「ああ、しんどいな~」が言えたら

この1か月は自分のなかでけっこうしんどい期間だった。

「ああ、しんどいな~」と心の中で何度つぶやいただろう。

親族の死去、家族の病状悪化、仕事の悩み…

時間が過ぎていく中で整理が追い付かないこともあったり。

でもそれって他人にとっては何にも関係ないことで、自分がしんどいことをわざわざ伝えることもなく時間が過ぎていく。

その中で支えだったのはパートナーの存在だった。

どうしようもなくて思わずしんどい気持ちを話した時、ああこの人がそばにいてくれて良かったなと素直に思えた。

同時に誰かにとってそいう存在でありたいなとも思った。

自分が大切にしたいと思える相手に対してという意味はもちろん、

ソーシャルワーカーとして寄り添うの意味も考えていた。

といいつつ、寄り添うって言葉は正直あまり好きではない。

どんなソーシャルワーカーでいたい(なりたい)ですか?みたいな質問に「寄り添えるソーシャルワーカーでいたいです」と答えている人をみるとその寄り添うの中身を教えてくれよ!と返したくなる(笑)

ソーシャルワーカーにとって何をもって寄り添うと言えるのか。

クライエントの話を傾聴すること。

クライエントの気持ち受容すること。

クライエンの思いに共感すること。

いわゆるバイステックが意識(実践)できれば寄り添えていることなのか?

学校ではテクニカルな部分での寄り添いとは何かを面談場面などを想定して方法論的に学んだ覚えがある。

でも実際の現場ではどうだろうか。

寄り添った支援が何かを具体的に言語化できる実践者どれだけいるのか。

私もできていない実践者の一人である。

そんな中で私が感じるのは、初めから「ああ、しんどいな~」と発することができるクライエントはほとんどいないということ。

逆に「大丈夫」「何とかします」のような一見ポジティブな言葉を使っているクライエントの方が多い。

でも関わりの中で分かってくるのはその言葉の裏には、遠慮や羞恥心、現実逃避のような意味が含まれていることが少なくない。

そんな時、パワーレスになっているかもしれないクライエントの本当の言葉を引き出すことができるのがソーシャルワーカーという存在であり寄り添うの意味がそこにあるんじゃないかと思っている。

私自身、「ああ、しんどいな~」という言葉を誰かが受け止めてくれときの安堵感は忘れられない。

これは対クライエントだけでなく、支援者間でも同じ話である。

最近、職場内でピアスーパービジョンを始めたのだが、それに対して「何をしているのか」「ただ愚痴を言っているだけじゃないか」という見方もあるのも知っている。

けれど、こういった場でしか「ああ、しんどいな~」が言えない人がいるのが現状でそれを受け止める場と時間が必要であることも現実である。

「ああ、しんどいな~」が言える環境や関係性があること(作ること)が寄り添うってことのかなっと、このしんどい期間で見つけた私にとっての収穫である。


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