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0X1=LOVESONGはなぜ永遠なのか ~祝FREEZE1周年~

「タイトル曲の題名をどう略したらいいのか」
「MOAたちは영원럽と呼んでます」
「素敵だと思います」
「“永遠”という単語がすごくいいと思います」

永遠LOVE。韓国語の略称がこの意味を持つことは多くの方がご存知かと思う。0は 韓国語で영、1は英語でone(원)。영원すなわち永遠。
21年6月6日のVLIVEで初めてそれを耳にしたとき、とてつもなく腑に落ちる思いがした。単なる言葉遊びに留まらない、まるでそう呼ばれることが決まっていたかのような。私は無意識のうちにこの曲から永遠を感じとっていたようである。

「僕は永遠なものはないと思いますが永遠を願う気持ちはあります」

SHINE X TOGETHERでのテヒョンの言葉で、それまでさほど考えを巡らせることもなかった“永遠”が急に実体を帯びた。“永遠”という言葉に対して抱いていた得体の知れない恐怖が、他の言葉では表せない暖かさに変わった。

0X1=LOVESONGはこの年代の彼らだからこそ表現し得た作品でありながら、時代や世代を問わず救いとなる光を秘めている。

こう書くと他人事のようだが、私は去年の9月にゼロバイ・アディクションに罹ってしまい未だに醒める気配がない。なぜこんなにも惹きつけられるのか、なぜこの曲が“永遠”であってほしいと願うのか。アレコレと分析することで落ち着こうとしたのだが余計に好きになってしまった。同じくゼロバイ好きな方がもっと好きになることを念じつつ、報告させていただく次第である。


1. 音楽が紡ぐ永遠

0X1にハマって間もなく、楽曲制作のビハインドを少しでも詳しく知りたくてネットの海を彷徨っていたところ、Slow Rabbit PDさんのMVリアクション動画なるものに遭遇した。

さぞ語ってくださっているだろうと嬉々として再生したら、寡黙な方なのか企業秘密が多すぎるのか、あまり多くをお話されていなかった。しかしSlow Rabbitさんがこの曲を大いに愛していらっしゃるということがわかったので大変満足した。

ビハインドがないならつくればいいじゃない。
そう思って楽曲分析のようなものを試みた。試みながらこの曲の様々な魔法に気づき、これは沼るのも仕方ないわ~と再認識することができた。
素人が音楽理論を語るほど危険なことはないと思うが、趣味なのでご容赦いただきたい。方向性は合っていると信じたい。

◯リズム・曲調について
0X1のジャンルは『ハイブリッドポップロック』であると公式に定義されている(Weverse Magazineの記事はこちら)。ポップとロックへの造詣が深くない者にとっても、K-POPとロックが融合していることに疑いの余地はない。
私が勝手にK-POPの特徴だと思っている打ち込みドラム、三連符、単純なコード進行に加えて、フォークソングのような一瞬もあり(「天国には行けないな」の箇所、MVで車に火がつくあたりの箇所など)、サビに代表される生ドラムやギターが構成するロックのパートがある。TXT楽曲の中で生ドラム(live drum)がクレジットされているのは0X1=LOVESONGだけであり、「これはロックです!」という表明のように感じる。

ポップスとロックのほかにもうひとつ無視できないジャンルがある。それはラテンである。まずはこちらのTeaserをご覧いただきたい。

ヨンジュンの踊りは、映画『欲望の翼』で主人公が踊るマンボのオマージュである。マンボとはキューバ音楽の一形態であり、このTeaserで流れているのはザビア・グガート楽団が演奏する『Maria Elena』という曲だ。

