幼稚園不登校だった私が今思うこと


幼稚園不登校だった

昔から、想像力の豊かな子供だった
母親から名付けられたあだ名は夢見る夢子ちゃん

プリンセスや、ヒロインに憧れる引っ込み思案でマイペースな子供だった

創造力豊かだったが一方で人間関係でつまづく事も多かった

最初につまづいたのは幼稚園
母が妹を妊娠してから、学校に行かなくなった。
通っていた幼稚園は活動的な幼稚園で、小学校で習うような掛け算、割り算、
お遊戯会にはクラス別での合奏といった一般の幼稚園よりもレベルの高い教育だった。

あまり当時の記憶はないが、マイペースな私にとって刺激溢れる毎日は、少ししんどかった。

毎朝泣いて登校していた。
ストレスによって急激な腹痛や吐き気に襲われて病院に行くことも多かった。
母親が妊娠したこともあり、幼稚園最後の年はほとんど登校せず実家の祖父母の家でのびのびと過ごした。


中学生活での出来事

幼稚園不登校だった私は、祖父母の家の近くに引っ越した。
最初、友達作りに苦戦はしたものの
その後は人に恵まれ、楽しい小学校生活を送った。

中学校も地元の中学校に通った。
中学校では小学校からの友達と一緒になった。友達は生徒会長をしているような活発な友達だった。

私のクラスには学校を長期間休んでいる「女の子」がいた。

「女の子」と、話をしたことはなかった。

ある時先生から私と友達が呼ばれた。「女の子」の事で相談だった。女の子に学校に来るように働きかけてほしい。女の子に手紙を書いてほしい。たぶんそんな相談だったと思う。

クラス全員でメッセージを書くことになった。

私は、書けないと思った。そもそも女の子と話したことがない。女の子の内面を知らない。そんな気持ちがあった。
けれども友達は乗り気だったので、深く考えることもなく手紙を書いた。女の子は一部のクラスの女子から言いように思われてなかった。陰口を言っているのを聞いたこともあった。

なのに「みんなでメッセージを書く」
本当に学校に来てほしいと思っているの?
今思えば表面上だけの気持ち悪さをなんとなく感じていた。


学校が世界のすべてではない。
今ならそれがわかる。
でも義務教育の中で育ってきた私には、当時は学校が全てでみんなと会わせることが良いと信じていた。

私が幼稚園に行けなかったけれど、その後の人生が楽しく歩めたのは

たまたま人に恵まれたこと
そして回りの環境がたまたま会っていたからだ。

学校に居場所がない。学校が会わない。学校に行きたくない。その気持ちを尊重してくれた家族がいた。私は私で過ごせた。けれども日々を過ごす中で学校外の世界に目を向けられなかった。

学校以外の選択肢はあること
どんな経験も価値があること
あなたはあなたのままでいいこと

昔の自分に伝えるならこれを伝えたい。


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