2020年を「世界を広げる」1年に


突然ですが、2020年の個人的なテーマに、「世界を広げる」を掲げます。

ここでいう「世界」とは、「自分が生活や仕事の範囲としている領域」ぐらいの意味合いです。

なぜ「世界を広げる」を1年のテーマに選んだのか? その理由を年頭の、かつ私にとって「note」初投稿となる本記事の主題とすることにしました。

結論としてはポジティブだけれど、記事の大半を占める「そこに至るまでの経緯」はちょっと重めの内容です。自分の気持ちをできるだけ正確に書き表そうとするうち、過去について深く内省することになった結果です。

恥ずかしいし、書かずに済ませる手もありました。単に「noteを始めてみました!」と宣言して、しれっと記事を投稿して……。

でも、それは、これから自分がやろうとしていることと矛盾するような気がする(最後まで読んでもらえればきっとわかる)。変われない気がする。

要は、自分に必要だと思うから、書きます。

心のうちをさらけ出した結果、おのずと私の自己紹介を兼ねる記事にもなっていると思います。


「狭い世界」を生きてきた4年間

2019年の終盤、ふと思いました。

ずいぶんと狭い世界で生きてきたな、と。

ずっと気づいていながらも、明確に意識することを避けていたことが、ついに耐え切れなくなって、心の真ん中に居座り始めた感じ。

これは大きなサインだと直感しました。

「狭い世界」とはどういう意味か。

私がフリーランスのライターになってからもうすぐ丸4年になりますが、自分がやってきた仕事の幅の、まあ狭いこと。

執筆の依頼をくれる人や会社や媒体、書く原稿のテーマやジャンル。いずれも、とても限定的だと感じます。

仕事だけではなく、人付き合いもそう。取材名目以外での人との接触に対して、かなり消極的でした。


8割は『Number』と「ベイスターズ」

スポーツ誌『Number』の編集部から離れてライターとして独立するとき、「なんとかなるよ」と楽観していました。自分にそう思い込ませていた、ともいえます。将来に悲観的であっては独立などできないからです。

あれから4年近くが経ち、実際、なんとかなりました。

なんとかなってきた。なんとかなってきてしまった。そう書いたほうが、いまの私の気持ちを的確に表しています。

才能に恵まれて、などとは本気で1ミリたりとも思っていません。

『Number』が餞別の意味も込めて連載を持たせてくれたことや、『Number』時代に付き合いの生まれた横浜DeNAベイスターズとの仕事が想像以上に膨らみをもったことなどが、走り始めの時期、大きな支えとなりました。

そしていまも、そう大きくは変わっていないのが現実です。『Number』と「ベイスターズ」の名前を出しさえすれば、感覚的には、ライターとしての私の8割くらいは語れてしまうのではないでしょうか。

狭い世界の中で仕事をしながらも、幸いなことに、「これじゃ家族を養えない」と真剣に悩むほどの困窮にも、誰かに「仕事をください」と頭を下げるような状況にも、直面せずに済んできました。

一方で、成功している感覚もまた、まったくありません。ただ、なんとかなっている、に過ぎない。

それでも、なんとかなっている日々を過ごすうち、私は現状を肯定する意識に染められていったように思います。


「なんとかなってきた」のトリック

この2~3年ほど、幾度となく心に浮かんでは消えた思いがあります。セリフっぽく書けば、「なんとかなってるんだから、いいじゃん」。その言葉はいつも、新たな可能性を感じたときに胸をかすめていきました。

この「なんとかなってるんだから」を拠りどころとした自己肯定・現状肯定こそが、私が「狭い世界」から出なかった理由です。

具体例を挙げます。

英語を自在に操れたら、もっといろいろな仕事や経験ができるのに。そう思った瞬間に「なんとかなってるんだから、いいじゃん」と心でつぶやく。さらに「おれは日本語のプロ、日本語の文章を書くライターじゃないか」とすかさず補強する。

