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掃除屋さんという仕事

こんにちは。 お掃除&お片付けアドバイザーのKYOUKOです。 私は1人で美装工事の職人をしながら、 新築のアドバイスをしたり、 整理収納アドバイザーや片付けの仕事をしたりしています。

今日はおそうじやさんという仕事について語りたいと思います。長いので、休み休み読んで下さいネ。




おそうじやさんのイメージ


おそうじやさんというと、どんなイメージを持つだろう?◯スキンさんのような大手や、夜中のコンビニにいる機械を回してる人?

どれも正解。おそうじやさんには、いろーんな種類がある。

高い、でっかいビルや、病院などの広範囲の仕事を受けれる会社もあれば、亡くなった人の家を掃除する特殊清掃。

今回のようなウイルス感染対策時に、消毒や除菌をする専門業者。

病院専門の業者さんや、歯医者さんだけに特化したお掃除屋さん。車の中だけを専門クリーニングする人もお掃除屋さんだ。

アパートの入居前や退去時、新築や中古の不動産を中心にハウスクリーニングする、主に建築の延長にいる掃除(美装工事)をする会社もあれば、専門的な分野に絞った清掃工事など、実に「そうじやさん」だけでも様々な種類がある。

会社の大きさも様々で、パートさんや社員さんを何十人も使ってる大きな組織もあれば、私たちみたいに1人で個人事業主としてやっている1人親方もいる。

給与に目がくらんだ20歳の私

私は今34歳。20歳の頃、福井県内にある、美装工事や産業廃棄物の会社に少し勤めていたことがある。勤めていたというより、半分社員のような、半分請け負い制の会社だ。会社の制服と、自分の車に貼る会社のステッカーが用意されていた。

若くして1人母親になった私は、生活に困っていた。求人広告を見るやいなや、その給与だけを見てすぐさま応募した。ものすごく良かったからだ。

中卒でどこにも就職をしたこともないまま母親になった私に、請負が何かもわかるわけないが、幸い学歴も関係ないようだったのでありがたかった。もう14年ほど前の話だ。

たまたま乗っていた車が大きく、現場向きだったため、何の会社かもよくわからないまま、私は工事部というところに配属された。

今思えば、無知とは逆に何でもできる武器なのかもしれない。

現場仕事に何の抵抗もなかった理由は、実家が建築関係なこともあり、たまに手伝ったりしていたから、ダンプやユニック車を触るのも手慣れたものだった。

掃除屋さんとは無関係だが、現場仕事に対して全く抵抗がないのは環境のおかげである。



女性は中古の掃除に行かされる

私を含め、当時女性は2名しかいなかった。女性の先輩について行き、それぞれの車で現場に向かう。女性は基本的に中古(アパートなどの退去後がメイン)の現場を任されていた。理由は男性職人が中古を嫌がるから。

朝6:30に家を出て、会社に行って、会社の掃除をする。道具をそろえたり、薬品を倉庫から補充したりした後、手配書という、今日の現場が書いてある紙を見て、地図をコピーし、現場には8時までに向かうという流れである。

入社し、請負(職人)になるまでは、日当¥8,000で見習期間というものがある。今思えば右も左もわからない者に、会社はよくそんなに払えたなと感心する。

今みたいにカーナビやスマホもなく、まず地図を頼りに道に迷うところから始まる。きっとカーナビはこの世にあったが、今ほど当たり前には付いてなかった気がする。知らない人に道を聞くのが日常だった。

現場に到着しても、間違って不動産屋の誰かが閉めてしまうのか、カギが空いてなかったりする日もある。現場はトラブルだらけだ。

駐車場がわからなくてとめておいたら苦情が来たり、うるさい!と怒鳴られたこともあった。

水道が出なかったり、電気が来てなかったりすることもあった。

手違いや人的段取りミスもあるが、県や市の持ち物だったりすると、照明器具がなかったりするので、基本的に窓からの光で行ったりすることもある。

電気は延長コードで他の場所から引っ張ったりする。夜間になれば投光器(ライト)の明かりでやったこともある。

職人と現場の間には営業部がおり、営業がちゃんとしてなかったりするとこういうトラブルが多発する。

水が出ないと仕事にならないので、また会社に戻ったり、社員の指示を待ったりする。とにかく右も左もわからないまま、現場を手配する社員にいつもおびえていた記憶がある。

しゃがんだ時に、胸ポケットから水の入ったバケツに携帯電話を落としてしまったことがある。

今みたいに防水じゃなかったため、速攻で壊れてしまい、現場完了の報告ができずにこっぴどく怒られた。

掃除をするまでだけでも、けっこう大変だなと思う。今は、ラインなどで位置情報が送れたりするようになって、ほんとに最近の現場作業の人らは助かっている。ありがとう技術‼︎



