りすぎたがゆえに一発で変換できないし、「なんて読むの?」って言われるし、パワプロで漢字出てこないし(野球Vとして致命傷)、「蒼穹るかさん」と呼び間違えられることになってしまった。反省した方がいい。
ちなみにるかの方はなんとなく語感で決めている。読みにくい「穹憧さん」よりも「るかさん」と呼ばれる方が多いのでこちらの方が重要だったかもしれない。
「るか」は漢字にすると「龍華」という裏設定がある。わかるだろうか。
燃えドラ2007の歌詞「堂上兄弟竜の華」からきている。去年の直倫の引退試合は特攻ツアーで現地に行って一人で泣いた。

ということでやたらと名前の話が長くなってしまったがそんな経緯でデビューしたのが「穹憧るか」というVtuberだ。
デビュー日は6/17。私はこの記念日を心の底から大切に思っている。
この日をデビュー日に定めたのには明確に理由があった。
2020年、コロナ禍でプロ野球の開幕が大幅に遅れたことを皆さんは覚えておいでだろうか。毎年、毎日プロ野球を見るのが大好きな私は首を長くして待っていた。そんなコロナ禍の2020年のプロ野球の開幕日が6/19だった。
世の中が大変な中でついにプロ野球が見れることが本当に嬉しく、そこに合わせてデビューできたことで忘れられない日の一つになった。
だが、本当に大切な日になった理由は盟友である角酒あやさんとの出会いがあったからだ。出会いは本当に偶然で、Twitterで同じ日にデビューする新人Vtuberの方を見つけて、「せっかくだからリレーしましょうよ」と提案したのがきっかけだ。よく私も提案したしあやさんも受けてくれたと思う。
リレーデビューから1週間後の初コラボを皮切りにあやさんとは長い期間ずっと一緒にコラボや企画をやってきた。今でこそ止めてしまったが毎月記念日コラボをしたり、節目で大型コラボをしたり、ロクでもないコラボもやってきた。
私のVtuber生活に刺激を入れてくれる存在だったあやさんと出会えたから6/17は、毎月の17日は大事な記念日になったのだ。

ちなみに私をVtuberに堕としたおじさんだが特に配信を見に来てはいない。
ただ、元々ボドゲ友達なので時折私の家でやっているボドゲ会にはやってくる。重ゲーが好きで私と相性がよく、テラフォーミングマーズやアグリコラをいつも一緒に遊んでいる。だが責任は取れないタイプの男だったようだ。
極めていい加減というか、自分の意志が感じられない経緯でデビューしているが、意外とVtuberでいることに拘りは強い。
あるいは自分で望んだデビューではないから拘っているのだろうか。そのあたりは自分でも不思議だと思う。
今度の6月で4周年になるが「このあたりでもういいか」というような気持ちは微塵もない。末永く活動していきたいと考えている。

2.Vtuber活動に麻雀が出てくるまで

〇〇系Vtuberという名乗りがある。配信冒頭でやるお決まりのやつだ。
今でこそ私の名乗りは所属団体である「VPL1期生」で固定しているわけだが、活動当初から名乗っていたのは「野球好きVtuber」だ。
名前の付け方からも分かる通り、野球に特化した存在になるはずだった。
こっちの方もそこそこ拘りがあり、私はVtuberを始めてから基本的にX(旧Twitter)の@以降をいじっていないため、これがSEO対策になっている。
「Vtuber+野球好き」という検索ワードで私は一番上に出る。
実はデビュー当初は本当に毎日野球雑談の配信をしていたし、コラボも野球対談がほとんどだった。壊れた信号機の2人―エビことティナ・ブラックタイガーと兎鉄たまきちゃん―とはデビュー時期が近く、デビュー直後からずっと付き合いが続いている。巨人・阪神・中日のトリオという爆弾のようなユニットだが、年がら年中プロレスを続けていてずっと仲良くしてもらっている。本当にいい縁だと思う。
あとは当時の与田監督の鉄板ネタ「不適切なフレーズ」つまり「お前」は当時からずっとネタにしていたらとうとう収益化後にスタンプになってしまった。
だいたい「こんおま」とはなんなのか。「こんにちは+おまえ」なのだが「穹憧」要素も「るか」要素もまるで見られない。こんな不適切なVtuberの挨拶があってたまるか、という感じだがもう定着しきってしまった。なので配信で「お前」が飛び交っていても何も問題はないし、配信にやってきて「おう、お前」とコメントされても私は一切不快にならないので気軽にコメントしていただきたい。

不適切なフレーズで溢れかえるコメント

そのような感じで全身野球好きだけでデビューした私なのだが、今私を知ってくれている方は結構な割合の方が麻雀がきっかけだろう。まあ野球の圧も依然強いので「野球は見てないけどなぜか中日の結果だけ分かるようになった」とは何人から言われたか分からないが。
というわけで麻雀の話も少しずつしていこうと思う。

