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古代史:アフガニスタンから東へ (2)

アッシリア捕囚後に北10部族が最初に向かったのはアフガニスタンです。
そこにコミュニティを作って、ひとときの定住生活をします(宿営地とよぶことにします)。老人や女性、子供に家畜までいたはずです。東に向かうには広大なチベットのヒマラヤ山脈がそびえているので、アフガニスタンの山岳地帯は休息をとりながら今後の作戦を練る宿営地としては適していたのかもしれません。

ちなみに、一部はそのまま定住しました。アフガニスタンのタリバンは10部族の子孫として考えられます。タリバンはアフガニスタンの最大民族であるパシュトゥン人とイコールで、アフガニスタン人口の45%と東に隣接するパキスタンで11%を占めています。外見や人名と部族名、風習などがそっくりそのまま引き継がれています。残留した10部族のパシュトゥン人は心にユダヤ教の信仰を残しながらも表面上はイスラム教に改宗したと考える研究者もいるようです。現在のタリバンとイスラエルとの対立が皮肉です。

アフガニスタンのヘラートやカブールに宿営地を設けた10部族は、一旦落ち着いたあとに東へ向かう綿密な計画を練ります。ヒマラヤ山脈を超えて東に向かうためには、北から回り込むか、南から回り込むかしかありません。調査隊の聞き込みの結果、最初に最短距離の北ルートに先遣隊を派遣することとしました。メンバーには屈強な兵士が多いガド族を中心に構成されました。ずっと歩き続ければ片道で1-2年で到着するでしょうが、宿営地を設けながらで、しかもアフガニスタン拠点に帰還し報告するということになると数十年〜百年近く要する大事業になります。


北ルートと南ルート

先遣隊が北ルートの宿営地として最初に向かったのがカシュガル(中国新疆ウイグル)です。世界で2番目に広いタクラマカン砂漠を避けて北の山沿いに進みます。
そこで、宿営地を設けると、北の山を越えたキルギスにも向かったようです(年代は不明ですが)。
キルギスには昔からマナス叙事詩の伝承がありマナセ族の内容とそっくり。マナスとヤコブが同一人物とわかっています。習慣も古代イスラエルと同じです。キルギス人は日本人そっくりで、「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚を好きな者は東に渡って日本人となった。」という伝承があります。これは山幸彦と海幸彦の話とそっくりです。

先遣隊の2番目の宿営地がトルファン(中国新疆ウイグル)です。人と物が豊かな地域という意味だそうです。

3番目の宿営地が敦煌(中国甘粛省)です。シルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市ですが、シルクロードが始まったのは500年ほど後世(BC114年)の漢の武帝の頃です。

結構大変な旅路ですよね。宿営地ごとに10部族は子孫を残していることも興味深いです。
砂漠地帯を抜けたここからは、中国の大地を東に向かうこととなります。




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