類書の紹介

本書と類書の相違点

「はじめに」にも書いたように社会の構造より女性自身の選択の問題と言いえる状況に到達したのは、過去の努力のおかげでもある。また、現在の問題がすべて女性自身の選択の問題であるわけではなく、構造的なものがあれば改善していかなければならない。私達が何を改善してきて、更に何を改善すべきなのかおさらいするため、まずはじめに近年の類書を6つピックアップし、その内容を少し紹介させていただく。

類書6選


治部れんげ『稼ぐ妻・育てる夫 夫婦の戦略的役割交換』(勁草書房, 2009)

この本は、産休が発達していないアメリカを舞台に、ワーク・ライフ・バランスを確保するために夫婦間で仕事と育児の分担をどう決めるか、丹念なインタビューを重ねて描きだしている。日本には育休制度があるが、育休制度があってもワーク・ライフ・バランスは実は夫婦間のバランスであるということはあまり変わらない。この本は、その点をより深く抉り出していると言えるだろう。

専業主夫の存在を一章を割いて描き出しているという点は、類書の中でも異例である。後に説明するが、主夫の存在は女性の選択肢を広げる上で重要な存在だが、なかなか言及されることがなく、それについての貴重なケーススタディとなっている。

著者は本書で問題にする「管理職は長時間働けること自体が一つの職能上の要請である」という事実に正面から向かっているという点でも、私としては大いに参考になるところである。著者のスタンスは私のそれに近く、本書は彼女を想定読者の一人としている。(@rengejibu)


中野円佳『「育休世代」のジレンマ女性活用はなぜ失敗するのか?』(光文社, 2014)

「はじめに」でも触れた通り、高学歴で、経済的にも豊かで心から愛せるパートナーと恋愛結婚し、就職にも成功して出世コースに入り、子供も授かり育児の喜びを享受している女性が、時間的問題でそれら抱えきれなくなって自滅するジレンマを描いている。

別途書評で論じたように、それらのジレンマは、主夫になってくれそうな人と結婚する「戦略的結婚」で解決可能だが、そんな恋愛はできない――結果として妻がケアワークをするのは大前提となるので、その範囲内で男性の育児参加を増やし、産休・育休で長期離脱した女性向けに《時短勤務可能なマミートラック用出世コース》的なものを用意しろ――という論旨で結んでいる。

この本は本書の執筆動機の一つは、具体性に欠けるその提案に対して現実的に実施可能な答えをぶつけることであり、中野円佳氏は本書の想定読者の1人である。(@MadokaNakano)


濱口桂一郎『働く女子の運命』(文藝春秋社,  2015年)

日本のジェンダー労働史の通史と言える書。明治から戦時、戦後から現代までの女性の労働を俯瞰し、戦後労組側が男が働き女は専業主婦となる前提の「生活給」を要求していたこと、男女雇用機会均等法の施行、そして「育休世代」のワーク・ライフ・バランスまでが語られる。そしてその通史から、いわゆる日本型雇用=メンバーシップ型雇用が休職からの復帰にペナルティを与えて女性の社会参加を阻んでおり、タスクに対して人を募集するジョブ型雇用への転換が必要であると説く。

本書の問題意識からすると、この本の視点は、女性は必ずケアワークを行うという前提から逃れておらず、社会的指導者層に就くことに消極的なまま止まっている。終章の小見出し「マミートラックこそノーマルトラック」「女性の『活躍』はもうやめよう」という提言にそれが表れているだろう。

本書はその結論に対し、ジェンダーギャップ指数が「女性の『活躍』」を要求している以上それにこたえなければならないという視点で回答していく。(EU労働法政策雑記帳)


筒井淳也『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(光文社, 2016年)

この本は「家族」の在り方を社会学的視点で近代日本の通史として見たものであり、家族の形成のされ方(=結婚のしかた)や、家族という単位にどのような機能が期待されているかといった要素が時代的変化を描いてる。最終的には、男女平等な家族を経て、家族という枠組みへの依存度を下げていくことが望ましいとしている。

私から見たこの本の特徴は、第4章を丸々割いて拙ブログ記事「男女平等、格差対策、少子化対策のトリレンマ」(2015)へのアンサー的な記述が入っていることである。税制による共働き、世帯格差、出生力への影響が一種のトリレンマになっていることがわざわざ表入りで解説されており、それはとりもなおさず男女平等、格差対策、少子化対策のトリレンマのことである。途中で出てくる世帯格差拡大の模式図は拙ブログの図まんまであったので印象に残っている(この本の初版は拙ブログ記事のちょうど1年後である)。なお、この本では下方婚忌避(上昇婚)という言葉は使われず、現実に観測される結婚パターンの成因を、同類婚、それも上位から順にマッチングするアソータティブ・メイティングではないかとしている。