マンボではベースラインに特徴的なリズムが反復される。文字で表すと「たん、ったたんたん」という感じ。

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Maria Elenaをイヤホンで聴くと、右側でさりげなくこのリズムが繰り返されている。これはキューバに起源を持つハバネラと一致する(参考: 気軽にクラシック「ハバネラ」とは?)。
ハバネラのリズムはスペインに輸入されて人気を博したため、クラシック音楽をよく聴く方には馴染みが深いと思う。特にフランスの作曲家の作品でこのリズムがしばしば用いられ、ビゼーの『カルメン』が最も有名かもしれない。私の大好きなドビュッシーもピアノ曲『グラナダの夕べ(版画)』『ヴィーノの門(前奏曲集第2巻)』でハバネラを用いている。

実はこれ、0X1を支えているドラムのリズムと一緒なのである。0X1を聴いてまず印象に残るのは、「たん、ったたんたんたん、ったたんたん」と繰り返されるドラムであろう。イントロ、サビ、アウトロの「Say you love me」に至るまでずっとこのリズムが流れ続けている。
打ち込みドラムのパートにもラテンを感じることができる。こちらのnoteを拝読して驚いた。0X1のAメロ「3-3-2」のドラムは1つ目の、Bメロの少し動きが出るリズムは2つ目の譜面と一致している。
さらにサビのメロディを譜面にしてみると以下の通り裏拍が続いており、ここにもラテン要素が滲んでいる。
※ラテンのリズムは符点音符の多用、裏拍の多用(4拍子の場合は2・4拍目が裏拍)、弱起リズム(1拍目を強く出さない)の多用などが特徴とされる。「love sick」以降では小節の最後の音が次の小節の最初の音と繋がっており、1拍目が強くならないようになっている。本来の拍とメロディをずらすことにより独特のノリの良さが生まれる(おそらく)。
参考: FLIPPER'S 『シンコペーションとは』

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0X1はダンスのみならず音楽的にも『欲望の翼』のマンボを模している。これに気づいたときには私の中でちょっとした衝撃が走った。ドラムのリズムに囚われたら最後、0X1の無限ループから抜け出すことはできないのである。私のようにラテンを聴くと血が騒ぐニンゲンなら尚更。


◯調性について
この世の大半の曲には調性というものが存在する。クラシック音楽では「ハ長調」「ト短調」、ポピュラー音楽では「Cメジャー」「Gマイナー」などと表記される。0X1はヘ長調(Fメジャー)の曲である。
参考: SoundQuest『調と調性』
Teaserの話に戻るが、この『Maria Elena』もヘ長調である。ヨンジュンのダンス→「Say you love me」に移っても違和感がないのは、同じ調の曲だからであろう。

ところでそれぞれの調には特有の性格、つまり聴き手が受ける印象が存在する。この一連の考え方は『調性論』と呼ばれており数値化できないのであくまで主観的なものだが、複数の音楽家が提唱しており各者で共通する部分があって面白い。明確に言葉で表せないとしても、20cmとYour Lightとワリワリ(どれもEメジャー)が似通った雰囲気を持つと感じる方がいらっしゃるのではないだろうか。
参考: ピティナ調査・研究『Vol.3 音楽の言語化を考える―調性感の表現を手がかりに(新しい生活様式のレッスン)』

ではヘ長調に関してはどんなことが言われているのだろうか。上記のサイトで紹介されている4名の音楽家の解釈を並べてみる。

シューバルト: 満足、安心
マッテゾン: 世界で最も美しい感情を表現する、洗練をきわめる、寛大、沈着、愛、徳、自然な物腰、比類の無い能力、長調であるのにこの上なく愛情のこもった表現ができる、4番目の音にフラットを有しているが楽しげな作品にも使われる
シャルパンティエ: 荒れ狂ったような、幼稚さ
吉松隆: ホルンが活躍、牧歌的な雰囲気を持つ

安心を与える平和的な雰囲気を持ちながら、どこか荒れ狂ったようでいて、この世で最も美しい感情を表現している音楽。『世界で最も美しい感情』、という文字列だけでなんだか涙が滲んでくる。ちなみに私にとってのヘ長調は、午後の陽射しのような柔らかい明るさの中に物悲しさや懐かしさが包まれているように感じられる。