個人的な麻雀歴の話になるが、Vtuberデビュー当時で10年ないくらい。
バーチャル大学に通い始めて覚えるというよくあるパターンだ。
確かに大学時代は熱中していた記憶はあるが、そこまで強くなるプロセスを重視した向き合い方ではなく、ひたすらセットで楽しく打ち続けていただけの打ち手だったように思う。何せ当時の打ち方の記憶がない。
覚えているのは当時バイト戦士だった私が、春休みに一人旅に行こうとしたらあまりにもシフトを埋められていてお金を貯めていたのに行くことができず、ブチ切れてそのお金で自動卓を買ったことがあったことくらいだ。
あの卓は今どこにあるのだろう。友人に譲った記憶はあるが邪魔なので捨てられているかもしれない。いや、流石にもう捨てているだろう。
何の話をしても常に横道に逸れてしまう。よくない。
大学時代は毎週末セットをしていたし、授業の時間にもサボって麻雀を打っていた私だが、大学卒業を機に一旦ぱったりと打たなくなった。
やはり一緒に打っていた友人たちとバラバラになったことが大きかったからだろうか。その後は相当カジュアルにたまに打つ程度になっていた。
インドア趣味なのは変わらないので麻雀倦怠期はシャドウバースとかボードゲームにめちゃくちゃハマっていた。シャドバは一時期はグラマスは最低ノルマですぐBO3の練習をしてRAGEに申し込んであとは大会に出たりする…みたいなプレイヤーだった。ボドゲは今でも趣味の一つ。テラフォーミングマーズが好きな人はぜひ声をかけてほしい。

話をVtuberデビュー後に戻そう。
雀魂はVtuberになる前から始めており、人生の中で軽く麻雀に触れてきた経験で玉の間までは到達していた。
だが、当時玉の間は5分ディレイの制約があったことから配信に不向きと思っていたし、活動の軸は野球系で行こうと考えていたので最初の1年間は段位戦配信は全くしていなかった。何回かコラボで友人戦をしたり参加型配信をやってみたくらいだったと記憶している。

転機になったのは2021年の1月か2月に"ななきゅー杯"という大会を主催したことだ。七瀬くりむちゃんというVtuberの子と共催でチーム戦のトーナメントを運営した。今でこそチーム戦トーナメントもメジャーになったが、当時では珍しかったはずだ。
綱川プロに決勝戦の解説に来ていただいたり、その後の私の活動に大きく関わるあさひなひなたちゃんと出会ったりと、当時私は麻雀Vtuber界隈では全く知られていないペーペーだったが周りの方に恵まれていた大会だった。
今も日々感じるが、私は本当に人との出会いの運で生きている。そうでなければ今の活動は成り立っていないだろう。こういうのを天運と言うのかもしれない。人との出会いには常に感謝を持っていこうと改めて思う。
後年、この大会に参加してくださっていたアリゲイルさんとVPLで再会したときにこの時のことを覚えてくださっていたことは嬉しかった。
以降、麻雀への熱が再燃し始める。熱しにくく冷めにくいタイプの自覚があるが、それだけに火がついてしまったら止められない。Vtuber活動1年目の終盤、大きな節目になろうとしていた。

3.Vtuber2年目と第3期雀魂Fリーグ

そんな熱を抱きながら2021年もプロ野球が開幕し、いったん野球Vとしての顔に戻って活動をしていた2021年の5月頃。Twitterで"第3期雀魂Fリーグ"の告知を目にした。
これだと思った。
先に挙げた"ななきゅー杯"は運営をやっていてとても楽しかったが、一人の打ち手として舞台に立ちたい気持ちは持ち続けていた。
そんな私に非常に魅力的に映る大会だった。少しずつ麻雀を活動に組み込み始めていた麻雀界隈駆け出しの私にとって、声をかけるどころかこちらが一方的に認知していただけのVtuberさんたちも多数参加していた。
今のΣリーグもそうであるが"ドラフト制"採用のリーグ戦。参加するためには指名を受けなければならない。
当時の私は雀豪☆2。育成枠に該当はしていたが麻雀に自信はなく、Vtuberとしても大したことがない。つまりなんとかして目立つ必要があった。
そこで私が思い立ったのが、今もリーグの伝統として続く"スカウティングレポート"である。
プロ野球は例年秋にドラフト会議が行われているが、直前になると必ず野球専門誌からドラフト候補の載った特別紙が出る。それを見て指名が有力視される選手を把握し、当日の指名を楽しむ。それが野球ファンのドラフトの楽しみ方の一つだ。
裏を返せば誰が指名される可能性があるのか、それが分かっていないとドラフト会議というものは楽しめない。だから私が楽しむためにも、このドラフトに応募している人や見ている人が楽しむためにも、書いてみたらもっと面白くなると思った。
つまりはΣリーグのドラフト名物の一つでもあるこのレポートが生まれた経緯は結局のところ"穹憧るかが野球好きだったから"ということになる。
そういった発想と、これをやれば確実に誰よりも目立てるという確信をもって当時の私は一人でスカウティング・レポートを書き始めた。

魂天編から雀豪☆1編まで、我ながら一人でよくやったと思う。もう一度やれと言われても同じことは二度とできる気がしない。
今にしてみれば当時のあまりにも未熟だった雀力でよく人のことが書けたなと恐ろしく思うが、それだけに失礼な表現をしないように、人を傷つけないようにすごく気を遣って書いたことを記憶している。3行で書かれてしまった人はいたけど。
今も広報部のメンバーに伝えているが、私のスカウティングレポートの方針は「いいところだけ取り上げてポジティブに書く」ことだ。それが一番人を傷つけないし、みんなが楽しく読めると思っている。
ドラフト会議は確か6月13日だった。レポート執筆作業を終えたあと、雀豪☆3まで段位を上げて、やれることをやりつくしてドラフト会議を迎えた。