中古の掃除とは

私は「掃除」をナメていた。先輩と一緒に回っていた頃は普通に帰れたが、職人試験に合格し、1人で現場を持つようになってからは、それはそれは大変だった。先輩の偉大さをかみしめる日々が続いた。

まず中古の掃除は、下準備が必要だ。掃除に取り掛かる前にはまず、段取りをしなければならない。

例えば1DKなら…

①まず照明器具、換気扇など外せるものは外す
②ホースをつなぐ
③浸透するのに時間がかかる薬品を塗布する
④ベランダで外したものを洗う
⑤ベランダを洗う
⑥ホースを持ってベランダの窓や他の窓を洗う
⑦カーテンレールなど上から掃除していく
⑧コンセント、スイッチ、はばきをしあげる
⑨下に落としたホコリを吸う
⑩キッチン、お風呂、トイレ、玄関、洗面を1箇所ずつ仕上げていく
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最後に外したものをはめ、床の汚れを探して拭いたり削ったりし、電気を消し、戸を閉めながら仕上げてワックス
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道具を片付けて、チェック書類を書き、会社に戻る(夜遅い日は直帰)

といった大まかな流れである。

今となっては身体に染みついているが、文字にするとこんなにも面倒なことをやっているのかと思う。

ホースをつなぐ水道がない、照明器具が外れない、換気扇が外れない、といったプチトラブルもあったり、

淡々と書いたが、実際やってみると、ものすごく汚い現場はスムーズには終わらない。

タバコを吸っていた部屋は、水ぶきが効かない。

ニチャニチャな柱や窓枠に、ニチャニチャなホコリが乗っているとそれはもう普通の掃除ではできない状態だ。

住まいとは本当にピンキリだが、住み方もピンキリだ。

キレイに暮らしている部屋もいれば、すさまじい暮らしを想像できる部屋もある。

先輩から巣立った私は、時間配分などできずに、毎晩夜遅くまで、1人で泣きながら現場にいた。

何が汚れで、何が傷なのか、何が色あせなのかも分からない。視力がいいのもあり、全てが汚れに見えては落とそうとしていた。

それは孤独で、辛くて、終わらないとお金がもらえないというプレッシャー。

誰かに子供を迎えに行ってもらったこともしばしばあった。

なんでこんな仕事を選んだんだろうという後悔。しかし逃げられないと思ったから頑張って仕上げた。帰った頃には虫の息だ。明日が来るのが辛かった。



職人の世界

基本的に職人さんは、「見て盗め」というが、数人で現場に入った時、自分の持ち場があるのに他の持ち場に行って見ている余裕はなかったりする。

職人は寡黙で、見て盗め体質なのはもう古いと思う。

これからはきちんと説明するようにしていかないと、職人になりたい子が育たないし、技術を若い人に伝えていく方も伝え方を勉強した方がいいと思う。

時代は進んでいるのに、現場仕事の世界は止まったままなことがまだまだある気がする。

私ももっと上手に質問したら良かったんだろうなとは思う。質問力って本当に大事である。

というか、国語力と会話力は、どんな世界でも大切なツールなんだな、と思う。現場でのトラブルは、言った言わないが本当に多いから。

今更だが、薬品に関しては、きちんと説明して、薬品の危険さとかを、マニュアル化したものを渡しておくべきである。

シンナーに、間違えて洗面所のプラスチックの部品を漬け込んでしまい、溶かしてしまったことがあった。

今思えば、ど素人にあんなに危ない薬品を取り扱わせて、人体に何もなくて良かったと思う。塩素系と酸系の洗剤を混ぜたものからは黄色いガスが出る。有毒だし死ぬ。それぐらい、薬品は危険なのである。


