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日本人の劇的な英語力低下。何が起きているのか? についてコメントがあまりに興味深いので紹介します!

先日、日本人の英語力低下について書きました。

なぜ、こんなに勉強しているのに低下しているのか? と書いたらコメントを四ついただきました。面白いので紹介します。

「日本人は海外のことに興味がない」から?

まず、seico@編集とライターの人さん。

野本さん、お久しぶりです。

私も、某メディアに海外のことを少し書こうと思い構成を相談したら、読者は海外のことに興味がないので、必要ないですと編集者さんにバッサリ切られてしまったことがあり、違和感を感じました。
PV第一主義で考えると、そういうことが起こるのかなと…。メディアにはPVだけでなく、海外の情報に対する理念もあってほしいなぁ…とその時感じた次第です。

子どもたちの英語学習の状況については、公立の小学校の英語で学力が付いている実感は殆どないです。熱心な人は、その他の補習塾で頑張っている印象。その補習塾は、phonicsなどの習得などの欧米型の学習法よりは、英検の取得などを目指した学習が多そうです。

親として、英語をどう習得させていくのがいいのか、色々と試しており(今のところphonicsなどを重視したオンライン英会話に落ち着いていますが…)、正直、今結構悩んでいます……。(長々とすみません)

読者は海外のことに興味がないーー私もある編集部から言われたことあります。ですから、日本のメディアは基本「日本人向けにアレンジされた何か」です。

英語教育に関して。英国政府が自国民に対して「Phonicsをすっ飛ばすと読解力が伸びないよ」と言っているくらいなので、やった方がいいとは思うのですが。

きっと、教えられる人が少ないんでしょう……。
「テキスト中心の教育」はある意味、誰でも教えられるので楽なんです。

次は、とんぷぅさん。反対側から見た意見です。

そういえば、外国映画を字幕で見る機会が失くなってきているようなきがします。

昔は、洋画好きな人は俳優の生の声が聴きたいと字幕で観ていました。
今は、AmazonやNetflixで簡単に吹き替えを選べるし、外国映画が爆発的なヒットがないのでは?若い人たちは、洋画自体を観ているのかなぁと疑問に思っています。

50代半ばの自分は、マイケル・J・フォックス、ケヴィン・ベーコンにはまり、フットルースはVHSテープが擦り切れるのではと思うほど繰り返し観ていました。

ハリウッド映画の強烈なエンターテイメント、アメリカへの憧れ、異文化を知ることの楽しさがあり、英語学習へのモチベーションにもなりました。
英語に限らずワクワクとした気持ちで学べるものがあればいいのですが、
学校だけでなく日本自体が閉塞感が蔓延し、思考停止に陥っているきがします。

確かに、洋画や洋楽はここ数十年で露出が落ちました。

私が子どもの頃、70年代は中学生にも洋画が流行っており、テイタム・オニールとか、ジョディ・フォスターが大人気で、「スクリーン」「ロードショー」みたいな雑誌を学校に持って行ってました。高校時代はクラスの男子の多くが洋楽(エイジアとかジャーニーとか)ハマってました(でも英語はできないんだけど汗)。少なくとも興味は昔の方があったんでしょう。

逆に独特になっていく日本文化が、日本人にとって面白すぎるのかな? とも思ったり。どうなんでしょ。

日本文化そのものの変質が原因?

次は、四葉と話すネコさんです。

安倍元総理が「美しい国 日本」と言うようになって 日本はただ単に自信を失くしているだけだという風潮が広まりました。なので 文科省も英語教育は「やってます」感を出す授業の方針を打ち出している状態だと思います。

小学校から前倒して英語授業を行なっていると言っても スピーキングの授業が中心で ライティングはやっていませんので 文法も何もありませんし、意味がありません。

もちろん、幼い頃から日本文化を理解して学ぶことも大切ですが、同時進行 または然るべき時期に きちんとした英語教育を受けさせる必要と その機会を均等に与えるという意味では 公立校の英語授業は大事だと思いますが、40年以上 何も変わっていないように感じます。

恐ろしく時代錯誤の教育をし続けている理由は 国のエリートたちが自分たちの子息以外は 外国語を学ばせたくないと思っている、としか思えません。

これは鋭い意見。そうしないと頭脳流出が起きる、という面も確かにあります。
日本のランキングが相対的に下がっているのは、他国の意識が変わったからでしょう。ロシアや中国でも英語力が伸びているので。

次に、kel0tanさんです。

おととい大規模接種会場でワクチンを接種したのですが、申し込みから会場を後にするまでの一連の流れを通じて、日本に帰国して以来最大級のカルチャーショックを受けました。日本の非効率、責任回避、思考停止、同調圧力、ガラパゴス思考などが、すべてワクチン接種のプロセス内に凝縮されていました(空港検疫にも通ずるものがありますが)。

この経験だけでノートの記事を5本くらい書けそうな勢いです。そして、できるだけ早いうちにまた海外に脱出しようという思いを新たにしました。

シンガポールからの帰国(ですよね?)でショックを受けられたようです。シンガポールの体制と何がどう違うのか、ぜひnote書いて、リンク教えてください。

最後にkhさんです。

なんかこの話と関係があるような気がします。
日本語の肖像 – ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.7 — 
https://james1983.com/2022/11/28/japanese-1/

「ガメ・オベールの日本語練習帳」はジェームス・フィッツロイさんが日本語で書いているブログ。読んでみました。

以下引用です。長いですが読み応えあります。

この十年、日本は、どんどん日本化していった。
加速がついていた。

インターネットが輸入されて、手に入って、「世界に発信」したりしているうちに、世界のほうで、あんまり相手にしてくれないので、飽きてしまったのでしょう、

日本語や、日本語で考えた内容を英語に翻訳して「発信」しても、反応がないので、もうめんどくさいから世界には日本しかないことにした。

日本語の感受性のなかでは、面白い事に、日本の内部にアメリカがあり、中国があり、欧州が存在して、現実の海の向こうのアメリカは、似てはいるが、別個の社会として、存在している。

日本語は元来論理的な言語だが、一方で、集団共有されやすい感情語彙を豊富に、というよりも過剰に含む言語でもある。

現代の日本語は、この過剰な感情言語が論理言語を駆逐して破壊してしまった良い例であるようにおもえます。

通常の言語世界が、なにごとか述べられたことに対して、余程の必要、どうしてもはっきりさせないとならない必要が起こらないかぎり、ほんとうとも嘘とも判定しないまま保留にする習慣をもっているのは、真実と認定するための人間の知力の頼りなさを熟知しているからです。

日本語が、大多数の人間が向かう感情のベクトルを、あっさり正しいベクトルと認定して、後付けで理屈を付けて、まあ、こんなもんでいいや、で集団で言い立てるのは、言いにくいが、多分、日本語世界では「真実は教室で習うもの」だったからではないだろうか、とおもうことがある。

大岡昇平や鮎川信夫というような人たちが書いた文明批評を読むと、ちょうどW.H.Audenたちが英語において果たした役割を日本語のなかで果たしていて、戦後の日本語が、しばらくのあいだ健康を保って居られた理由が判るような気がします。


日本語の肖像 – ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.7


外からは、こう見える。実は私にも同じように見えています。
哲学や論理の話をググっても、日本語だとさっぱり出てこないことがあるのです。

英語力について話していたら、深刻な日本語の変質について突き当たってしまいました。

意見をいただくことで、私も深く考えるきっかけになります。
ありがとうございました。

それではまた。

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