そして私は指名漏れした。

まあシンプルに麻雀が弱かったのがいけない。文字を書く能力は見せていたけれども配信力は欠片もなかったからVtuberとしての価値もなかった。
そして何よりも麻雀界隈での活動をほとんどしていなかったので人との繋がりが皆無だった。ドラフト期間に目立ったという意味では手前味噌にはなるがトップクラスの一人ではあったものの、自身の指名に最も比重を置いた際に採る戦略としては当時の環境への最適解ではなかった可能性がある。
だけど悪いことばかりじゃなかった。
ドラフトの後の打ち上げをしていたDiscordサーバーに呼んでもらい、ドラフトの司会をされていた故竹内幸輔氏から「頑張っていたるかちゃんの名前は呼びたかった」と言っていただいたことは心に響いた。救いになる言葉だった。
そして私にとって幸運だったのは、ひなたちゃんが運営にいたこと。
顔見知りの関係になっていて声をかけやすい私に、広報活動をやらないかと声をかけてくれた。
とはいえドラフトで落ちた直後。「もういいです…」となっていてもおかしくなかったが、道を閉ざさなかった当時の私が偉かった。これを機に麻雀界隈に関わっていきたいという気持ちで広報を引き受け、以降選手名鑑を書いたり、人生で初めての観戦記を書いたりしている。

ここから一気にリーグ広報としての活動に舵を切ることになった。
ドラフトで指名漏れはしたものの、私にとって価値のあるドラフトだった。

ちなみにそのドラフトの直後に1周年の配信を行い、今の姿になっている。あまりにも私の好きが詰まった姿で正直自分でも溺愛している。イラストを担当してくれたのはわやママ。普段の活動がホ〇ライブの同人描きなのであまり表で見たことがない方が多いと思う。可愛く描いてくれて本当に嬉しい。4周年ということもあるので改めてありがとうと伝えたい。

あんまり全身見せる機会の少ない立ち絵、かわいかろ?

そしてこの衣装にはかなり麻雀要素も入っている。しょっちゅう「改めて見るとどすけべな恰好してるよね」と言われるチャイナ服と、よーく見ないと気付かないが右手の腕輪には1000点棒がはめ込まれている。
ちなみにチャイナ好きに「東方好き」という情報を加えたら分かる人は分かると思うが、もねてぃ先生の大ファンなことを開示しておく。
あとは巨大でコラボのたびに「邪魔」「削っていい?」と言われる角。
先日凸待ちで少しお話したが、中日が優勝したら巨大化する予定のこの角は「普通じゃない角がいいな」という要求に応えてくれたママの傑作。バキバキにするアイデアは当時の(今も変わらないが)中日ドラゴンズのボロボロの状況を表しているのに加え、当時やっていたプリコネの推しキャラ"エリコ様"の角に寄せてもらった。ちなみに拘りの角ではあるのだが、メンバーシップに加入すると期間に応じてへし折ることができる。このアイデアを考えたのはわやママ、控えめに言っても狂人。
新たな姿になり、活動の中心に新たに麻雀が加わり、Vtuber活動2年目が始まっていった。

4.Vtuber2年目の後半、第4期雀魂Fリーグ

広報として1シーズンを主に観戦記や選手名鑑の作成などを行いながら完走し、次シーズンの第4期雀魂Fリーグのドラフトシーズンを迎えた。ここからは広報として公式の立場でスカウティング・レポートを書いていくことになった。2回目をやることでこのリーグのドラフトに応募する=レポートが書かれるという図式を定着させることができたように思う。

個人としてはリーグでの縁で第3期の期間中に初めて牌譜検討というものをしてもらい、多少の成長を感じながら雀聖☆1までタッチしていたものの降段し、雀豪☆3でドラフトを迎えた。(当時はこれで育成枠OKだった)
2度目のドラフトは4巡目で酒井団長のGOLDEN BODENSから指名をいただき、リーグに参加することができた。選んでくれてありがとう団長。
団長とはもう何年もやり取りをしていないが、毎日のようにいいねをつけてくれるのでずっと見守ってもらっていると勝手に思っている。

このGBというチームは配信者は私しかいなかったが、団長を筆頭にふくちゃん、ヨプさん、keitaさんと芸人ばかりが集まったチームで、正直今でもこのリーグで一番面白いチームだったんじゃないかと思っている。
開幕戦でのヨプさんの伝説の親番3面チャンダマ5800を皮切りに、ふくちゃんはビンタしまくるし団長は何をしても面白いしkeitaさんは最初真面目だったのにどんどん壊れてしまった。
私はまだまだ育成枠の身で大した結果は残せなかったが、この期間にkeitaさんやPacific Dainagonさんから指導していただき、雀聖☆3まで到達できた。お2人ともかなりの時間を使って私の打牌を検討してくださった。改めて感謝を申し上げたいところだが未だに魂天になれてなくてごめんなさいの気持ちの方が強い。良い師匠に巡り合えたのもこのリーグのおかげである。
GBはレギュラーシーズンを苦戦しながら突破し、セミファイナルまで生き残ったが残念ながらセミファイナルで敗退となった。

