「良い検査」と「ダメな検査」があるという話+専門家はそれをどう話すべきか

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直近の2回(1回目2回目)、「検査を感染抑止につなげるには?」という主題のエントリを書いた。その中で、大まかに言えば「良い検査」と「ダメな検査」がある――良い検査とは「感染者が二次感染を起こす前に隔離することにつながる検査」であり、その目的を果たせないのがダメな検査だ、ということを書いてきた。

このシリーズのまとめとして、ニューヨークタイムズ(NYT)すらニューヨークの大量検査を防疫の役に立たない「ダメな検査」と位置付けている、という話をして、ダメな検査を避け良い検査を増やす方法を考える。

現地市民すら批判するニューヨークの大量検査

NYTの記事によれば、ニューヨークの検査待ちの時間、検体を提出してから検査結果が返ってくるまでの時間は、伸びに伸びている。記事中で指摘される待ち時間は、クオモ知事が多くの検査所では2.4日の待ち時間である主張しているものの、「[検査数の3割を占める]公的研究所に送られた一部の検体は、平均6〜10日、時にははさらに長い待ち時間になった」「2週間近く」「一部の診療所では待ち時間の中央値は9日」等かなり長くなっていることが指摘される。

最近の知見から明らかになっている通り、新型コロナウィルスにおける典型的な経過では、感染から1週間で二次感染の過半が起き、2週間で二次感染のほとんどが起こってしまうとされる。そのため、検体採取から結果が返され隔離するまでの時間が増えると、効果は二次感染の抑止効果は大きくそがれ、最近出た論文によると、およそ24時間ごとに再生産数の削減効果は3割失われ、検体採取後即隔離すれば二次感染を40%抑止できたような条件でも、隔離まで2.4日かかると15%程度しか抑止できなくなるとされる。まして結果が返ってくるまで1週間ともなるとほぼ二次感染を起こし尽くしており、それから隔離しても感染制御にはほとんど貢献しない。NYTの記事の問題意識はそこにあり、ビル・ゲイツが同様に検査結果が返るまでのラグを批判しているのもそれが理由である。

結局(初期に接触追跡体制が不十分だったことと併せて)今までニューヨークで行われている大量検査は感染者を減らす役に立っていない、というのはニューヨーク市民も指摘するところである。これを受け、「二次感染が発生する前の隔離に繋がる良い検査」に変えるべく、検査キャパシティに合わせて検査人数を絞る方向に動いているようだ。

One prominent local official has even proposed the drastic step of limiting testing.
(ある有力な地元当局者は、検査を[受ける人を]制限する思い切った措置を提案さえしています)
――Testing Bottlenecks Threaten N.Y.C.’s Ability to Contain Virus. The New York Times. July 23, 2020.

なお、ニューヨークの感染の抑え込みは今も続く外出規制に負うところが大きいと考えられる。タイムズスクエアのライブカメラを見ても、昨年同時期と比較して考えられない閑散とした状況が続いている。

なぜ「ダメな検査」が出来上がったのか

ニューヨークでなぜ「ダメな検査」が広がってしまったのか。根本的な理由は、政治中枢が「良い検査」と「ダメな検査」の区別を認識していなかったことにあろう。クオモ知事の補佐官であるガレス・ローズ氏は「無症状者の結果が5~7日遅れたとしても問題は少ない」とコメントしているが、発症前の感染者を見つけ出すことが新型コロナウィルスに対しては重要であり、さすがに記事中でも政治家の認識不足の例として批判の対象となっている。

「ダメな検査」が増えたのは、そういった認識不足のもとで日あたり検査数(スループット)を増やすことだけを目標とした結果、遅れが起きやすいがとにかく数だけ増やせるような手段が優先された、という側面はある。

例えばアメリカの検査は民間の大型検査所が担うところが大きく、記事によれば全米の半分以上、NYの7割がそれだそうである。そういった設備を利用しようとすれば検体の輸送のロジスティクスを確立しなければならないが、「検査数」と言う数字=スループットだけを気にして遅れを気にしければ、ロジスティクスは後回しになり遅れてもいいからまとめて大量に処理する方が選ばれやすくなる。

