Moさん

ただのオタクです

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続・今年もよく生きました。

不安定な気温に生活のありとあらゆる箇所を左右されながら、気付けば年末へのカウントダウンが刻一刻と進む。 何も変わらなかったような、全てが変化したような、そんな365日を、今年も思い返しては涙して、消えてくれない煩悩を笑おう。 証人 2023年という年は、私たちにとって特別な年になった。 2023年が始まる前から、何かと頭に「10周年」が付いて回り、今年は特別だからとありとあらゆるものに力が入る。 昨年の雨雲を吹き飛ばすような1月の夏から始まり、 集大成と新たな悔しさを

    • 2023.09.07

      肌を照らす陽はまだ真夏のようだと言うのに、髪を揺らした風がもう秋のものだと気が付いた。そういえば、随分と日も短くなったような気がする。 ふと目を閉じて、10年前の今日を思い出す。 10年前の私は、片田舎の冴えない女子中学生であった。 或いは、無邪気に遊ぶ男子小学生であった。 或いは、毎日机に齧り付く受験生であった。 或いは、子育てに奮闘する新米ママであった。 或いは、或いは、或いは、 或いは、小さなライブハウスのステージに友人と立った、活動者のひとりであった。 分岐

      • 卒業

        このnoteは浦島坂田船春ツアー2023 彩 のネタバレを含みます 私の青春は、浦島坂田船と共にあった。 ありふれた日々も いつしか誇れるように 大学1年生、春。 浦島坂田船の曲に背中を押されながら歯を食いしばって受験を乗り越えて、私は晴れて大学生になった。 4月、丁度「令和」という元号が発表されたその日に、私は新品のリクルートスーツで大学の門をくぐる。 ちょっとだけ特別な人間になったような、全くその逆のような感覚がした。 慣れない新生活、重たい教科書を詰め込んだリ

        • 君じゃなきゃだめみたい!

          そこに座るのは、あなたじゃなきゃ嫌だと言った。 空席 幼稚園の頃、手がかかる子どもだった私は、食事の時隣に座るのは母じゃないと愚図る子だった。父でも祖母でもダメで、ベビーチェアの隣の席は決まって母の席だった。 年月を重ねて私がひとりで食事をできるようになっても、その席にはずっと母が座っている。 小学校の頃、初めて好きな男の子ができた。席替えで隣になった、サッカークラブに通う男の子。私の隣は彼じゃなきゃ嫌で、こっそり先生に「席替えしたくない」なんて頼み込んだこともあった。

        続・今年もよく生きました。

          今年もよく生きました。

          麻薬みたいだと嗤った。その通りだと頷いた。 けれどそれがいいと、君も私も泣いた。 麻薬 アフタヌーンティーに誘われた。 何とかという都内のホテルの、何とかというアフタヌーンティー。お洒落な格好をして髪を巻いてそのアフタヌーンティーを頂きながら話をするんだそうだ。手元のスマホで調べる。そのアフタヌーンティー1回でライブに1回行けることに気付く。断る。1回休み。 家族旅行に誘われた。 父の有給休暇を兼ねて、久しぶりに家族で旅館にでも泊まろうかということらしい。日程を聞いた。

          今年もよく生きました。

          浦島坂田船夏ツアー静岡公演は最高だったって話をさせてください。

          2019年、過去最多公演、ファイナルは幕張メッセでの夏ツアーを無事完走させた浦島坂田船。 次なる目標はアリーナ。2020年の夏は7周年目のアルバムを引っ提げてアリーナツアーを回る、はずだった。 2020年2月頃から流行した某憎きウイルスによって、開催が決定していた春ツアーも予定されていた夏ツアーも全部が無くなった。 悲しみと虚無感と悔しさと、色んなマイナスな感情から救ってくれたのは、浦島坂田船の配信や動画投稿やツイートや彼らの言葉だった。 苦しい1年間を乗り越えて2021

          浦島坂田船夏ツアー静岡公演は最高だったって話をさせてください。

          着物とかぼすと推しのライブ

          「これから何処か行かれるんですか?」 レジを打ちながら、人当たりのいい笑みで店員のお兄さんがそう言った。スタバでこうやって話しかけられるのは特段珍しいことでもなかったので、こちらもマスクの下で笑顔を返す。 「昨日ライブがあって、今日はもう帰るだけなんです」 「そうなんですね!お疲れ様でした」 お兄さんからレシートとトレーを受け取って、左手の受け取りカウンターに向かいながら、私は自分の姿を見下ろす。紫色の着物にエメラルド色のスカート、黒い羽織。どう見ても“これから何かあ

          着物とかぼすと推しのライブ