知り合いのライターがいい原稿を書いている。新たな分野を開拓している。本が売れている。それを知り、嫉妬する。直後、「なんとかなってるんだから、いいじゃん」と我が身をかばう。「人は人。自分のスタイル、自分のフィールドを突き詰めれば、きっといつかいい作品が生まれて、たくさんの人から賞賛されるはず」。急に自信家になって、せっかく受けた刺激をさっと手で振り払い、これまでの仕事のし方を改めようとしない。

経済的に成功している人について見聞きする。会社を経営し、あるいはたくさんの部下を持ち、チームワークで大きな成果をあげた話を聞く。うらやましいと思う。でもやっぱり、「なんとかなってるんだから、いいじゃん」。「ライターなんて孤独なものだし、それがカッコいいんだよ」「そもそも一人でいることが好きだし」などと強がる。「独り机に向き合って書いた作品が、ベストセラーになって、作家先生の仲間入りできる日がいつか来る」と、またしても妙な自信で取り繕う。


冷笑の悪癖

「いいじゃん」と自らを納得させている時点ですでに、いまのままではよくないことに多少なりとも気づいているのに、「なんとかなっている」現実を都合のいい口実にして、目を背け続けてきたように思います。

変わらなくても「なんとかなってる」おれ、すごいよね。

そんなふうに、カッコつけていた節さえあります。

自分ももっと活躍したい。でも、できなくて悔しい。できるように新しい何かを始めよう――。

感じるままに一歩を踏み出してみればいいものを、「いまのままで、この延長線上で手に入るよ」「向こうの順番が先だっただけで、自分の番はすぐに来るから、いちいち悔しがったりしませんよ」と冷笑するような態度を取るのは、本当によくない性格だとあらためて自覚します。


だから、「世界を広げる」

いまの場所から外へ踏み出すことで得られるかもしれない何かに魅力を感じるたび、「なんとかなってきた」のおまじないを唱えては巧みに矢印を内向きに変え、狭い世界に留まり続けてきたことに、2019年の終わり、ようやく気づき、向き合い始めました。このままでは、ただ「なんとかなった」だけの人生になりそうだということに、怖さを覚えました。

「年を取ってから後悔するだろう」と思いました。

だから、「世界を広げる」を2020年の個人的なテーマに据えようと決めました。

これまで軸足を置いてきた領域はもちろん大事にキープしつつ、「世界を広げる」ために新たに取り組むことは、ひとまず2つです。

ひとつは、英語

私にとっては、マスターしたいのに、すればたくさんのメリットがあるとわかっているのに、ごにょごにょと言い訳しては可能性を閉ざしてきたことの代表選手です。

次に、この「note」です。

「世界を広げる」は、とどのつまり、「さまざまな人に会う」ことなのだろうと思います。だから今年は、会う人の数、話を聞く人の数を増やしたいと思っています。取材テーマは、極論、何でもいい。

そうした取り組みを通して書いた文章の発表の場として、従来どおりのメディアへの寄稿に加え、この「note」を併用していきます(具体的な運用法は、やりながら定まっていく部分が大きいかと思います)。

要は、取材活動・テーマをより広角にし、発信チャネルを増やす。「世界を広げる」試みというわけです。


私は、私に言いたい

新年早々、恥部をさらして始まりました。

でも、文章化せず、公開もしなければ、私はまた自己肯定力を発揮してカッコつけていたような気がします。こうして一度、人目に触れる場所で自らの鼻を折るのは必要な儀式でした。

私は、私に言いたい。

ただ「なんとかなってる」だけのライターなんて、何にも大したことない。そしてたぶん、このままの狭い世界を生きていても大したものは書けない。カッコつけてないで、変われ。

2020年の終わりに抱く感慨を「なんとかなった」以外のものにするために、貪欲に生きてみます。

「世界を広げる」プロセスを、ここに投稿する記事によって示していけたらと思います。


私が私を試す一年が、始まります。

その気持ちを、次作への励みとします。