この本では、男女平等な家族を経て、家族という枠組みへの依存度を下げていく志向があるため、「妻が夫に内助の功を期待する」といった枠組みはあまり出てこない。 (@sunaneko)


イリス・ボネット(著)池村千秋(訳)『WORK DESIGN 行動経済学でジェンダー格差を克服する』(NTT出版, 2018年)

この本の基本コンセプトは、人々の中に無意識に存在している男女差別や、職場内の慣行にある潜在的男女差別を列挙し、それをメカニズムの変更でどう回避できるかということを主題としている。職場での仕組みづくりにおいては極めて実践的な本である。

本書と共通する問題意識として、第Ⅱ部終盤にて、マネジメントやファイナンスでは時間拘束に強い従業員が優遇されやすい一方、科学技術や医療の分野ではフレックスな労働スタイルが受け入れられ、薬剤師が女性に人気の職種となっていることが紹介されている。

また、基本的には類書の共通点がこの本にも見られ、労働時間拘束がフレックスである職場がデフォルトであるべきだ、という議論を行っており、職場の仕組みづくりが主眼である。


山口慎太郎『「家族の幸せ」の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実』(光文社, 2019年)

この本は、結婚、出産、子育て、離婚といった家族にまつわるイベントについて、教育や政策による介入の効果がどこまで存在するかを経済学的手法を通じて解明した成果を紹介している。「母乳育児は効果があるのか?」「幼児教育はどのような効果があるのか?」といったテーマは、多くの子育て中の親に響くものだろう。

本書と共通する問題意識としては、育休について記した第三章に以下のような記述がある:「数カ月から1年程度の育休がキャリアにとって「致命傷」となってしまうのは、ごく限られた高度な専門職、管理職などにとどまります」――裏返せば、管理職トラックにおいてはそれは致命的である可能性を指摘しているわけである。

基本的には類書の共通点がこの本にも見られ、女は当然育休を取るし、そのうえで男も育休を取るべきだという論旨となっている。(@sy_mc)

類書に足りないもの

類書には共通して下記のような特徴が見られる。

暗黙の了解として、普通の女性はケアワークを必ず行う。ケアワークを行っても不利にならないよう、ワーク・ライフ・バランスを保ちやい労働形態をすべての職場で確立すべきである。そのような労働形態であれば男性もケアワークに参加しやすい。

このような方針は、女性の意見の最大公約数といっていいものである。濱口(2015)が「子供を抱えて働く女性が例外ではなくむしろ普通の存在」と書いているように、子育てする女性を普通とみなし、この普通の女性に合わせたワーク・ライフ・バランス(WLB)を追求する政策が望ましい、という提案になっている。

・管理職を選びたい女性の選択肢を狭めていないか

しかしながら、世の中にはWLBを追求しやすい職種とそうでない職種と言うものがある。例えば、マネジメントやファイナンスでは時間拘束に強い従業員が優遇されやすく(Goldin, 2014)、「ごく限られた高度な専門職、管理職」では産休は不利である(山口, 2019)。類書にあるような、「普通の」女性をターゲットにしたWLBしか見ていない提言は、管理職トラックに進むことを望む女性を無視しており、選択肢の拡大という女性の社会進出運動が本来持っていたものを損ねてしまう――私はそう考える。

類書でも職種間の時間拘束の違いは、わずかだが確かに触れられており、現実的にそうなっていることは認識できたはずである。それにもかかわらずそれを前提にした提案を行っていないのは、おそらくだが、これらの職種を含めすべての職種でWLBを導入するという可能性を捨てていないからであろう。私もそれは模索したが、残念ながら、これらの職業では{1人でやっていた仕事を2人で分担する}ことに制限があり、職能が時間拘束を要求するのではないか、と考えている(この点は後に詳述する)。

また、様々な男女格差の国際比較によれば、日本の男女格差はおおむね先進国として満足できる水準にあるものの、女性の管理職・政治家の少なさだけは際立って悪いということが指摘されている。「普通の」女性だけをターゲットにした類書の提案では、その問題を解決できないと私は考える。

・ワーク・ライフ・バランスを選びたい女性の選択肢を狭めていないか

職種によりWLBの取りやすさは異なる。少なくとも、これは現実に観測されている事実である。裏を返せば、WLBを優先するならば、おのずからそれが取りやすい職種を選んだほうが有利である。

