旧東ドイツの旧国家安全保障局の「市民監視システム」を見て考えたこと
こんにちは。
ドイツのライプチヒを旅してきました。
戦後のドイツはベルリンの壁が崩壊するまで40年、国家が東西に分断しており、東ドイツはソ連の影響下に置かれ、言論が厳しく統制されていました。
旧東ドイツのライプチヒで旧国家保安省ーーシュタージ記念館(Runden Eckeルンデンエッケ)を見てきました。
ライプツィヒ地区国家安全保障局が40年間、実際に拠点を置いていた建物です。
東ドイツの検閲の数々が明らかになる展示
何が実際に何が行われていたのか。
ルンデンエッカには、当時のままの本物の環境が残っています。
リノリウムのフローリング、黄茶色の壁紙、ケーブルダクトなど、実際に1990年の平和革命の間に直接作成されたままのようです。
(館内には手作り感があふれています)。
入り口は、まるでジョージアのスターリン博物館のよう。
ソ連型の共産主義国独特のムードです。
これを見て、思い出したことがあります。
恐ろしかった東ドイツへの入国
ちょっと個人的な話になります。
私はちょうどベルリンの壁が崩壊する直前、1989年の2月に東ドイツ(ベルリン、ライプチヒ、カール・マルクス・シュタット)に行ったのです。
今まで最も緊張した入国の1つでした。
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