「老い」の幸せ

「老いにはお金がかかります」
 樋口恵子さんがエッセイの中で書いていらした。本当にそう!
歯、耳、目。まずこの三大金食い虫が、貯金通帳を食い荒らすのだ。
 当たり前と言えば当たり前だが、だいたい「良いものは高い」のである。歯だって、補聴器だって、メガネだって、白内障の手術で使う「目のレンズ」だって良いものは高い。数十倍違ったりする。
 最近補聴器を買ったのだけれど、これに新刊の印税が飛んでしまった。しかも、補聴器の寿命はたいたい六年だという。
 安いものでもいいかなと思ったのだが、樋口恵子さんが「安いものだと雑音が入ってしまうらしいけど、私が買ったのはそこそこいいものでしたから、すごくクリアに聞こえます」と書いていらしたので、ちょっと高額なものを選んだ。確かに雑音は入ってこない。
 「私は洋服やバッグなどにはあまりお金をかけないんだし、耳を買ったと思えば…」
 と、日々自分に言い聞かせているところである。
 三大金食い虫だけではない、医療費は年を重ねるにつれて増えていくばかりだ。半年に一回、一年に一回と言う定期検診もある。
 やれ高血圧だ、コレステロールだのと問題が出てくるので、少しでも良くしようとサプリメントのお世話になったりもする。
 お化粧品だって、若い時のものでは間に合わなくなるのだ。昔はヘチマ水をちょいとつけておけば、お肌ピカピカツルツルで、うっかり高い化粧品の試供品など使おうものならニキビができたりしていた。
 しかし年を取ると、肌が「水くれ〜!栄養よこせ〜!」と騒ぎ立てるのである。それを無視していると、肌はカサカサ、シワシワ、ほうれい線くっきりという大惨事。老いというものは、かくも厄介なものなのである。
 しかし…と、ここまで書いてふと手を止めた。
 十九、二十五、四十という若さで逝ってしまった高校の友人達の制服姿が目に浮かんだ。
 彼らは補聴器や白内障など無縁で、老いを知ることなく、若さに満ちた笑顔を残して旅立ってしまった。
 不思議なもので、昨日の晩御飯や、ここ数年の出来事は記憶からどんどんこぼれ落ちているのに、半世紀以上前の高校の教室でともに過ごした日々は、セピア色に変わることなく色鮮やかなままだ。体育祭の後の教室で一瞬見た友人の表情を克明に覚えていたりする。
 四十になるかならないかで幼い子供を残して逝ってしまった高校の同級生がいるのだが、彼の息子はお父さんと同じ医者になったそうだ。
 痩身を学生服に包んで、照れたように笑っていた十八才の顔を、寝癖のついた髪を、少し高い声を、私は覚えている。
 彼が亡くなってしばらくの間、私は学生服の高校生を見るたびに涙が出たっけ。
 老いを嘆いちゃいけないね……。早々といなくなってしまった彼らは、顔にシミやシワができるまで生きていたかっただろう。
「白内障も補聴器も経験したかったよ」って言っているかもしれない。
  ごめん……。

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