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新興国で育つメリットは「期待値が低くなること」

文句ばかりの人と満足する人の差

マレーシアに来た家族をよく観察していると、同じ学校でも、満足している人がいる一方で、文句ばかり言う保護者がいます。「ビザの提供が遅い」「先生の教え方が悪い」「教材がわかりにくい」「サポートが足りない」「先生の質が悪い」などと、不満が次々に出てきます。

なぜ違うのか。
一つは「期待値の低さ」です。
他人やシステムに期待しない人の方が、おそらく幸福に生きられるんですよ。

そして、この「期待値が高くなる」ことが、日本で育つことの問題ではないでしょうか。

私が子供をマレーシアに連れてた理由はいろいろありますが、一つに「期待値が低い方が人はハッピーに生きられる」と言うのがあります。子供には幸せに生きて欲しいですからね。


他人に期待しすぎず、システムに頼りすぎず、自分で動いて責任を取るようになります。どういうことか、少し解説しましょう。

日本で育つと「他人やシステムに期待する」ようになる

日本はシステムがかなり整った国です。

電車は時間通りに来ますし、コンビニは24時間空いており、どんな田舎のコンビニに行っても応対はマニュアル通り。携帯電話で話しながら客にものを投げてくるような店員はいません。道路は整備され、信号やエスカレーターは壊れていません。官公庁の仕事も非常に明瞭です。

こう言う国で育つと、人は「なんでも予定通りに行って当たり前」「壊れてないのが当然」と思うようになる。

だから、ちょっと期待にそぐわないことが起きると、怒り出す人が出てくるわけです。
「コンビニ店員の言葉遣いがおかしい!」「路線図がアップデートされてない! どういうことだ!」と文句を言いだすんですよね。

ところが、マレーシアに来たら、道路には穴が空いてますし、エスカレーターはしょっちゅう止まっています。信号もときどき壊れていますし、食堂にはハエがいます。電車はときに1時間も遅れます。ビザがいつ出るかは、出してみないとわかりません。企業のホームページがアップデートされてないなんでしょっちゅうです。それに対して別に怒ってる人も謝る人もいないです。

人々はどうしているかといえば、道路の穴は気をつけて避け、エスカレーターが止まっていれば歩き、信号が壊れていれば、譲りながら行きます。電車が遅れて文句を言ってる人もあまり見ません。人々は静かに待っています。昨日は安食堂でゴキブリを踏み潰している人を見ました。

そんなの間違っている! 慣れる方がおかしい! 正すべきだ! と思われるでしょうか? 私は、そんな社会でも楽しく生きられた方が、多分、将来の生きる力やオプションが増えていくと思います。

東京だって同じです。わたしが子供の頃の東京は、街にはゴミが落ちてましたし、電車の座席にはガムの紙くずが押し込んであり、おじさんたちは街のあちこちで「カーッペッ」とやってました。正直、ヘンな人がいっぱいいました。今よりずっと危なかった気もします。が、どう言うわけか、今よりみんな楽しそうに生きていた気がします。

マレーシア人の多くが「日本みたいに清潔な国にしたい」と言います。が、私は行き過ぎた発展や清潔は人を苦しめるとも思います。

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