ヘ長調の音階には黒鍵がひとつだけ(♭B)存在する。このたったひとつのフラット(♭)が0X1のどうしようもない切なさを増幅させているように感じる。白鍵・黒鍵の印象の違いはそれこそ人それぞれだが、底抜けに明るい白鍵の音に比べて、黒鍵の響きは内に何かを秘めているようである。私には0X1の割り切れない複雑な心情がこの♭Bに託されているように思われてならない。
♭Bが初めてメロディに登場するのはようやくサビに入ってからだ。問題だらけの「題」の部分がそれにあたる。そしてメインメロディの中で最も高い音こそ♭Bである。何度手を伸ばしても届かない、痛切な叫びが込められているかのように。
日本語版では2番冒頭の「席も天国にないよ」の「も」で登場する。この響きの違いを聴くのもバージョン違いの醍醐味のひとつである(マニアック)。
0X1=LOVESONGはハ長調でも変ト長調でもなくヘ長調でなければならなかった(個人の感想です)。

ちなみにTXT楽曲の調をすべて書き出してみた。ヘ長調の曲がCROWN、0X1、そしてTrust Fund Babyの3曲であるのは偶然だろうか。
※CROWN「ツノが生えそうさ」と0X1「奈落の底でも」のメロディは一致している。


◯コード進行について
TXT楽曲の多くは非常にシンプルなコードで構成されている。たとえばCat & Dogはたった2つの和音の繰り返しでできている、しかし単調さは感じない。0X1も例によって原則的には4つの和音の繰り返しである。

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コード進行の繰り返しそのものが“永遠”を感じさせる要因なのだろうか。それもあるかもしれない。しかし私はTXTのアルバムを聴きながら「うわっ永遠だわ〜、わっこれも永遠だわ〜」などという感想を持つことはない。ならばコード進行そのものに秘密があるのではないだろうか。そこで辿り着いたのが『強進行』である。
参考: 
サークルオブフィフス https://sakkyoku.info/theory/circle-of-fifths/
強進行 https://sakkyoku.info/theory/kyoshinko/

強進行とは「聴いていて心地よいと感じる音の動き」を指す。具体的にはサークルオブフィフス(五度圏)という円環においてアルファベットを反時計回りに辿ると強進行が生まれる(なんのこっちゃな説明ですみません、詳しくは上記サイトをご覧ください)。

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画像をお借りしました https://watanabejunya.com/circle-of-fifth/

聴いていて心地よい音の動きであるため、音楽に説得力を持たせることができるらしい。たとえば BTSのDynamiteは始めから終わりまで『♭D→♭G→B→E』の強進行が貫いているし、No Rulesのサビは『C→F→♭B→♭E』となっている。たしかに心地いいというか、ずっと聴いていたくなるような動きである。では0X1はといえば『G→C→F→♭B』、この和音がずっと続いていく。
ここでDynamiteやNo Ruleと0X1の間には決定的な違いがある。前の2曲が主和音で終わっているのに対し、0X1では下属和音で終わっている点である。
参考: 洗足オンラインスクール『和音の種類』

主和音とはその調の主音の上につくられる三和音(例: ド・ミ・ソ)である。つまりEメジャーのDynamiteはEの音、♭EメジャーのNo Rulesは♭Eの和音が主音であり、どちらの曲も主和音で終わっていることがわかる。主和音は「安定」している和音であり、「あ〜曲が終わったんだな」と聴いている人間の気持ちも安定する(おそらく)。ところが0X1は主和音が3番目(F)にあり、そのあとには「不安定」な♭Bの和音が来ている。ここでも♭Bかよ!!
我々の耳はFの和音で終わることを求めているのに♭Bに飛んでしまうので、曲が終わっても終わった気にならず、続きを求めてしまうのだろう。この終わらなさこそが”永遠”を感じる所以のひとつであると思う。

ところで、日本語版と原曲の最大の相違点は終わり方であろう。「I know I love you」に連なるように幾田さんの「yeah」というボーカルが聴こえる。……そう!これはFの音、主音で終わっているのである。これ以上続きを追い求める必要はない。私はここでゼロバイの物語に終止符が打たれたように感じた。


