「女性の社会進出のためには女性にケア労働をさせる必要がある」パラドックス
フォロワーの方はご存知と思うが、筆者は女性の社会進出のために何が必要かというテーマでこの1年ほど書き続けている。その中で一つ気になっているのは、社会進出する女性はしばしば女性のケア労働を求め、ジェンダー分業を固定化させてしまうというパラドックスの存在である。この項では、それについて簡単に説明する。
男性の育児は忌避される
一番大きな問題は、女性は男性の育児参加に強い忌避感を持っているということである。近年は保育園不足・保育士不足が叫ばれることが多いが、その中で、いくら保育士不足でも男性保育士に預けるのは絶対に嫌、という意見がメディアをにぎわせたことがあった。女性の大半が異存なく認めることができる男性の育児参加は《自分の配偶者が自分の子を育児する場合》に限られている、というのが現状である。
言い方を変えれば、女性自身が育児・ケア労働は女性が担うべきと考えている、ということである。このことは、ジェンダー分業の解消、社会全体で育児・ケア労働の男女均等化をするという目標に対して、厄介な問題を引き起こす。
女性は金がない女性を下働きに使いだす
自分は外で働いており、育児をする時間がない。結婚していたとしても、夫も仕事で忙しい。そこで育児労働を外注したい。ただし自分の夫以外の男性の育児参加は気持ち悪い。その結果何が起きるか――別の女性を育児労働に求めるようになる。
有名なのはシンガポールや香港の外国人メイドだろう。当地では、フィリピンやインドネシアから月7万円程度の月給で住み込みメイドを雇うことが制度化されており、メイド専用のビザがある。このビザは妊娠したら即退去、通常ビザでの滞在で永住権が認められる年限滞在しても永住権が認めらないなど差別的待遇であり、その立場の弱さから虐待を受けることもしばしばで、アムネスティによる告発の対象にもなっている。
また、同じようなことは異文化交流ホームステイ制度(オペア)を抜け道としてデンマークなど他の先進国でも行われていることがレポートされている。アメリカなどでも不法移民の女性に対して通報をちらつかせながら最低賃金以下で住み込み家政婦をさせるナニーゲート事件が散発的に報告されている。
日本ではこのようなシステムは使われていないが、多忙な母親やシングルマザーへの支援として可能な限り長時間預けられる保育園がしばしば求められる。そして男性保育士が忌避されることはすでに述べたとおりである。
上記の住み込みナニー・メイドや長時間保育を担当する保育士は、社会進出した女性の《主婦》として機能している。女性たちが社会進出し(20世紀的価値観での)男性ロールを担い――フルタイムでの共働きやシングルマザーまたは同性婚を選択し――そのサポートとして《主婦》となるケア労働者を雇った場合には、女性が「オトコ化」して一人男性と同様の存在にスイッチしたと考えることが出来る。
オトコ化はそれ自体に善悪損得を論じることはできないが、ことに少子化対策というレンズで見た場合には損得を定義できる――女性1人をオトコ化して《主婦》をあてがっても、少子化対策としての効果は主婦女性への支援の高々半分にしかならない、ということである。例えば、バリキャリ女性が10時間以上の長時間保育を必要があったとしよう(※8時間を超えると労基法上保育士が2人以上必要になるほか、ベビーシッターは法的にマンツーマン義務付け、保育士の配置基準では0歳児3名に保育士1名となっているが、これはあくまで最大で、現実には定員の未充足や、法律で定められる病欠等への予備職員のため小規模保育所では8時間でも0歳児はマンツーマンに近いのが現実的な数である)。少子化対策のことだけ考えれば、バリキャリ女性の1人の子供に保育士2人を張り付けるより、2人の保育士自身がそれぞれ子を持つよう促したほうが手っ取り早い。保育士も自分の子供を産むと職場を離れるため(そのため穴を開けないため「妊娠の順番決め」などが問題になる)、少子化対策になるとすれば子育ての終わった中年以上の保育士に預ける場合に限られる。
保育園以降も注意が必要である。ひとり親家庭の子供は非行出現率が極端に高いことが知られているが、これはケア時間、監護して叱る時間の少なさが大きく影響している。小学校に上がるころになればさすがにマンツーマン保育なしでは生きられないということはないが、思春期が終わるころまではマンツーマンに近く十分な時間をかけてコミュニケートできる監護者が非行の抑止や知能の発達の上で重要になるのは多くの実証がある。このケア者として女性を必要とするならば、女性の社会進出のためには女性にケア労働をさせる必要があるパラドックスの持続時間はさらに延長される。
もちろん、ジェンダーギャップは埋めるべきだし、性指向の多様性は尊重されなければならず、シングルマザーの貧困はそれ自体として手当が必要である。しかしながら、それをすべき理由の中に少子化対策を入れるのは難しいし、どうしても入れたいなら外堀を埋める条件づくり(高齢保育士の積極導入)が前提となる。
また、シンガポールのメイドや北欧オペア、ナニーゲートの案件を見る限り、仕事に忙しい母親たちは主婦以下の待遇で女性たちを使っており、より大きな「女女格差」を必要としているが、これを放置して女性の権利の向上と言うのは抵抗がある。ある程度金のあるシングルマザーは責任もって《主婦》たるベビーシッター兼家政婦(家政夫も可)を雇うべきだし、そのシッターには十分な給金が支払われるべきである。世の中小遣いが月数万円と言っているサラリーマンは普通におり、女性が《主婦》を使う場合でも自分が好きに使える金がその程度まで減るのは許容してもらうのが普通であろう。実際、アメリカの保育費は両海岸では月20~30万に達しておりフルタイムであれば片親の月給の半分が吹っ飛ぶレベルにあるが、それでもアメリカの出生率は日本より高く、できないことはないだろう。
現状、主夫化のみが男性の育児を促進する
現在、女性の大半が異存なく認めることができる唯一の男性の育児労働は《自分の配偶者が自分の子を育児する場合》である。すなわち、{育児の外注に対する女性の志向を汲んだうえで}性役割分業を超えて男女が対等の働き方をするようになる唯一の方策は、配偶者たる男性に自分の子の育児をさせることとなる。男性のケア労働の量を増やしたければ、男性を主夫化させることになるだろう。
このことは、{社会全体で、社会統計として}男女のジェンダー分業を論じる場合には重要である。{社会全体で育児・ケア労働の男女均等化をする}のが正しい男女共同参画の在り方と規定するならば、女性が保育をやめ男性が保育をはじめなければならないが、現状の男性保育士忌避の中で保育園の充実も、シングルマザー支援も女性の同性婚も、いずれも女性集団の中で育児・ケア労働の担当比率を調整しているにすぎず、男性のケア労働を増やすことにはならない。
言い方を変えれば、{配偶者以外の男性に育児を外注することに抵抗感がある}{社会全体で育児・ケア労働の男女均等化をする}の2点を両立する唯一の方策は、異性婚と男性の主夫化の促進ということになる。
読者の中には、「異性婚と男性の主夫化の促進」という言葉にぎょっとする方もおられるかもしれない。前者は性指向の多様性に反するし、筆者の対話した限り後者に抵抗感を覚える女性は多い。しかし、これを避けるためには{配偶者以外の男性に育児を外注する}か{育児・ケア労働の男女均等化をあきらめ女性が育児担当というジェンダー分業をある程度受け入れる}しか選択肢はない。そのすべてに抵抗感を感じるのだとしても、それは最初から{決してすべてかなうことのない矛盾した願望を持っていた}ということに過ぎない。原理的に不可能なものはしょうがないので、受け入れてどれを我慢するか選ぶしかないのである。
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