龍の刺青の男の正体は・・・・・

 頭が割れそうに痛かった。こめかみがドクンドクンと脈を打つ。
秋臣の目に映っているのは、茶色いしみがところどころに滲んでいる天井だった。ぶら下がっている丸い蛍光灯にも、酒屋の名前が入ったカレンダーにも全く見覚えがない。色あせた灰色のカーテンの隙間から光が射し込んでいた。
(一体ここはどこだ?) 
秋臣が寝ているのは六畳ほどの部屋で、湿り気を帯びた薄くて硬い敷布団が生臭い雨の臭(にお)いを放っている。ゆっくり視線を動かすと、ガスレンジの前に男が立っているのが見えた。その男のペラペラした極彩色のアロハシャツの袖から龍が顔を出している。
昨夜の出来事が徐々に蘇(よみがえ)ってきた。しかし何が起こってこんな極道らしき男と一緒にいるのか、全く訳がわからない。
「あの……すみません」
 小さく呼びかけた声に男が菜箸を置き「そこ座って」と顎でテーブルを指した。
言われるままに恐る恐る小さなテーブルの前に座ると、そこには海苔を巻いた握り飯が二つと卵焼きが皿に載せられていた。
「食べな」
 男は自分も座り、ガラスのコップに麦茶を注ぎ入れた。
テーブルは五十センチ四方ほどの小ささで向かい合わせに座ると顔が近すぎてひどく気まずかった。
「あの、失礼ですが僕はどうしてここにいるんでしょうか。記憶が飛んでるので、全くわからないんです」
「あんた泥酔してボコボコにされてたんだよ。覚えてないの? 警察呼ぼうか迷ったたけど、あんた口から血ぃ出してて、俺がやったと疑われるかもしれないと思って泊めてやったんだよ」
「そうでしたか。ご迷惑かけて申し訳ありませんでした。いただきます」
恐る恐る卵やきを口に含むと、ふんわりと柔らかく甘みもちょうどいい。龍の刺青とのギャップが大き過ぎる。
 しかしいくら飯が美味くても、一秒でも早くこのアパートを出たかった。やっと食べ終えて「ごちそうさまでした」と、深々と頭を下げた。
「おせわになりました。大変失礼ですが、せめてものお礼に受け取ってください」
 ジャケットのポケットから財布を取り出し、千円札一枚だけ残して残りの札を全部テーブルの上に置いた。一万円札七、八枚と千円札が数枚あった。
「え? おい」
 男が驚いた顔で秋臣を見た。これでは足りないのだろうか。法外な金を要求するつもりかもしれない。
「なにこれ」
「申し訳ないけど、今はこれしかないので」
「は?」
 一瞬ぽかんとした後で、男はプッとふきだした。
「あんたさあ、もしかして何か勘違いしてないか? これ、シールだし」
 腕の刺青をこすって見せると、龍の片目が消えた。
「俺、ただの役者。チンピラ役だったからこの刺青シール貼っただけ」
 そう言って、男は床に置いてあった台本をつかんで表紙を秋臣に向けた。
「宿泊料に一万だけもらっとく。今金欠だからさ」
男は一万円札をスエットのポケットにねじ込んだ。
「役者……」
 秋臣の頭の中の間違った情報が一気に書き換えられた。この若者は極道ではなく、暴行を受けている自分を助けてくれて、家に泊めてまでくれたのだ。美味い卵焼きを作り、ぬか漬けまで漬け、金を差し出しても一万円しか受け取らない真っ当な人間だった。緊張感がふっと抜けた途端、突き落とされるように現実に戻った。
「智夏に会いたい」
 母の声が耳の中でこだまのように響き渡った。
母の最後の願いを叶えたい。しかし叶えることはできない。無力という濁流に押し流され、溺れかけた秋臣は必死でつかまる物を探していた。その手に一本の藁が触れた。秋臣は迷うことなくそれを必死でつかんだ。
「僕の息子になってください!」

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