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自分は正しいと主張する権利のある人間

『駐車場の誘導員に「身障者用駐車場」と大きな声で言われた』
というクレームが入ってきたのは、ある日の夕方だ。
その電話を取った後輩は、小さな声だがはっきりと「ご気分を害してしまい申し訳ありません」と繰り返していた。

弊社の駐車場は出入り口に最も近い場所に「身障者用駐車場」を設置しており、その名称を『思いやり駐車場』としている。
障害者の怒りの沸点は理解しがたい。
誤解しないで欲しい。人間の怒りの沸点は理解しがたいという意味だ。
そんな人間の「怒り」の中でも、今回のケースはわりと理解を得られる部類の、人口に膾炙した「怒り」なんだろう。
『身障者と言われたくなかったので、わざわざ身障者というワードを避けたにも関わらず、周囲に聞こえる声で身障者だと言いふらされた』
電話をかけてきた人は、身障者であることで、おそらくこれまでの人生において、悔しくて、悲しい思いをしてきた。

という点において、私は「あーあ」と思っている。もうなんか言葉にできない。こんなエッセイ書いてる場合じゃない。「あー」とか「うー」が良い。いちばん私の気分に沿っている。
電話の人は、身障者であることで、これまでの人生において、悔しくて、悲しい思いをしてきたんだろうけれど、私は、そして私達は、その事を知らない。実体験していない。だが、思いやることはできる。だから「身障者用駐車場」は「思いやり駐車場」という名前なのだ。
では、電話をかけてきた人は、私達の立場を思いやることが出来ていただろうか。

「こっちは傷つけられたんだぞ!なんで傷つけた人間を思いやらなきゃならない!」

怒らないで落ち着いて欲しい。

まず、「身障者用駐車場」と大きな声で言ってしまった誘導員について。
弊社の駐車場誘導員は、雨が降ろうと雪が降ろうと、風すら凌げない駐車場で五時間立ちっぱなしだ。もちろん休憩はあるが、気温1℃で霰が降る中、休憩で養った体力は十分ともたないだろう。
そして、彼らはわりと高齢だ。リタイアし、シルバー人材センターのようなところに登録していたところを雇われた。誘導員の中には、耳が遠くて声が大きい人もいる。

次に、「身障者用駐車場」と言われて傷ついた瞬間に、それを言った誘導員本人ではなく、彼らを管理する我々の部署に連絡を入れたことについて。
ここが一番の「あー……」だ。
与えられるべきサービスが受けられなかった。これを責任者に伝えることは、正しいことだ。
ただ今回の場合、「身障者」が「身障者ではない」人間に身障者扱いを受けたことに不快感を受けた、というのが問題となってくる。

さて、「身障者と言われて傷ついた」というクレームの電話を受けた私の後輩は、身障者ではないのでしょうか?
現場に居たわけではなく、それでも管理者の立場としては謝罪するしかなかった彼は、いったいどういう人間でしょうか?
もちろん、電話をかけて来た人にとっては、そんなことは知るすべもないし、知ったことではない。
ただ「傷ついた」「思いやることが出来ないのか?」「改善すべきだ」と伝えることで、何かを変えたかったんだろう。変えられる、変えてやる、と思ったんだろう。その人にとって都合の悪い何かを。
残念ながら、私はその人ほど人間を信じてもいないし、人間を甘く見てもいないので「自分は正しいと主張する権利があると思っていられる人間はいいな。本当にいいな」と思った。
本当に……まったく……。

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