類書では、職種によるWLBの取りやすさの違いをあまりに軽く扱っている。その結果どうなるか――WLBの充実を望む女性が管理職トラックに入ってしまい、「育休世代のジレンマ」で示されたような自滅パターンに入ってしまうことを防げていないのではないかと考えられる。実際、私はこの問題をSNSで提起して以降、少なからぬ女性から「専門職ならWLBが重視できるともっと早く教えてほしかった」というような声をいただいている。

言い換えれば、WLB一辺倒の提案は、WLBを重視したい女性から職種の選択という選択肢を隠してしまい、選択肢の拡大という女性の社会進出運動が本来持っていたものを損ねてしまっていた――私はそう考える。専門家の手になる類書がありつつも本書を書いた動機は、その点への不満である。

本書の問題意識

以上のように、本書では女性の中にも出世を優先する人やWLBを優先する人など、様々な女性がいることを想定している。WLB一辺倒の提案は、暗黙に「普通の」女性のみをターゲットしており、女性の多様性を軽視していないだろうか。

21世紀においては、個々人の違い、多様性をもっと尊重し、それぞれの人がそれぞれの選択をできるということをもっと重視すべきではなかろうか。21世紀にふさわしい女性の社会進出の形は、そのようなものであると私は考える。

この問題意識をもとに、本書では下記の2つの解決策を提案し、それぞれの実現可能性、実施した場合の問題点について検討していく。

1. エグゼクティブ(社会的リーダー; 政治家や役員、管理職)はその職能が強い時間拘束を要求する。このため、女性がこのキャリアを望む場合、時間の捻出ができる選択をすることが望ましい。特に、戦略的結婚によって(主夫の)内助の功を選択することが効果的である。(これは社会的リーダーの男女格差の大きさという日本全体の問題も解決する)

2.  ワーク・ライフ・バランスを重視し戦略的結婚を選ばない女性にとってもっとも働きやすく、待遇ややりがいも確保できるのは、(公的資格のある)専門職である。

本書の問題意識はなぜ類書で無視されてきたのか

女性の労働問題を扱った類書では、職種による時間拘束の違いをおぼろげに認識しつつも無視してきた、と言ってよい。なぜこの要素が無視されてきたか――それは、この要素を扱った提案は「政治的に正しく」ないものに陥りがちだからであろう、というのが私の推測である。

類書で指摘されるように、忙しい職業では、子供を産み育てる時間的制約との仕事の時間の確保の齟齬が常に発生する。この状況を{出産と育児の自己決定権であるリプロダクティブ・ライツを職場によって侵害されている}と捉える人は少なからずいる(少なくとも主観的にそう感じる人は確実にいる)。この齟齬を、主夫をしてくれる男性を選んで結婚する「戦略的結婚」により解決することは可能性としてはあり得るが、この選択を感情的に受け入れられない女性は多く(中野, 2014)、またここにも齟齬がある。

ワーク・ライフ・バランスを重視する女性に、それを確保しやすい職種を勧めるというのも実は倫理的問題がある。どの職種を選ぶかという選択は、学生時代から始まっている。つまり、この選択肢の提示は、学生に行わなければ意味がない。しかし、ワーク・ライフ・バランスを重視すること――いわば女性がケアワーク担当になることを前提とした啓蒙活動を教育段階で行うのは、偏見をもとにした差別であるという問題と常に隣り合わせになる。

すなわち、これらの議論をしようとすると、常に「政治的に正しくない」とされることと隣り合わせになる。この危うさがあるため、「良心的」「知識人」にとってはその可能性を提示することすら憚られることである。

しかし、そこで窮していては、{戻れるならWLBとやりがいを両立できる専門職を選びたかった女性}や{エグゼクティブのキャリアを希望していたのに戦略的結婚ができず主婦になって鬱々としている女性}が生まれることを防ぐことができない。この問題に切り込み、そういった女性に選択肢を提示するのは、匿名のいわゆる「ネット論客」である私のほうが適しており、それこそが本書の特異性であり役目であろうと考えている。本書では、これらの齟齬がもたらす倫理的問題に真正面から取り組み、女性の選択肢を拡大し、一人一人の女性がそれぞれ望む道を進める道標を提示したい。

では次項より、これについて詳しく説明する。

<<はじめに 目次>>

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現在執筆中です。現在は第二章まで、いわゆる「上昇婚/下方婚忌避論争」のメイン部分まで来ています。第三章以降を書くとフルの新書サイズになるため、値上げするかもしれません(すでにご購入いただいている方には影響がないはずです)

現在執筆中です(第二章まで仮の脱稿をしました)

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