また、リーグ広報としては手伝ってくれる方が増え、組織化した活動をするようになっていった。このシーズンはひなごんや涼音カイリさんと一緒に公式配信のMCも担当していた。他人の麻雀を実況するというのもなかなか経験できるものではなく、Mリーグ配信を見る目が変わり実況から何か取り入れないかと思いながら見るようになったのはこの頃からだった。

5.Vtuber3年目、麻雀リーグFC

2022年、リーグ名が変わり麻雀リーグFC(FiveColors)となった。このあたりの経緯は先日の比木丹いとちゃんとの対談コラボでお話しているので気になる方は是非見ていただきたい。

変わらず広報として関わりながらドラフト前は忙しくしていた。このあたりからスカウティング・レポートは私の手を離れはじめ、広報部メンバーが皆で作っていくものになっていったが、この広報部というチームは優秀かつ楽しいメンバーが揃っており、忙しいながらも楽しい期間になっている。

ドラフト会議では新規参入となった刃金しろがねちゃんのぽんてんLv47から2巡目で指名を受け、2期連続での参戦となった。この時はドラフト会議のMCに入っており、矢絣さんといじりあっていた記憶がある。
育成枠で指名を受けていた前回とは異なり、雀力にもそれなりに期待されるポジションでの指名だった。チームは大エースの牧野伸彦プロ、暁美ほむらさん、むかたふさんというメンバー。みんな麻雀に真面目だったが、途中からは試合後に一通り牌譜検討をしてからスプラトゥーンをやっていた。がねごんはチームリーダーとバイトリーダーを兼任していた。
FCぽんてんが解散した後もスプラの鯖で遊んだりしていたが、牧野さんがバイトを極めすぎて一人別世界に旅立ってしまった感がある。おそらく全ての麻雀プロの中で最もサーモンランが上手い麻雀プロと言って間違いないだろう。全ステカンスト勢の麻雀プロとか他にいるんだろうか。
昨年の最高位戦A1リーグは牧野さんを応援しながら見るのが本当に楽しかったし、熱が入った。決定戦まで本当に惜しいところでの敗退だったが、今年こそは牧野さんの最高位挑戦が見れるのを楽しみにしている。先日も麻雀最強戦で活躍され、今季のA1リーグも絶好調で首位を走っている。今後もっともっと活躍していく麻雀プロだと確信している。みんな牧野プロを推せ。

そんなぽんてんはレギュラーシーズン、セミファイナルを突破しファイナルまで行くことができた。まずまずの位置で戦い続けたチームの中にあって一応は中核戦力として最終日などの重要な対局を任せてもらうポジションにおり、チームを背負って次のステージに連れて行けるかどうかの試合に出るのは痺れる経験だった。

2期目のリーグ戦は負けた悔しさはありつつ、個人的には充実感のあるシーズンだった。だが、こうして記事を書いている今、私はまだ聖3にいる。チームメイトだったほむらさん、育成枠だったむかたふさんはとっくに魂天になった。がねごんは相変わらず打数は伸びていないが牌譜を見ていてずいぶん高いところにいると感じる。
立場もあり年がら年中忙しいことは否定しないが、それを理由にしていては打ち手として終わりだ。むやみやたらと人と比べるものでもないが、こういうところでの悔しいと思う感情をなくしてはいけないと思う。

6.VPL受験と合格

話が多少前後する。
VPLという名前が最初から出ていたかは忘れてしまったが2022年の夏ごろだったと記憶している。プロ団体管理によるVtuberのリーグ戦ができるという情報を見た。
この頃はぽんてんでの活動が始まった時期であり、この話を見たときに牧野さんに相談したことを覚えている。
「プラスになると思うからチャンスがあるなら挑戦してみるといいんじゃないかな」そんな風に言ってくれた。
収益化ラインに達していることが条件というのは最初から出ていたはずで、そこに程遠かった私は3年目にして初めて本気でVtuber活動と向き合った。
なにせデビュー経緯が経緯である。楽しくやりたいことだけやってればいいじゃんのエンジョイ派だったわけだが、そうも言っていられなくなった。
色々な方に相談し、半年近くの猶予があったのでかなり計画的に登録者を伸ばして2023年の1月くらいのギリギリで登録者を1000人に乗せた。
最後はやはりリーグ活動を通して知り合った皆さんが告知拡散に協力してくれたことが大きかった。本当に人との出会いに感謝だ。
受験要件を満たしたと思ったのも束の間。今度はテストがある。
1期生は今と違ってVPL用の過去問がなかったから、みんな日本プロ麻雀協会の過去問を必死で解いていた。私も時間制限で苦しみながらも5年分とかの過去問を3周くらいやってなんとか対応できるようにした。
Vtuber人生を激変させるチャレンジだと思っていたのでとても緊張していたが、無事合格しVPL1期生となることができた。それまでの自分の活動を認めてもらい、応援してくれた方に合格の報告ができることは格別の喜びがあった。
「VPLってなんなの?」「結局麻雀のプロなの?」というのはよく聞かれる。これには明確な答えがあって「VPL生は"プロの麻雀配信者"」である。いわゆるプロ雀士とは異なる立場だ。そしてそこでの配信者としてのアプローチには個々に差がある。
私のVPL生としてのアプローチは「麻雀を強くなることに真剣」なことと「麻雀コミュニティ(=Σリーグ)の拡大」の2点だ。
特に配信で見せられるよう努力しているのは前者で、段位戦や大会戦の配信では自分の思考を言語化して話し続けるようにしている。「勉強になる」とか「ためになる」と言っていただけるのは本当に嬉しい。今後も精進していきたい。
2023年の3月、Vtuberとして新たな一歩を踏み出すことになった。

