読書拙想文 『聖の青春』大崎善生
「東の羽生、西の村山」と将棋史上に残る最強棋士・羽生善治と並び称されながら、平成10年に29歳で早世した棋士・村山聖の生涯を綴った伝奇的作品。
著者の大崎さんは元日本将棋連盟の雑誌編集者で生前の村山九段とも親交があった。そんな大崎さんが、村山九段の家族や師匠の森信雄七段からエピソードを集めたのが本作である。
29歳といえば今の私よりも一つ年下ということになる。幼い頃から腎臓の病気に苦しめられ人並みの生活を送ることが出来なかった村山九段。頻繁に体調を崩して高熱に苦しめられ入退院を繰り返しながら将棋の最高位「名人」を目指して執念を燃やしに燃やし切った生涯が描かれている。
病気に悩まされ早世した人の話というと、それでも前向きに希望を失わないことや命の大切さを描いた感動的な作品になるのがセオリーだと思うが、これは少し違う。村山九段の生の感情がそこには描かれている。
「名人になりたい」という一念で病気の身体を引きずって将棋を指し続けながら、「早く名人になって将棋から解放されたい」と願い苦悩する姿。
自分の命の時間が残されていないことを察しながら体調不良で将棋に打ち込めない焦りやもどかしさから、献身的な介護を続ける両親(実家の広島から、村山九段が活動する大阪や東京を何度も往復していた)にも辛くあたる姿。
プロ棋士への道が断たれた仲の良い先輩に対し「あんたは負け犬だ、僕は負け犬にはならない」と暴言を言い放ち泣きながら殴り合いをする姿。
どうしようもない衝動を抱え、爆発させながら生きようとする人間の醜くて格好良い生き様がこの本には詰まっていた。
病を抱えているにも関わらず、浴びるように酒を飲んだり、徹夜で麻雀をする村山九段の放埓なエピソードが作中には何度も出てくる。師匠の森七段はそんな村山九段の体調を心配するのだが、ずっと病院暮らしだった村山九段が青春を取り戻そうとしているように感じると止めることも出来ないのだ。
何度も言うようにこの本は伝奇的作品である。しかも村山九段が亡くなってすぐ(二年後)出版されている。しかも村山九段の両親は息子の記憶が時と共に風化しないようにと、家族同士の記憶を照らし合わせて細々としたエピソードの日付も正確な履歴を作成している。師匠の森七段は村山九段と共同生活を送って彼を支えていた時期もあり、その心中を深く理解している。
だからこの作品は綺麗ごとや、教訓めいた話、自己啓発に繋がるような言い回しは殆どない。病気を抱えながら死ぬ瞬間まで戦った人間の生な感情がそのまま本の中で暴れているような作品だった。