人間と心の中のウィルス
2020年はどんな年になるだろうか。
2020。こうして見ると綺麗な字面である。
デジタルな数字を思い出す。
デジタルといえばデジモンだ。デジモンテイマーズのドイツ語版OPを私は気に入っている。
たまに聞く時がある。
ドイツ語版は実に愛に溢れている。デジモンのこと、主人公たちのこと、曲のテーマ、全てをしっかりと表現している。
さすがにデジモンが出てくるのはまだまだ早いだろう。デジタルな生命体はSFの夢だ。
そしてSFがファンタジーと違うのは「いつか叶うかもしれない」や「いつか実現してしまうかもしれない」という望みと恐れをリアルな時の流れの先として表していることだ。
SFは古くから、世の中の迫りくる危うさを知らせるジャンルでもあった。
レイ・ブラッドベリの『華氏451度』は本を持つのも読むのも禁じられた世の中を取り扱っているし、ロバート・A・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』は月が独り立ちして刃向かうのを創作している。
時間の先は明るいものだけだろうか。
僕はそうは思わない。
もちろん望みを抱くのは大事だろう。
けど、危うさは覚えていたほうがいい。
デジモンでもウィルスは描かれている。僕はこのウィルスはデジタルなものだけじゃなくて、人間の心にもあるんじゃないかと思う。
例えば僕らは何も知らないちっぽけな子どもとして生まれてくるけれど、親、付き合う人、育った環境で様々なウィルスにさらされる。
「人間不信ウィルス」とか「つい皮肉を言っちゃうウィルス」とか「男女をスペックで見ちゃうウィルス」とか。
それはしょうがないことだ。僕らは常にウィルスにさらされてしまっているし、逃げようがない。
望みがあるとすれば、ワクチンもまた僕らの周りにあるってことだ。
「君を本気で愛する人ワクチン」「自分を客観視するワクチン」。最近の流行りで言えば「メンターワクチン」なんてものもあるかもしれない。
いずれにせよ僕らは『影響』を強く受けるものだし、残念なことに世の中はワクチンよりもウィルスのほうがきっと多い。
デジモンを思い出す。
少年少女たちはデジモンとともに戦ってた。それも単なるウィルスだけじゃない、大人や、特殊なワクチンや、データの集合体とも。
彼らだって戦えたのだ。僕らに出来ないわけがない。
勝てるかどうかは分からない。
でも、僕らは一人じゃないし、デジモンはいないけど、兄妹や姉妹、親、友だち、インターネットで繋がる誰かがいる。
もし誰もいないなら、隣の人に声をかけたっていい。
いつも声をかけるのは無理だろうけど、もし災いが僕らを襲ってきたら、そんな時ぐらいは助けを求められるだろう。
2020年に望みがあるかどうかはわからない。
でも僕らは人間だから、人口1億人以上がこの島にいるから。
だからきっと、大丈夫だと思う。