掃除屋さんにありがちなミス

掃除の現場でありがちなのが、「室内迷子」である。まず道具が迷子になり、あれ?どこ置いたっけ?が頻繁に起こる。

次に、掃除をしている場所や流れが分かってないと、やり方迷子になる。右から始まったら左にぬけていく、奥から手前…というように、掃除にはルールが必ずあって、あちこちやりかけては次の場所に移ってしまいがちだ。

今やっている場所から、違う汚い場所が見えてしまうと、そっちに意識がいってしまう。だからやってない場所があったり、やり直しが発生してしまうのだ。

私は注意散漫なタイプなので、よくこれでやらかしてしまった。失敗に失敗に失敗を重ねた、請負時代だった。

今でもたまにやらかしてしまう。だから念には念を入れて確認するようにしている。



独立へ

段々仕事を覚え、まわりの職人さん達にも馴染んできた頃、シングルマザーだった私は子連れで結婚し、2人目ができたため、止むを得ず退社した。

当時買い揃えた道具はずっと持っていて、使うことはなかった。

数年後、子供が保育園に預けれるようになると、掃除関係のパートなどをし、さほど変わらない仕事をしたりしていた。

ただ、どんな掃除の会社も、性格に合わなかったり、やり方がひどかったり、女性の会社はモラハラがひどかったりして、続かなかった。

背中を蹴られたり、暴言を吐かれたりして、キレイにする仕事なのに社長の言葉遣いが汚いので辞めます。と啖呵を切って辞めたこともある。あの時の私、正論だと思う。

その後プライベートで色々変化があったのだが、子供が大病をし、一年半の入院後、通院が必要になり、毎日は仕事に行けなくなって、本当にどうしていいか分からなかった日々があった。

ホステスもしたり、王将や、色んなバイトをかけもちした。

その時に、以前働いていた時の同期が、自宅のアパートの掃除に入っていたのを偶然見つけた。

同期の男性は独立したらしく、良かったらまだ道具あるなら現場やってみる?と、現場をくれた。

何とも自由なハナシである。

私は残った道具と、彼がくれたお古の脚立や薬品で、1Kのアパートを数件施工した。一回覚えた仕事は、スピードは落ちるものの、まだできるんだなと思った。

1件につき1万円をもらった。

それがものすごく嬉しかったのを覚えている。
時間に関係なく、お金がもらえる喜びを知ったのだ。

そうしているうちに、名刺下さいとか、色々と付き合いもあって、いつの間にか一人で活動するようになっていった。

しばらくは不安定だったから、数年間はバイトを掛け持ちしていた。最近やっと辞めた。

自営業だから、子供の予定に合わせたり、自分基準の予定が組めたりする。終わらなかったら帰っていい場合もある。

学生時代は不登校で、社会にあまり馴染めなかった私には、向いていたのかもしれない。1人で黙々と、現場をこなした。



掃除屋さんのお金の話

以前の請負の会社は、売り上げから半分以上引かれる。そのかわり、現場には困らない。はんたいに、個人はコネがない限り、自分で営業しないといけないし、ネームバリューもないため、現場がない日は本当につらい。どっちがいいか天秤にかけると、まあ難しいところだ。

掃除屋さんの仕事は、だいたい間取りで値段が決まっていて、1K.1Rぐらいだと、都心でも直請の場合¥15,000が相場だ。汚くても綺麗でもほとんど関係ない。あとは不動産屋が取っていく。

こちらは田舎で、孫請(直接仕事をもらう人からもらう仕事)なら、ひどい場合だと1Rで¥7,000ぐらいしかもらえなかったりする。

3時間で終わる場合もあれば、7時間ぐらいかかる場合もある。間取りに騙されてはいけない。

いい方じゃん!と言われそうだが、個人事業主とは、現場に行くまでのガソリン代、携帯、名詞、営業や広告費、薬品、道具、保険代、色んな経費がそこにはかかっているため、正直¥10,000では赤字になるのだ。