7.Σリーグへの変革、代表就任と1期VPL

タイミングとしてはVPLの受験と並行だった。
当時の麻雀リーグFCの代表は縹セシルさんが務められていたが、ご家庭の事情で代表を続けることは難しいという話になった。
正直いろいろなことが同時に起きすぎていたのであまり当時の記憶が定かではないのだが、代表を継ぐ人がいなかったので私が立候補して他に適任もいないし反対も出ないような流れだった。
私なりにお世話になったリーグに返したい恩義もあるし、リーグのポテンシャルをもっと活かすためにできることがあるはずと思っての立候補だった。
私の就任に合わせて、というのは大きな理由ではないが、リーグ名も再度変更した。FiveColorsというネーミング自体は良かったと思っているが、やはり呼びにくいのが良くなかった。タグの表記揺れも頻発していた。
そこで当時の運営やリーダー陣にアイデアを出してもらい、採用となったのが「Σリーグ」だ。Σは数学で二つ以上の数の総和を表す記号。シンプルかつチーム戦の頭文字としてつけるのに最適な単語だと思う。
代表もリーグ名も短期間に入れ替わってしまったのでΣリーグ・穹憧るか代表の体制は長く続ける覚悟を持って代表に就いた。

そして私が代表になって迎えた第1期Σリーグ。新リーダーも多く、私は立場が変わったことでやらなければいけないことも格段に増えて目の回るような日々を過ごしていた。そんな中で改めて感謝を述べたいのはこの時からLuna de esperanzaのリーダーにもなった銀貨先生だ。元々は4期Fリーグの時にnoteを読んで広報のお手伝いをお願いし、広報部として関わってもらっていたのだがこのタイミングから運営の中枢に入っていただいた。
運営メンバーがごっそりと抜けて手薄になった中でドラフトのエントリーシート、ドラフト時の表示スライド、オーダー入力や成績管理といったリーグ運営の基幹部分を一手に引き受けて問題を解決してくれたのが銀貨先生だ。銀貨先生がいなかったらこのリーグはどうなっていたか分からない。銀貨先生には本当に感謝している。

そして代表になって責任範囲が増えたことで今まで自分で全てやっていたことができなくなっていった。手が足りない。
そこで支えてくれたのは、広報部長(の責を勝手に押し付けられた)西向く侍さんだ。Σリーグ広報部から出る大量のnoteのチェックをし、投稿作業をし、Xでの告知までやってくれている。侍さんがいなければ広報部は回らない。献身的に尽くしてくださる姿勢には本当に感謝している。
代表を降りても運営として活動してくれているセシルさん、試合日の運営にはほぼ毎日来てくれているゆめさん、頼りになったりならなかったりするマスコットのヨプさん。
そして私をリーグ運営に誘ってくれたひなごん。Σリーグになった時から支えてくれている運営のメンバーの皆には本当に感謝している。

そんな中代表になって自分はリーグ戦をどうするか、という問題が生まれた。確かにエントリーするというのも微妙な話かもしれないし、「リーダーやればいいじゃん」というのも色々な人に言われた。
だが、代表になって自らリーダーになるのは個人的には職権濫用と感じるからやりたくなかった。今後もよほどのことがないとやらないだろう。
それに私は3期Fからずっとドラフトに選手としてエントリーを続けている。これが崩れるのも好きじゃない。ということで第3期Σリーグの今でも普通にエントリーを続けている。6期連続でドラフトにエントリーしている人はほとんどいないはずだ。別にリーダーに圧をかけたりはしていないので普通にドラフトで指名されたり落ちたりする。第1期Σリーグでは普通に指名漏れした。

正直なところを言ってしまえば、このシーズンは開幕後もありとあらゆることに追われていたので指名を受けていたら受けていたで相当大変だった。
Σリーグの公式YouTubeチャンネルを開設して公式配信を本格的に開始したのもここからだ。ドラフト後に今でも公式MCを務めてくださっている鹿海なべ子プロから連絡をいただき、相川翔プロ、私、ひなごんの4人体制で1期Σの公式配信はスタートした。以降なべ子さんは本当にΣリーグのために色々活動してくださっていて、ありがたい限りだ。今後もぜひパワフルな活動を見せていただきたい。
Σリーグの公式チャンネルは第3期のドラフト前に1000人超えと収益化を達成することができた。いつもリーグ配信を見てくださっている皆様には改めて感謝を申し上げたい。

