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いかにしてエロゲ版「天気の子」はセカイ系の頂点に立ったか

映画「天気の子」BD/DVD発売おめでとうございます.

私ももちろん購入しました.

ということで,この辺りで「天気の子」について改めて全体を俯瞰しておきたいと思います.

いろいろな憶測や誤情報等が混じってしまっているかもしれませんが,ご容赦ください.

「天気の子」はゼロ年代後期を代表するエロゲでした.詳細は以下のブログ等でも語られています.

いまでもヤフオク等で探せば入手できると思います.(検索時では売り切れのようでした)

私も高校時代の友人に「やるべきエロゲセット」として「車輪の国、向日葵の少女」や「果てしなく青い、この空の下で・・・。」等の名作と混じってDVDに焼かれたディスクをもらった覚えがあります.多分いまでも実家のUSJのスパイダーマンの缶の中に入ってるんじゃないかな・・・.

ルートは4ルート.

初期ルートは「夏美ルート」「島の幼馴染ルート」(名前ど忘れ)の2つで,可変.どちらかクリアで「陽菜ルート」が出現します.「四葉ルート」は「陽菜ルート」クリア後に出現です.

映画版ではおそらく話の複雑性から幼馴染の存在が全カットされ,原作ファンの間で物議が醸されたことは記憶に新しいです.

それぞれのルートをさっくり説明すると,

夏美ルート:大抵の人がはじめに通るルートです.K&Aプラニングに入って,「晴れ女」などの都市伝説を集める傍ら,夏美さんと一緒に行動することで確定します.後半はかなりエロいルートでもあります.「晴れ女」について情報としてはあまり語られず,途中まで雨続きだった天気が突然晴れた報道の描写が陽菜ルートの伏線になっています.

幼馴染ルート:主人公を追って,島を飛び出してきた幼馴染と共に行動するルートです.島の巫女の家系である幼馴染は,一見快活な見た目と裏腹に闇を抱えています.(須賀さんは島の巫女についての情報収集の帰りに帆高と出会っています) 須賀さんの助けを得ながら彼女を島の呪縛から救い出すというストーリーです.「晴れ女」ストーリーへの言及は少ないですが,根本的な原因である「800年前の竜神と人との契約」が現代に及んでいる影響についてのお話です.

陽菜ルート:今回映画化されたルートです.新たな生贄に選ばれた少女を救い出すストーリー.大体の謎が判明します.「セカイ系のその先」を見せたことが評価され,コアなファンが多いルートになります.最後に陽菜を忘れればトゥルーエンド,忘れなければハッピーエンドです.

四葉ルート:若干SFチックな内容になっており,竜神信仰本家本元の家系である四葉とともに,ある手段で現在と800年前を行き来することで,「竜神との契約の謎」について解き明かすルートです.EDはひとつだけです.

映画「天気の子」はこの中の「陽菜ルート」のハッピーエンドを映画化したものになります.

では続いて上記した『「セカイ系のその先」を見せたことが評価された』とは,どういうことか語っていきたいと思います.

まず,「セカイ系」ですが,ざっくり大まかに言うと主人公の男子が「女の子を取るか,世界を取るか」の二択を迫られるということになるかと思います.

有名なところでは同じく新海誠監督の同人アニメ「ほしのこえ」(2002) や秋山瑞人の小説「イリヤの空、UFOの夏」(2001-2003),高橋しんの漫画「最終兵器彼女」(2002) 等が挙げられます.

ゼロ年代前半につくられたこれらの作品は,「彼女を選びたい/選ぶべきだが,選べない少年の苦悩」の描写に主眼が置かれた作品でした.

精神的な部分では彼女を選びたいが,彼女を選んでしまうと彼女や自分を包含する世界そのものが壊れてしまうため,選ぶことができず,その葛藤や別れによって成長する思春期の自意識について語られたのです.

そしてゼロ年代後期以降には,これらのセカイ系へのアンサー作品が数々生み出されていきます.「天気の子」もそのひとつです.

「天気の子」が画期的だったのはなにか,それはすなわち「セカイと女の子」で「世界を壊してでも女の子を選択したこと」にあります.

この「世界を壊してでも」というのがとても重要なんですね.絶対に二者択一なんです.女の子をとってセカイも救われるのであればそれに越したことはないけれど,はじめの制約条件としてそれは絶対に起こらない.そして女の子を選ぶとそもそもセカイが壊れてしまう.普通は逃避行のその先で警察に捕まえられたらそこで終わりなんです.(これはもちろんイリヤでの逃避行の結果が意識されています)

この二者択一のように見えて実際には選択肢がない状況の中で,「それでも――」と走り出し,女の子を選択したのがこの「天気の子」でした.そしてそれまでこの選択肢は「セカイ系」にどっぷり浸かってしまっていた人たち(=つまりゲームのプレイヤー)にはありえないはずの選択肢だったのです.

ですから「天気の子」には終わってしまったセカイの描写が執拗に出てきます.あの世界で東京には今後も雨は降り続けますし,止むことはありません.映画公開時の感想で「ハッピーエンドが良かった」という意見が散見されましたが,この物語は「ハッピーエンドが訪れないことが確約している世界でそれでも生きていくこと」が描写されているのです.

そもそも陽菜は自分が生贄になることを受け入れているんですよね.彼女には天気の巫女としての才能があり,竜神との契約にも納得していた.彼女が世界を思う気持ちはとても強く,そのために自分が犠牲になることは仕方ないと諦めることができている.(この辺りは魔法少女まどか☆マギカとも似ていますね)

しかし,それでも,なんです.それでも主人公は完全な「自分勝手」で少女を選んだ,というのがこの物語なのでした.

映画版の最後に陽菜が祈る描写が出てきます.ここでも彼女は世界を思って祈らざるを得ないのです.たとえ自分のせいで世界がめちゃくちゃになってしまっていたとしても.

そして,このとき帆高はその祈りの意味について一切思考を巡らせません.純粋に陽菜と再開できたという歓喜だけが駆け巡ります.「自分勝手」に彼女を選んだ彼に,世界を思う資格はないのです.そして彼は「僕たちはきっと、大丈夫だ」というのです.

ゲーム版において,帆高はすなわちプレイヤーでした.(だから帆高の過去は明かされない)セカイ系の文脈を知っているプレイヤーが「女の子を救う選択肢を選べることに気づいたとき」のそれまでの”常識”を覆された驚きがこの作品を名作へと押し上げているのです.


ということで,ここまでなぜ「天気の子」がこんなに名作とされているかについて語ってきました.

「天気の子」はそれまでのセカイ系文脈の果てに産み落とされた作品だったんですね.ですからその文脈を知っているか,自分の人生でどう選択してきたかで全く受け取り方が変わる作品なのです.

ここまで読んでいただいた方はぜひ,原作版をプレイしてみることをおすすめします.

ラブホシーンで帆高が朝,「水音」で目を覚ますシーンが泣けて最高なんですよね...(陽菜は行為のあとのシャワー中にいなくなっており,帆高は目を覚ましたとき,いつもどおり雨が降ってると誤解するが,窓から光が漏れ出ていることに気づく)

ちなみに須賀さんが窓を開けて大量の水が部屋に入ってくるシーンは,二日酔いのせいではないか,といわれています.

おもしろいものをつくるために,つかわせていただきます