今でこそこの金額ではもうやらなくなり、付き合う業者も変えたため、クオリティも値段も上げたが、当時の私にとっては、一件いくらがありがたかった。

同期の彼とは未だに仕事しにいったり手伝ってもらったりしている。なんだかんだで長い。掃除職人の単価は、¥12,000〜¥15,000/1日 が相場だ。現場のレベルにもよるが、人の貸し借りが一番お金がかかる。

互いに個人だから、できない現場は折半したりして、大きい現場をこなしたりしてやっているのも個人の職人の世界である。



掃除屋さんの寿命

掃除の仕事には寿命があると思ったのは、私が病気になって仕事が数日間できなくなった時だ。

子宮関係の病気になり、今は完治したが、手術後に体力がガタっと落ちてしまった。

冬場の現場は冷え、トイレもなかったり行き難かったりして、身体に大分ムチを打っていたのかもしれない。

冷え性のことは他人事ではなくなり、深刻に辛い冷え性になってしまった。寒いと、心も冷える。温度は生物にとってとても大切だと知った。

脚立に乗って、降りて、の繰り返し作業は、年齢が上がれば上がるほどキツいと思う。皆職人さんは40〜50代が平均で、この先大丈夫なのかなと思う。

若い衆がいる人はいいが、若い衆でポテンシャルの高い子は、すぐに独立していってしまうだろう。

大変さと金額や時間を考慮したら、ものすごく安い仕事を沢山していて、身体と時間を削っていたことに気がついた。

薄利多売というか、自分が消しゴムになっていたようなものだった。

いつしか子育てから、仕事にピントが合っていて、子供といる時間もなくなっていた。これでは自営業(自由業)の意味がないと気付いた。

「掃除屋さんはこうであるべきだ」という呪縛に縛られていたが、私も昨今このまま続けていくには、必ず寿命があると感じ、もう周りの意見とかではなく、好きにやるようにした。

もっとも、身体を一番に考えて行動するようになったことは大きな進歩だ。

インテリアや片付けがもともと好きだったため、整理収納アドバイザーの資格をとり、片付けの仕事も始めた。勉強してけばしていくほど、これは心理学か?という世界だった。

文章を書くのが好きなのもあり、おそうじブロガーと勝手に名乗り、おそうじインストラクターという、おそうじを教える職業を勝手に作った。まだまだ先だが必ず広めていく。

だから自己紹介には、

お掃除&お片付けアドバイザーのKYOUKOです。 私は1人で美装工事の職人をしながら、 新築のお手伝いをしたり、 整理収納アドバイザーや片付けの仕事をしたりしています。

…と名乗るようにしている。長くなるので、端折っているが、私はおそうじインストラクターでもある。何かに絞った方がいいかな?悩む。

現場は生活していくためのツールだから、子育てとのバランスよく、ほどほどに入れるようになって、そのかわり単価を上げた。

大手のフランチャイズの人と組み、気の合うおじさんと気楽にやっている。

私は、個人事業主の掃除屋さんの、働き方改革をしている真っ最中だ。

決して今、ビジネスが成功しているわけでもない。現場で生活費を稼いで、暮らしている。

でもそればかりになると、思考が停止してしまいそうなので、常に頭をフル回転させて、私みたいな変わった人でも何かしら人の役に立たないかなと思い、こんなブログを書いている。

考えるより、先に行動するタイプだ。

もちろん仕事がない日もある。以前は仕事がないと、自分という人間が誰からも必要とされてない気になりやすかった。

でも今は他にやることが沢山あるし、むりやり予定を作ったりするようにしている。あえて脳みそを空っぽにする日も作り、メリハリをつけれるようになった。


今世界情勢が大変なことになっていて、現場もいきなりなくなったり、引っ越しがまとめてなくなったりして、打撃を受けている。

現場でのトラブルが、今の精神力を作ってくれたのかもしれない。冷静に行動できるようになった。

きっとこれからもこういうことは起きる。常に色んな状況に対応できるような力を身に付けていたいと思う。

まとめ

⚫︎掃除屋さんは色んな種類がある
⚫︎個人事業主は全て自分でやる
⚫︎働き方を考えないと自分が削れていく
⚫︎掃除屋さんの仕事以外もしていいと気付く
⚫︎現場でのトラブルや経験は自分を強くした

それではまた!☻
























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