見出し画像

どうやらほとんどのことに再現性がない。うまくいったのは「たまたま」いい場所にいたからかも

最近、老害という言葉をあっちこっちで聞くようになりました。

団塊世代が豊かに過ごせたのは、個人の努力や能力ではなく、「たまたま」いい時期に生まれたから、という言説です。
日本が80年代にうまく行ったのも、「たまたま」歴史の巡り合わせで運が回ってきたとも言える。

そういえば、私がパソコン雑誌にいたときは日本の家電メーカーが元気で「緻密な半導体は日本が得意なんだな」と思い込んでたけど、今台湾、中国や韓国のメーカーが同じことをやっていて「ただの時代の運なのかも」と思うようになりました。

つまり、能力に見えていること、実はそうではなくて、「たまたま」いい場所にいい時代にいただけかも。

これねー。実際そうだろうなと思うのです。

いい時代に、いい場所にいると、なんかうまく行ってしまう。
でもうっかりそれを「自分の努力の結果だ」と思って「お前らも頑張れ、俺はそれでできた」と言ってしまう。

「自分はうまく行ったんだから、お前らも頑張れ」だけでは、説明できないものが世の中にはある。

さらに「今の若いものは」なんて言い出すと、「時代ずれてる」「老害」となっちゃうんでしょうね。
私もきっと、なってると思います。

すごく大きな「たまたま」の力

今の時代は、とにかくあっと言う間に世相が変わってしまうため、全部が割と「たまたま」なんですね。

ここから先は

1,765字
この記事のみ ¥ 300

これまで数百件を超えるサポート、ありがとうございました。今は500円のマガジンの定期購読者が750人を超えました。お気持ちだけで嬉しいです。文章を読んで元気になっていただければ。