◯メロディーについて
言うまでもなく0X1はメロディがものすごくいい。傑作である。試しに歌詞を寿司ネタ(イクラ雲丹ハマチなど)に変えて歌ってみるとそれでも名曲なのがよくわかる。
何が素晴らしいかというとまずは『静と動』の対比が挙げられる。かなり動的なイントロに続く歌い出し、ヨンジュンのパートは非常に落ち着いている(いつかどこかで歌割りの話もしたい。この曲がヨンジュンの物語である以上ヨンジュンが歌い出しを勤めることは必然だったかもしれないが、重心をあるべきところに丁寧に置くような彼の歌声でこの曲が始まるために一瞬で引き込まれてしまう)。そしてカイのパートで動きのある三連符を刻み、そのまま流れるように「奈落の底でも〜」へと移る。うわ〜ここの三連符めっちゃ好き。2番のボムギュやばくないですか? 無理なんだけど。

そしてこの曲の特筆すべき部分、それは「sinking alone」から「ある日現れた天使さ」への転換である。「sinking alone」までを『静』とすると「ある日現れた天使さ」はサビへと向かう推進力を持っているエネルギッシュなパートである。これをスビンの柔らかい声が担当することにより、雲間から光が射して天国への道ができるような計り知れない希望を表すことに成功している。テヒョンの明るい声がそれをより明確なものにして、先に述べたラテン音楽の如くノリのよいサビへと繋がるのである。
サビのメロディの特徴は『何度でも上がって落ちる』ことである。「I’m a loser in this game」「Please use me like a drug」「I know I love you」「世界の果てまで」「I want all of you」「世界の果てまで」「I give all of you」、これらはすべて高いところから低いところへと降りていく音形である。サビでは音階状に降りていくのがすごく美しいし、「世界の果てまで」は音を飛ばしながら弾むように落ちている。そんなの他の曲でもそうでしょ? そんな気もする。943なんてよほど激しく下りたり上がったりしている。しかしテンポが速いからか音程の幅が狭いからか、墜落している感じはない。

この叙情的なメロディが生まれるまでにどれほどの紆余曲折があったのだろう。


2. “LOVESONG”が歌う愛について

私はいわゆるラブソングが苦手である。聴くと「ウッ」となってしまうのである。0X1が狭義のラブソングであったなら、ここまでのめり込むことはなかっただろう。
ではこの作品は愛という普遍的かつ”永遠”のテーマをどのように扱っているのだろうか。

ゼロバイが謳う愛は恋愛に留まらない。FREEZEのカムバックショーケースを見ながら、それは確信に変わった。

初対面の五人が協力しながら宝探しをすることで親睦を深め合う設定は、0X1のMVとどこか重なる。ようやく見つけた宝箱の中にはこんなメッセージが入っていた。

『友情とは翼のない愛である』
「そばを見てみてください、貴方と宝物を探した友だちが本当の宝物です」

文の真意はともかく、これを引用したのは「友情もひとつの愛である」というメッセージを伝えるためではないだろうか。MVで友人たちと笑うゼロバイくん(主人公)は「I know I love you」のみならず「I know you love me」を信じられるようになっていそう。もちろんこの場合のyouは単数ではなく複数である。彼らがどこから来たのか、そしてどこへ行ってしまったのか、それは誰にもわからない。唯一確かなことがあるとすれば、彼らは目が合うだけで幸せになれる関係だったということだ。

ところで0X1が映画『欲望の翼』と深い関わりを持つことは既に述べた。私は残念ながらFREEZEのカムバをリアルタイムで迎えていないが、あのTeaserを初めて見た方は驚いたのではないだろうか。マンボが引用されたことにはどんな意味があるのだろう。それを探るべく私は『欲望の翼』を視聴した。

