心の拠り所、なかったなぁ
ある作家さんの記事で、昔の私を思い出した。
常に何かして、忙しくしていないと気が済まなかった。
本当は、ゆっくり余裕を持って、落ち着いて行動したかった。
でも、立ち止まると怖いのだ。
休むと、動けなくなる気がして。
自分の存在価値は、誰かの、何かの役に立っているという実感。
自分でも、そんな自分に疲れていた。
今思うと、母の影響が強かった。
彼女は、いつもバタバタしていた。
少しでも時間が出来ると、無理に用事をねじ込み、結局、待ち合わせ時間に遅れる。
近所だと、待ち合わせ時間に家を出たりもする。
私はそれを見て育ったので、それが当たり前だと思っていた。
しかし、3つ下の妹は冷静で、母と私の欠点を反面教師に、実にそつなく育っていった。
母はとにかく気が強く、人に頭を下げた所を見た事がない。
実際には、あったのかも知れないが、私は見ていない。
私が小学生の時、友達の編み針を、折ってしまった事があった。
すぐに謝るべきなのに、私はそうしなかった。
結局、あとで電話で謝ったのだが、その場ではしなかった。
「謝ったら負け。」いつか、母が話してたのを聞いた事がある。
教育上、実に良くない。
妹と話した事があるが、母は、いわゆる輩(ヤカラ)なのである。
よく冗談で、やーさんは、ルールがあるから、輩の方が怖い、と言う。
輩は、勢いだけで我を通すから、ホントにたちが悪い。
母は、よく待ち合わせに遅れるくせに、人の遅刻は許さない。
最近はマシになったのだが、ありがとうが言えない。普段から、感謝の気持ちが足りないのだ。
自分至上主義なので、人を褒める事も無かった。
当然、私達姉妹も、褒められた事は殆ど無かった。
2人とも、出来ないのが嫌だから、ちゃんと勉強をしたし、一見、品行方正だったが、内心とてもストレスを抱えていた。
母は、妹が小学校入学と同時に、フルタイムで働き出した。
家事は完ぺきだったが、子どもの事は、ほぼ放ったらかしで、私は、友達のお家の人に、とてもお世話になった。
友達の家に帰宅し、おやつを食べさせてもらい、そのまま習い事へ行く。
この状況、母は知っていたのだろうか?
私だったら、菓子折り持って、挨拶に行く所だ。
そもそも子どもに、その日何があった?とか聞かないから、分からないか…。
私は、持病持ちのため働く事が出来ないが、そのおかげで、息子の成長を日々すぐそばで感じられて、とても幸せである。
こんなに穏やかな日常を送れる日が来るなんて、若かりし日の私に教えてあげたい。
出来れば、心のケアもしてあげたい位だが、それも余計なお世話になりそうだから、そっとしておこう。