そんなこんなでΣリーグが始まるのと並行して、VPLの対局も始まった。
新人王戦に相当するフレッシュスターカップでは目立った活躍はできなかったものの、リーグ戦ではなかなか展開に恵まれ、第4節を終えたところで決勝の4人枠が見える6位と好位置につけていた。
そして最終日。初戦3着からの連続トップでの大捲りを決めて4位での決勝進出。この時は本当に嬉しかった。当時はまだ元気があったので自戦記も書いているのでよろしければ読んでいただけるとなお嬉しい。

なお決勝では何も見せ場を作ることができず、最終戦オーラスでトータル3位のところから何もできずにがねごんとうるりさんのめくり合いをがねごんに全てを託して眺めて、うるりさんが勝って捲られて4位のまま終わった。
手が入らなかったのもあるがトップが偉いこのルールの決勝というフィールドで4半荘、トップもラスもなく空気だったのは本当に悔しかった。
決勝想定の練習会をガチ面子と何回もやってどんな状況にも対応し、条件に合わせて打ち分けられるように準備をしてきたが、基礎雀力の足りなさを実感することになった。
それでも48人中の4位という結果を出せたことには一定の満足感はあった。

VPLのリーグ戦が始まったころに3周年の配信を行い、Vtuber活動は4年目に入っていた。Vtuberとしてではない形の活動も増えていたし、この頃になると当初の軸だった野球要素が配信から薄れ始めている。といっても毎日のポストからDV彼氏くん中日の試合結果が分かる程度には見ているのだが。
配信を犠牲にすることも増え、それでいいのかと言われるとなんとも言えない気持ちになることもあるが結局のところ元々は「やりたいことをやる」が活動の根底にあったわけだし、これがやりたいことなので勘弁していただきたい。

8.Vtuber4年目後半、第2期Σリーグと2期VPL

「リーグ戦が終わるとどうなる?」
「知らんのか」
「リーグ戦が始まる」
結構最近の話ではあるが意外ともうこの頃のことをあまり覚えていない。
なんかやたらと忙しかったことだけ覚えている。
兎にも角にも第1期Σリーグが終わり、第2期Σリーグがすぐに始まった。
色々と準備に追われていたが、1期の時に作れなかったリーグのPVをなゆこさんがこの時初めて手掛けてくださった。なゆこさんはΣリーグに関する様々な制作物を作ってくださっている。細かいところがいい加減な私の手の届かないところに色々と気を配ってくださり、本当に助かっている。
この時のドラフトは準備に走り回ることになり、ドタバタしている間にあっという間にドラフト会議になっていた。
当然の顔をしてエントリーしていた私は新規参戦となった相川プロのTeam PandAaaaZから4巡目指名を受けた。2期ぶり3度目、代表になってからは初参戦。実はここまで指名は全て新規参戦のチームから受けている。

チーム名がだいたいチームメンバーから不評(ついでに相川プロの奥様の総帥こと嫁川さんからも不評)というとんでもないチームだ。相川プロ、まろちょふさんこと張替雅人プロとはずっと仲良くしてもらっていて非常にありがたく思っている。
育成枠で指名を受けたVPL生の仲間の室生鏡花くんの麻雀をリーグ戦期間に主に見ていたのは私だった。本人がビンタ希望だったので控室でも割と容赦なくビンタをしていたらスパルタ指導をしているとの噂が立っていたらしい。とはいえ大したことを言える身でもないのでシンプルなことしか伝えてはいなかったが。
リーグ戦では私はずっと借金持ちの人間の中日ドラゴンズだったが、鏡花くんとジュンさんへの指導役を平然と続けている謎の存在だった。
チームメンバーの一人の笹子ジュンさんは本稿を執筆中に募集が行われている第4期VPLのテストを受けるそうだ。
Σリーグで私やVPL生と関わったVtuberさんがVPLに興味を持ってくれて新たな舞台を求めてVPLの受験に向かってくれる動き、逆にVPLのメンバーがΣリーグに興味を持って、雀力水準が高く個人戦とは趣の異なるチーム戦の刺激を求めてドラフトにエントリーしてきてくれる動き、私としてはどちらもとてもありがたい。
私はどっちの団体も大切にしているし、相互にプラスに働くVtuberさんの行き来が生まれて両団体ともより盛り上がっていけたら素晴らしいと思う。

第2期Σリーグでは私は終盤に爆発しチームをプレーオフに連れていく原動力にはなれたが、プレーオフは完全に失速し敗退。
ちなみにPandAaaaZはなぜかこの記事を書いている2024年6月でも旧チームサーバーが動いていて結構仲がいい。私に機材トラブルがあり未だに解散配信をしていないがいつかやることはあるのだろうか。

第2期のVPLのリーグ戦はパンダの活動と並行して2023年の秋に始まった。
ここでも上振れを掴んでいた私は第1節、第2節とポイントを叩いて5位につけ、以降は送りバントで位置をキープして5位で最終日を迎えた。
この状況に置かれた時に焦るか、焦らないかは重要だと思う。
自分に都合のいい展開が起こる確率は何%か。着順の組み合わせパターンを出してみて数字を見ておくことで私は「こんなもんか、希望があるな」と考えるのが好きだ。押し引き判断に局収支を用いるのと同じで、数字を判断基準の基幹に据えると安定感が得られ、メンタルがブレなくなる。
加えて前期の体験があることでこの位置に置かれた時焦らず冷静に麻雀を打てることにかけてはとても自信がある。気負いや欲望で打牌や押し引きが狂うことがない、と自分に確信が持てているのは一つの強みだと思う。
だが、展開は向かなかった。素点を失っての3着から痛恨のラスを引いてドラゴンの冒険はここで終わってしまった。それどころか10位以内の入賞圏からも陥落してしまい流石に苦しくなった。