「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは“1分の友達”だ。」ヨディはサッカー場の売り子スーにそう話しかける。ふたりは恋仲となるも、ある日ヨディはスーのもとを去る。彼は実の母親を知らず、そのことが心に影を落としていた。ナイトクラブのダンサー、ミミと一夜を過ごすヨディ。部屋を出たミミはヨディの親友サブと出くわし、サブはひと目で彼女に恋をする。スーはヨディのことが忘れられず夜ごと彼の部屋へと足を向け、夜間巡回中の警官タイドはそんな彼女に想いを寄せる。60年代の香港を舞台に、ヨディを中心に交錯する若者たちのそれぞれの運命と恋──やがて彼らの醒めない夢は、目にもとまらぬスピードで加速する。(公式サイトより)

ヨディは家族の愛を追い求め、空虚さを抱えながら生きている。そしてマンボを踊るとき、彼はひとりきりの部屋で鏡に向かっている。
マンボとは男性と女性が相対してリズムをずらして踊るダンスであり、本来は相手がいて成立するものである。ヨディは心を寄せてくれる人がいるにも関わらず、鏡の中の自分と踊らなければならなかった。一人で踊るマンボはすなわち孤独を表している。

対するゼロバイくんは家庭の中で居心地悪そうにしている。物で満たされた部屋の中で金魚を眺めながらひとり孤独な表情を浮かべている。そして運命の”君”と出会えたもののその愛はひどく一方通行だ(少なくとも歌詞から読み取れる範囲内では)。彼は切実に誰かの愛を求めているようだ。
マンボは0X1の作中に何度か登場する。Teaserではゼロバイくんがひとり台所で踊っている。このシーンは孤独というよりも仲間を想定して踊っているかのような楽しささえ感じる。もしかしたら自分自身と踊っているのかもしれない。私はむしろMV終盤のギターをかき鳴らすような破滅的なダンスの方に悲しさを感じた。Say you love meの旋律に合わせて四肢を投げ出すような動きが友人たちと踊る場面とリンクして、より一層孤独が強調されている。実はあの踊り、MV撮影ビハインドでは「喜びのダンス」と表現されている。車を燃やして自由の喜びに浸っていると考えれば自然なことかもしれない。真相はわからない。
マンボは仲間の象徴にもなっている。自室ではベッドに座る友人たちを前にして踊っているし、プールの中でみんなと踊るシーンもあれば、ボムギュに水没させられる前のテヒョンはマンボを真似した動きをしている。ゼロバイくんがひとりでマンボを踊るのはTeaserだけだ。

さらにゼロバイくんの人物像はヨディの影響を受けているようである。それを考えるうえで避けては通れないのが小説「マンホール」の書評である。

成長期はある意味、万人の人生に置かれている普遍的な穴とも言える。大なり小なり、我々はその時期を経て魂の飢えと空っぽの穴を体験する。しかし、ある少年たちにとって、この穴はあまりにも頻繁に複雑な形で人生に入り込んでくるのだ。(書評全文)

成長期、それは万人の人生における普遍的な穴。
自分はゼロバイくんと同年代の頃にどう過ごしていただろうか。口論の多かった家族のこと、こんなに貧弱で将来大丈夫かと心配していたこと、自身の性別が心底嫌だったこと、早く経済的に自立したいと願っていたことなどを思い出す。都合の悪いことをすぐに忘れる人間だからか、過ぎ去った過去の心情は取るに足りないように思える。けれど悩みの当事者である間はずっと苛まれていたし、思い返すと悲しくなるような瞬間もある。生まれつき能天気な私ですらそうなのだ。
“普遍的な穴”の存在を認識するか否かで、日々は随分変わるのではないだろうか。自分より頑張っている(かのように見える)他人を見て卑下したり、そうではない人に対して「お前の穴大したことねーじゃん」などと言ったりする必要もない。TXTが「Z世代の感情を歌っている」というのはまさにこういうことなのだろう。当事者である間は”誰もがそうである”ことには気づけない。読み返すたびにとんでもなく素晴らしい書評文である。
ヨディは終盤で「一番愛した女が誰なのかわからない」と人生を振り返る。実の家族からの愛を受けられなかったことが彼の”穴”となっている。「I know I love you」を言えるようになったゼロバイくんと、心から言えなかったヨディ。普遍的な穴の渦中にいるゼロバイくんと、穴に囚われながら生きるヨディ。二人の姿はどこか重なっている。

