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キルギスからの便り(32) ビーツ

プロフに添えられているビーツのサラダ。千切りで歯ごたえがある。

投稿日 2022年8月11日

 行動制限のない久しぶりの夏を旅行やイベントで過ごす人も多いようだが、新型コロナの感染者数はおどろくべき速度で増えていて「羽根を伸ばし続けていて大丈夫なのか」という不安も拭えない。

 私はこの夏も遠くへ行かずに、身近な所で楽しみを味わっている。今春から畑を借りて始めた、ささやかな野菜作りだ。猛暑続きを理由にろくに手入れにも行かず、草は生えるし、とうもろこしは鳥に食べられるしと散々なありさまだが、できた作物がどんなに少量で見栄えが悪くても、自ら収穫して調理する喜びは大きい。

 なかでもお気に入りは「ビーツ」である。ボルシチの中に入っている赤い野菜と言えばお分かりだろうか。外見は赤カブに似ているが、カブはアブラナ科、ビーツはアカザ科でまったく別物である。最近は日本でも缶詰で売られるようになったが、葉のついた生の状態ではほとんど見かけないのでまだ馴染みが薄いかもしれない。ロシアや東欧、旧ソ連圏においてビーツはポピュラーな野菜であり、ビーツ抜きでこれらの地域の料理を語ることはできないと思う。

 私はキルギスとまったく無縁だった頃からビーツが好きで、ごくわずかなビーツを育ててボルシチもどきを作って楽しんでいた。包丁を入れるとまな板にサッと流れるマゼンタ色の鮮やかな汁、野菜にも関わらずほんのり甘い味、どことなく日常を離れた心持ちにさせてくれる魅力がある。

 キルギスへ渡るまではビーツと言えばボルシチ、ボルシチと言えばビーツ、というワンパターンの思考から抜け出ることはなく、残念ながらそれ以外の料理を思いつくことはなかった。

 ビーツの食べ方はボルシチ以外にもあると知ったのは、キルギスで働くことになってからだ。勤務していた学校の昼食でしばしばビーツが登場した。もっとも多いのはやはりボルシチとしてだった。

 一言でボルシチと言っても、作り手や家庭の好み、その時々に手に入る食材の事情などにより、なかに入っている具材やその割合は異なるようだ。トマトやジャガイモの割合が多い場合もあれば肉が入っていることも、野菜だけのこともある。  

 学校の食堂でもホームステイ先でも私が期待するほどにビーツ色の強いあざやかなボルシチはあまり見かけず、マゼンタというよりも「赤っぽいスープ」のことが多かったし、ビーツの甘みはそれ程感じなかった気がする。調べてみると、国によっても特色があるようで、ウクライナやロシア、東欧諸国へ行けばもっと多様なボルシチを食べられるようだ。

 ボルシチよりもビーツの味と色をもっと強く感じられるのがサラダだった。基本はビーツを生のままかあるいはゆでてから適当な大きさに切り、油と酢、塩で味付けしたシンプルなもの。ビーツの表面が油や酢におおわれてつやが出ることで、ボルシチの時よりも深い色合いが一層引き立つ。

さいころ型に切ったビーツサラダとピロシキ。ビーツの甘みが感じられる。

 生かあるいはゆでるかで食感が変わる以外は大してバリエーションがなさそうにも思えるが、実際にはそうでもない。切り方は千切りかサイコロ型かスライスか、また組み合わせる他の野菜の種類でも趣は変わる。個人的にはサイコロ型に切ってある方が、スライスや千切りより甘みが多く残っていて好きだった。

 キャベツや玉ねぎを組み合わせて白っぽくシャキシャキしたタイプもあれば、じゃがいもと混ぜてやわらかめの食感のタイプもあり、ニンジンの千切りと合わせることで「赤+赤」になる同系色タイプもある。

 同系色で面白いのは、赤ピーマンやゆでた金時豆も混ぜられているタイプだ。日本の金時豆よりもかたくて細長い、いわゆるキドニービーンズに近い豆が使われる。マゼンタのビーツ、つやのある赤ピーマン、えんじ色の金時豆が油に包まれて全体が赤紫色に光っている様子は、料理というよりデザートの時に楽しむ彩りに近いかもしれない。 

 今、当時を振り返りながら、色合いが美しいとか、甘みがおいしいなどと書いているが、実際に現地で学校の昼食として食べている時には大げさに関心を示すことはなかった。単なる日常の食事のひとつであり、手に負えない子どもたちの授業で精魂尽き果てた後は、お腹を満たすことだけが食事の目的だったからだ。

 キルギスからの便り(25)でも紹介したが、ボルシチにスメタナ(サワークリーム)を入れるのは定番で、ビーツのマゼンタとスメタナの白が混ざりあうととても美しいものだが、学校の食堂で食べていても慌ただしいばかりで、スメタナとビーツの組み合わせの妙を眺めるゆとりはほぼなかった。

 今はどんな食材に関しても情報があふれていて、インターネットではビーツの食べ方もたくさん紹介されている。なかには和食のレシピもあったりして、日本人は新しい食材を即座に上手くアレンジして自国の食に取り入れていくものだと感心する。それらを見て作れば、キルギスにいた時以上にビーツの多彩な食べ方ができそうだ。

 ただ、ビーツのあざやかさが「~映え」するゆえか、何となく「おしゃれ」な食材として紹介されている場合もあって、学校の食堂やステイ先のアパ(キルギス語で母親の意)の手作り料理として馴染んだ身には、少し複雑な気もする。

 今年7月の下旬に私が畑から収穫した少量のビーツは玉ねぎやきゅうり、ヨーグルトと混ぜて冷製スープにした。冷蔵庫で冷えたピンク色のスープは猛暑日の夕食には見た目にも舌にも最適だったが、振り返るとキルギスでこんなメニューは見たことも食べたこともない。

 そういえばキルギス人はいつも言っていた。「冷たいものを口にしたら体をこわすよ!」と。なるほど、キルギス流に考えると、スープにするなら、温かいボルシチの方が賢明かもしれない。

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