私はVPLの対局では対戦相手が分かっているので必ず相手の牌譜を何枚か見て、牌譜屋のデータ等も活用して相手のタイプや癖、副露のレンジや対応幅―立直を受けた時や下家が染め始めた時にどんな反応を見せるのか―を頭に入れて打つことにしている。
要するに乾貞治のデータテニスだ。自分を乾貞治だと思い込んでいる精神異常者になりながら相手の麻雀を研究するのは2シーズンやってみてちょっと好きになりはじめている。ちなみにだが実際に活きる局面がさほど多いわけではない。あくまで選択の補助的な役割を果たすに過ぎず、基本的には自分の基礎力が全てだ。乾先輩だってレギュラー落ちの後フィジカルを強化してレギュラーに返り咲いている。麻雀においてもあくまでフィジカルを磨くことが一番大事なことは変わらない。
だが、この日の対局相手の3人には私の抑えてきたデータと違う打ち方を見せられ、序盤の2半荘でデータテニスの敗北を感じた。いや、テニスではないけど。
だが崖っぷちに追い込まれるほど強くなるのが青春学園。いや、青学でもないけど。
「俺はたった今からデータを捨てる!」
最終戦は関東立海戦の乾先輩のように気合と根性で麻雀を打ってなんとか入賞圏内にだけは滑り込んで9位でのフィニッシュだった。
2期連続での入賞は私の他では稚児さんと2期連続次点というレアなことをやっている細谷さんしかいない。圧倒的に強いその2人と比べれば私は運量に依らしむるところが強いが、それでも結果は出せたとは言える。
首位打者にはなれていないが3割打てるアベレージヒッターとして、VPLの安打製造機を名乗ってもいいかもしれない。大島洋平さんを目指そう。

第2期の最終結果

9.4周年とVtuber5年目へ

第2期Σリーグ、第2期VPLがほぼ同じタイミングで終わり、息をつく暇もなく次期リーグ戦の準備が始まっていた。
そんな最中にPCが壊れ、関係各所に多大な迷惑をかけ、新しいPCにデータ復旧にとかなりの痛い勉強料を支払うなど個人的には大ダメージを負った春だった。

そんな騒ぎを経て第3期Σリーグのドラフトを迎えた。
今季も運営サイドは気合十分。なゆこさんの作ってくださったPVはまさきさんによるBGMの新アレンジと相まって素晴らしい出来だった。
また、今季は公式凸待ちを公式チャンネルで実施し、私も聞き手役をさせてもらった。毎回Xでドラフトへの熱量を観測させてもらっているが、凸待ちで直にエントリーされた方の熱に触れるたことでより一層その強さを感じられる機会になった。

Σリーグ公式チャンネルの収益化も達成し、迎えたドラフト会議では数々の魅力的な候補がエントリーしてくださっていたこともあり最大同接1600人突破という数字が出ていたのにはこちらとしても驚かされた。
リーグを大きくしたい、もっと見てもらえるようにしたいという思いを持って代表に就いた立場としてはこういう数字が出るのはありがたい。
今後もリーグのためにできることをやっていきたいと思う。

ドラフト会議ではまたしても指名漏れしているがそれはそれでいいことだ。それだけ魅力的な打ち手が多数エントリーしてくれたということなのだから。一人の麻雀打ちとして悔しく思う気持ちもなくしたわけではないがそれ以上にリーグ代表としての立場、視点が板についてきたと思う。

第3期Σリーグの開幕とほぼ同じ時期に、第3期のVPLのリーグ戦が始まった。
第3期からはAリーグ・Bリーグのリーグ分けがなされ、昇降級という要素もリーグに生まれることになった。
前期入賞だった私はAリーグ。まずは決勝の舞台に再び辿り着くことが目標だ。第1節から好調なスタートを切り、第2節は平均段位の高いハイレベルな卓だったがプラスにまとめることに成功した。ここまでは順調なのであと3節、できる限りの準備をしてベストな状態で臨みたい。
1期の時は何回か書いていた対局振り返りを今季こそは書きたいと考えているが、ここまで書けずじまいだ。第3節はなんとか書いてみよう。

第3期VPL途中経過

本稿を書いていて強く思ったことがある。私の麻雀が2022年くらいからあまりにも進歩していない。勉強量、対局量ともに不足しているのだろう。
決して満足できるようなレベルではないので修行を積まなければならないのだが、正直言って時間を確保できていない。このままではいけないのでここの姿勢を改めるところから5年目は始めないといけないようだ。
どうしてもリーグ代表としての行動・視点が出てくることが多くなってしまったが、打ち手としての向上心や闘争心は微塵もなくしてはいない。