また、ニューヨークは希望者全員に検査と言う方針をとったため、スループット以上の検査を受け付け、それによって遅れが蓄積した。地元当局者がスループットに合わせた検査人数制限を検討していることからもそれは明らかだろう。「希望者全員」の方針は表面的には世論に沿っていたものとは言えるが、結果的に全部の検査を無意味なものと化したのは、政策としては本末転倒もいいところである。

これは政治家の認識不足に起因することろで、回避できたものである。クオモは自分の責任を認めることは厭わなかったし有権者もそれを受け入れていたのだから、「検査および検体輸送キャパシティ拡大が間に合わないことは為政者として謝罪する、しかし検査の効果を確保するためにキャパシティに合わせた人数制限はする」と言えば済んだ話だろう。有権者の意を汲もうとするのはいい。しかし、有権者の意を汲もうとして逆に有権者の意に沿わない結果を生んだのだとしたら、政治家とは、専門家チームとは何のためにあるのだろうか。

※この記事単品で読んだ方は「速ければいい」だけが印象に残るかもしれないが、「感染者が二次感染を起こす前に隔離することにつながる検査」の要件はいろいろあるので直近の2回(1回目2回目)も参照して頂きたい。

寄り添うことと曲学阿世と

私が書いた最近の2本の記事は「検査拡大に水を差す記事」という読まれ方が少なくなかったように思う。しかし、ここまで書いた通り、検査拡大するなと言っているわけではなく、「良い検査」と「ダメな検査」があるから「ダメな検査」は避けて「良い検査」を増やしましょう、と言う話である。記事を書いた私の腹積もりとしては、むしろ世論が真に求めているもの――検査によって感染を抑止することを重視したつもりである。

私は、専門家と世論は本質的に対立するものではないし、専門家が世論に寄り添うことは可能だと考えている。ただしそれは、世論の求めに対してありうる行動セットとそれがもたらす結果の予測を示すことであろうと考える。

いくら世論が突き上げたからといっても、世論の通りに世界が動くわけではない。地震を予知したりその発生を防ぐ事は世論はいくら求めようともできることではないし、仮に求められても「それは不可能」と事実を告げるのが専門家に求められている行動であろう。今回の、やみくもに検査数を増やしても「ダメな検査」になりがち、という話も同じである。

ただし、世論の要求に対してそれをぴったり実現するものがないにしても、ありうる範囲でそれに近い選択肢――今回なら感染制御に資する「良い検査」があることを提示することはできる。専門家に求められることとはおそらくそれだろう。

同じ世論に寄り添うといっても、専門知から得られる(より精度の高い)予測や提案なく、ただ学者の肩書だけを恃みに世論に迎合しているだけならば、それは曲学阿世と言わざるを得ない。もちろん専門家自身が何か不安に思い、文献の読み込みもせず「良い検査」と「ダメな検査」の区別もせず、ただ検査を増やせと言ってみるのも構わない。ただそれは誰しもが平等に持つ1票の重みの範囲で行われるべきであって、専門家の肩書をつけて行われるべきものではない。

人間のできることには限界がある以上、できない事をごり押ししても無益であり、むしろ目的から遠ざかることになる。曲学阿世の徒は最終的には世論が本当に求めているものから遠ざけているという意味で、一見寄り添っているように見えて実は害を与えており、私にはそれは世論に対する裏切り行為に見えてならない。

学者様が大上段から世論を否定しても世論の理解は得られないだろう。一方で専門知を捨てて権威だけを振りかざして世論に阿って見たところで、やはりそれは世論にとって害になろう。動機に寄り添いつつ、学は曲げない。これが専門家と世論の適切な関わり合い方であり、最終的には、それを政治家がフィードバックして意見を取りまとめると言うのが、穏当なあり方では無いだろうか。





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