東南アジアにあって100年続いた白人王朝ーーリアル「地獄の黙示録」みたいで面白かった
マレーシア、サラワク州のクチンのボルネオ博物館と警察博物館を見てきました。
色々とあったので書いておきます。
サラワク州にはもともと、30とも言われる原住民が住んでいました。
13世紀には、仏教系の王朝Srivijaya王朝ができます。13−15世紀には、仏教ーヒンズー系のMajapahit王朝が栄えました。その後はブルネイの統治下にあったようです。
「白人王」はなぜ地元から尊敬されたのか
ユニークなのは、18世紀末にやってきたジェームス・ブルックが作った「ブルック王朝」です。英国人ながら、ブルックは非常に好意的に描かれており、街には彼の銅像や記念碑がありました。
いまだに街のあちこちに彼の名前が見られ、植民地化というよりは、功績として讃えられています。
ジェームス・ブルックは単なるイギリス人の冒険家でした。
ところが、地元のブルネイ王から部族の反乱の鎮圧を頼まれ、ラジャ(国家元首)の称号を得ると、白人の王としてサラワク州を譲り受け、近代国家を作り上げ、これが3代、ほぼ100年にわたって続きました。
英国国民が王様になってしまった
彼は、地元のリーダー(ダト)たちと協力し、通貨や自由貿易を導入し、奴隷制度を禁止。海賊行為を違法とする進歩的な改革を行いました。ローカルの人に統治権を与え、法律を作り、自治とビジネスの権利を認め、労働者を中国などから集めて、サラワクの発展に寄与したそうです。こうして、次第に敵だったダヤック族やマレー系からも信頼を得るようになっていきます。
ブルックは独立した君主でありながら、英国国民であるという、かなり変わった地位を占めていたようです。英国からは完全に独立し、自治を認められていました。まるで地獄の黙示録です。
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