Vtuberとしての活動ももっとしっかりやっていきたい。
今年になってからの配信はほぼコラボなどもせず(あっても準備ができないのでコラボ相手に頼り切りで自枠コラボが1つもない)、並んでるサムネがひたすら段位、段位、雑談、段位…とこれはこれで分かりやすくはあるのだがあまりにも殺風景だ。
去年までは私の枠でやっていた野球Vtuberのお祭り「リアルドラフト」も今年はPCが壊れた影響で私が作った企画なのに全て信号機の2人に任せてしまい、配信にも出れずという状態だったのは非常によくなかった。
リーグ代表という立場なので声をかけづらい(のかな?)と言われたり(多忙は事実ではあるけど)、怖い人だとちょいちょい思われているらしいのだが、実態はただのぼっちちゃんである。
普通にコラボとかVtuberらしいこともやりたいなぁと思ってはいる。
少し忘れているVtuberらしさを取り戻しながら、麻雀には一層の力を入れてなるべくたくさん配信できるようにVtuber5年目はやっていきたい。

あとがき

やっぱり長くなってしまいました。
いろいろなことがあったなぁ、と書いていて思ったけれど、やはりというかΣリーグに関わるようになってからがとても長く、濃い。ここには書ききれないことも色々ありました。

振り返ってみると、私には強みと言える部分がないです。
長く配信はしているけれど、特にトーク力が秀でているわけではないし、ナチュラルに面白いことができるわけでもないし、声が良いわけでもない。サムネイルや配信画面を作る能力もないし、動画編集スキルも低い。麻雀が強いわけでもなければ、カリスマ的な魅力があるわけでもない。
リーグ運営としてもシートを作ったりもできなければPVも作れないし、私が立ち上げた広報部はもう支えてくれる西向く侍さんがいなければ立ち行かない。スケジュール管理がテキトーなのでなゆこさんにつっついてもらってる。Σリーグに関する企画とかはリーダー陣がみんなしっかりしていて自分たちでリーグを盛り上げていってくれているおかげ。

私は助けてもらわないと生きていけない自信があります。

「てめえに何ができる!!」
お前に勝てる・・・お前・・・?
なんでしょう。。。
たぶんなんにもできません。麦らぁではないので。

だけど、運だけはいい。
何度も書いたけれども、色々な人との貴重な出会いがたくさんありました。
どうしても一部の人だけになってしまったけど、ここに挙がった人も、書ききれなかった人も、色々な人に支えられて今の私が活動できています。Vtuberを始めてから出会った人全員に改めて感謝。

それから、不器用なりにできることを一生懸命にやってきました。
運のよさと、とりあえず頭突き…じゃなくて体当たりで頑張ってみること。
これだけしかないというか、これだけでなんとかしてきました。
世の中そんなもんかもしれません。

特に目標もなく強制的にスタートラインに立たされて始めたVtuber活動だけどこんなに続くとは。私も思ってなかったし、元凶のおじさんからも言われます。
もうすぐ4周年で5年目に入ろうとしているわけだけど、登録者何人を目指すとか、こういうところに出るとか、そういう目標はずっとないままです。
Vtuberとしてはただ細く長く続けられたらそれでいいかな。
VPLはずっと続けたいです。まだまだもっと発展していくリーグだと思います。VPLの方でも何かやれたらなぁってずっと考えているのでそろそろ何か実行に移していきたい。VPLの今後に貢献したい気持ちも強いです。
そしてΣリーグ。やっぱり私は何もできないのでリーグ運営やリーダーの皆に頼り切りだけど、唯一できる"代表として立っていること"だけは続けていこうと思っています。Σリーグがもっと魅力あるリーグになっていくように私なりにできることをやっていきたいと思います。

先日、2020年6月の同時期にデビューしたVtuberの同窓会的な配信がありました。あやさんを除いて去年の同窓会からまる一年絡んでいないようなメンバーだったけど、何か安心感がありました。
4年も経つと結構な人数が引退したり、失踪したりして周りからいなくなります。去年は私のデビュー配信にも来てくれていた、デビュー当時推してたVtuberさんが引退して凸待ち配信で感極まったりもしました。活動を続けている人は本当に偉い。自分の道を選んだ人もお疲れ様。そんな中で私の身近にはあやさんや信号機の2人がいてくれるのは本当にありがたいですね。
同窓会の配信の中で、活動の話に及びました。
自分の中では当たり前になって過ごしてきていますが、もしかしたらかなり奇異なVtuber生活を送っているのかも、という気になりました。
何もないところから、それどころかVtuberになりたいとは1度も思ったことがないのに、今はVPLという団体に所属させてもらってPマークもつけさせてもらって、さらにΣリーグの代表もやらせてもらって、多忙ではあるものの非常に充実した毎日を過ごさせてもらっています。Vtuber活動はもう生活の軸どころか人生の軸というところまで来てしまったかもしれません。
そんなこともあって、書こうと思って途中でやめたりして放置していたこの記事を4周年の区切りに合わせて世に出す気になり、夏休みの宿題には夏休みが終わるまで手を付けない重い腰を上げてなんとか書き切りました。

改めて長文になってしまった拙稿を読んでくださった皆様に、4周年を迎えられることに、Vtuber穹憧るかに関わってくださった全ての人への感謝を。
いつもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

2024年6月 VPL1期生/Σリーグ代表 穹憧るか

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