自由スタイルライフ

今現在、僕は13年間ずっといた彼女という肩書の存在を失った。
僕は誰の時間も気にすることなく、毎日を過ごしている。

自分にとって何が最適だったのかは結局今を生きる自分には知り得ないわけだけれど。
一人の誰かを想い、その人の時間を頂き、また僕の時間をその人に与える。それはそれで、一つの在り方であり、生存戦略として機能していた。

今はそういう在り方から余儀なく、強制退場させられているわけなのだが。
ふとした瞬間に、とてつもなく悲しい気持ちに飲み込まれることはあるが、割と明るい時間を過ごせているのもまた事実。

人と接する時間、共有する時間が長い生活。
僕は本質的にはそういう生活を望んでいるのだと思う。
色んな人と夜、仕事終わりに飲みに行ったりして、何故だか楽しいと感じる。不思議なものだ。何故そこに不思議を感ずるのかが、君は不思議に思うかもしれない。
しかし、僕にとって誰他人と過ごす時間が長ければ長いほど、自分を損なう感覚を持っているのだ。確かに最近、自分の求めるものに向かって邁進しているとは言えないかもしれないが、それでも明日死ぬことを想定した時、否、明日死ぬかもしれないと勘が働いた時、その時の僕の優先順位は変わってくる。カッコつけているより、笑っていたい。それがきっと僕の本心なんだと思う。

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