『チェリまほ』にはまった作家のひとり言 第8話
私は毎日、来年出版予定の小説の改稿作業をしている。実は私、「改稿」が超苦手である。作品を書き終えた後は、もう一行も見たくなくなるのだ。
原稿と格闘する日々に、出逢ったのが『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』だった。
音楽であれ、ドラマであれ、何かにハマるというのは、とてもいいことだ。
それに触れている間だけでも、気分転換になる。
ただ、残念なことにこのドラマは全国放送ではない。だから、私はリアルタイムで観ることができず、TVerで配信されるのを待つしかないのだ。
この作品は多くの女性のハートを鷲掴みにする。私を含め、どうしてこんなにも心を持っていかれるのだろうか。どうしてこんなにも、観たあとでほんわかと幸せな気持ちになるのだろうか。そんなことどうでもいいと言えば、どうでもいいのだけれど、コロナ禍でクサクサすることが多い中で、あれやこれや楽しい考察をしてみるのもいいかもしれない。という訳で、これから時々、チェリマホの魅力について独断と偏見をもとにひとり言をつぶやいてみたいと思う。目的なんかは特にない。強いて言えばチェリマホファンの方達と、あれやこれやの想いを共有したいというくらいのことである。
ただし、ネタバレしているので、まだ観ていらっしゃらない方はご注意を!
さて、第7話。最初のシーンは本当に切なかった。黒澤君が安達君に気持ちを伝えたあと、頬に伸ばした手は、ほんの一、二センチのところで止まった。
安達君がうつむいたことを「拒絶」と受け取ってしまったからだ。恋愛経験のない安達君は、自分自身の想いにさえ気づいていない。戸惑いや恥じらいや迷いに加えて、今までの人生で形成された「同性同士の恋」に対する一般的な社会通念が、自身の気持ちさえ見えなくしたのだ。そして「うつむく」という行動になってしまった。
黒澤君の手は宙に浮いたまま、止まった。安達君の頬からわずか1センチのところで……。この距離は果てしなく遠い。そして、黒澤君の手は虚しく空気を切り裂いて、ブランと落ちた。あの手の悲しかったこと……。あの綺麗な手が饒舌に語っていた。絶望と痛みと、それでも変わらない安達君への愛と、そして小さな後悔を…。黒澤君の顔は映っていないのに、表情は見えないのに、悲しみが伝わってきた。むしろ、手だけが映し出されたことによって、その悲しみが音叉のように純音を発して、観る者の心に直接届き、共鳴させたのかもしれない。
あのドラマの中で描かれる「手」は実に饒舌である。しかも、巧みで繊細で雄弁だ。黒澤君の恋の始まりも、饒舌な手が大きな役割を果たした。
泥酔した黒澤君は、ベンチに寝たまま、今まで誰にも言えなかった自信のなさや劣等感をつぶやいた。長い間自分の弱さを隠して、鉄の鎧で身を固めてきた彼は、初めて無防備な素の自分を安達君に見せてしまったのだ。だけど彼はすぐに、それを後悔した。相手を困らせたと思ったのだ。
しかし、次の瞬間、安達君が言った言葉が、恋をスタートさせた。
「なんか、いいな」
生まれたばかりの恋がよちよちと歩き出そうとした時、それを確かなものにしたのが安達君の手だ。
安達君は、黒澤君の胸をそっとトントンと叩いた。まるで母親が幼子をあやすように。安達君の属性の中にある「母性」がトントンという形になって現れた。あの時の黒澤君に一番必要だったものを、安達君は無意識に与えたのだ。安達君の手がささやいていた。
「大丈夫だよ。君は君のままでいい。完璧な君より、弱さや劣等感を持った君の方が、なんかいいな」
あのためらいがちな「トントン」の優しさ、温かさは、恋の始まりにあまりにもふさわしく、多くの人の胸をざわつかせたに違いない。
そして、七話のラストシーン。安達君はとうとう「黒澤が好きだ!」と告白した。黒澤君が彼に駆け寄って抱きしめる。その時の安達君の両手……。黒澤君の体に触れていない両手が、あふれる想いを饒舌に語っていた。
だけど、宙に浮いた両手はそれを伝えることができない。
ためらいながら、そっと伸ばした指先が黒澤君の背中に触れたその瞬間、安達君の想いは伝わった。黒澤君の片想いは終わったのだ。
黒澤君を抱きしめた両手が、つぶやいた。
「俺は、こいつの心に触れるために、魔法使いになったのかもしれない……」
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