「君」は特定の人を定義しない。もはや人ではないのかもしれない。『君=音楽』という説にも頷ける。FREEZE、Chaotic Wonderland、そして今月末に控えたカムバにまで至るところに音楽を象徴するアイテムが散りばめられている。中でも存在感が大きいのはギターだ。MVにもギターを弾くような動きがあるし、エレキギターをアレンジの主役とした0X1 emocore ver.もその裏づけのようである。

恋人、友人、家族、自分自身。目に見えるもの、見えないもの。愛の対象はひとつとは限らない。ラブソングの名を冠するのにこれほど相応しい曲もないだろう。


3. MVの舞台が語ること

私がMVの舞台に想いを馳せるようになったのはごく最近、五月中旬のことだ。そういえばあのプールはどこなのだろう、と調べたらごく簡単に見つかった。江原道にある廃スキー場は、MVやドラマのロケ地として人気があるらしい。

となると次に気になるのは日本語版のロケ地である。ご友人の多大な協力を得て、仁川市内であることを突きとめた。ゴミ袋舞う廃車場はなんらかの建設現場のようだ。

廃プールと建設現場。そこに共通するのはどちらも“永続しない”という点だ。
廃墟が歩む道は修繕されて存続するか、そのまま朽ち果てるかの二択である。この廃スキー場は再オープンの計画があったものの諸事情で延期または中止されているらしい。いつか利用可能なまでに修繕されたらそれはもはや廃墟ではない。建て直しの場合は取り壊されることになる。
一方で建設現場(なんの工事が進行しているのかは不明だが重機からそう判断した)は工事が中断でもしない限りそのままでいることはあり得ない。中断しても空き地になればまた別の計画が立つだろう。廃プールと建設現場。どちらも世界遺産にでも認定されない限りそのままの状態を保つことは極めて難しい。永遠なんてない、そう囁きかけてくるようだ。

いまこの瞬間を大切に生きること、その大切な瞬間が永遠に続いてほしいと願うこと。一見対立するようなどうしようもなさを愛することこそが、この作品のメッセージなのかもしれない。MVを再生して叫びのような激情が込められた音の雨に打たれながら、ふとそんなことを思った。


4. 結語

「美しいものには、相反するもののさまざまな一致が含まれているのだが、特に瞬間的なものと永遠なものとの一致が秘められている。」
「美しさと何らかの関連のあるものは、時の流転からまぬがれていなければならない。美は、この地上においては永遠である。」
シモーネ・ヴェイユ http://simoneweil.jp/words19.html

0X1=LOVESONGのMVを端的に表すと”美”である。廃プールで気ままに時を過ごそうと、無邪気に車を燃やそうと、そこには美が纏わりついている。永遠とは、について文を捏ね繰り回して帰着したのは「美しいから」でした。ははは。

0X1=LOVESONGはアレコレ考えなくとも見て聴くだけで素晴らしい名作である(結語)。

今回は主に音楽的な側面から永遠を紐解いてみた。歌詞にはほとんど触れなかったが、0X1の「世界の果てまで」は、943「世界の果てを forever together」、Way Home「僕達は永遠に一緒に走り続ける」に相当する。存在するかどうか定かでない世界の果てを追い続ける限りは永遠でいられる。まるで宇宙の外側を目指すかのように。


私にとっての唯一無二のglowに感謝を捧げたくて5月31日に記事を公開するつもりでいたのに、計画性のなさにより叶わなかった。ピアノ演奏だけは撮ったので共有しておきます。
毎度公開ラブレターにお付き合いくださる皆様ありがとうございます。ゼロバイくんずっと一緒にいようねさらんへ♡