見出し画像

スマホを換える問題

あなたは「今のスマホを換える」という状況に、どんなイメージを持つだろうか?

ただし、「スマホ壊れた!」「スマホ失くした!!」など緊急性のない状況で。
「そろそろ充電バッテリーがヤバそうだから換えようかな~」くらいのテンションで、頭に浮かんだことは?

1、めんどくさい
2、お店に行けばいいだけでしょ?
3、新しいのに変えられる~♪

他にも思い浮かぶことは、それぞれでしょう。
私は断然「1、めんどくさい」である。
なにせ時間がかかる!
お店に行くのも面倒に思うような怠け者の私だが、そもそもスマホを換えるというのは「準備」が必要なのだ。なんの準備?「情報」の準備である。そもそもiPhoneからAndroidに変えるのか否か。私は長年のiPhoneユーザーなので、もうiPhoneでいいやと思っているし、それを変える気はない。では、機種をどれにするか。iPhone13?14?SE?15?Proとかは必要ないので、無印で。まあこれも費用が抑えられれば、正直どれでも十分に必要な機能が使えれば良い。

問題は「プラン」と「キャリア会社」である。
我が家は個別にスマホ変更の手続きをするのが面倒なので、夫婦一緒に変更する。すると、財布を握っている夫が料金について調べてくれる。これが大儀なのだ。
私などは、公式サイトや簡単に個人サイトを見て比較検討し時間のできた時にキャリア会社へ行って変えよう、という考えである。機種代はその店舗に行った時にお得になっている機種があれば検討し、それよりも安い機種があれば安い機種もしくは欲しい機能と金額を天秤にかけて考えよう、くらいのものである。
しかし夫は違う。
各種サイトを見た上でYoutubeをチェックし始めたのだ。
Youtubeで調査?!今やゲームや動物などボーっと観る動画だけではなくなったYoutube。ここで、お得なスマホの換え方について説明している動画を見始めたのである。
…そこまでするのか現代人。
夫は同い年だが、私の方がアナログ人間なのでYoutubeで情報を集めようという考えはなかったので驚いた。こんなところにまで出てくるのかYoutube!
果たしてYoutubeの動画を音だけで聴いていた私は混乱し始める。
まず、捲し立てるようにして説明をする配信者に困惑。たぶん夫は倍速で再生していると思われるので、余計に捲し立てるように聞こえるのかもしれないが、それでも情報を詰め込み詰め込み話す配信者の声に若干脳が疲弊する。
あえて急かすような音楽を流して購買意欲を掻き立てるみたいな手法をとっている店があるというのを、何かで聞いたことがある。あれに似てない?
見ながら正常な判断できるの?一回、頭の中を整理した方がよくない?配信者とあなた、スマホに求めることやプランについてる特典で意見一致してるところ、全く同じなの?私はそこまでの金額出して、特典を全部フルに活用できる自信があるかどうか考えたいのですが…。
そして、夫は結論が出たような出てないような感じで娘とお風呂に入る準備を始めた。
なんか頭の中を複雑にするだけして終わってやしないか?
おもちゃでいっぱいの箱をぶっちゃけて、片付けもせずに放置したような感覚を覚える。
これ、情報詰め込むだけ詰め込んで、いざ店舗に行くとブレにブレるパターンじゃないか?
実際に店舗に行ってみないと結果は分からないけども。

今回のスマホ事件(?)に限らず、最近は何かしら情報が多すぎて困る。しかも、よくよく考えると不確かな情報が。
人の興味を引くような情報だけ切り取って流し、それしか見ていない人たちは「確かな情報」として受け取って著名人を炎上させてみたり、商品の不買い運動を起こしてみたり、勝手に言いようのない不安に押しつぶされたりする。
便利なはずのネットが、弊害になる瞬間。
いろんな人間が流す情報が多すぎて、どれを使っていいのか分からなくなる。他愛のないことにしても、必要な事柄にしても。更に今や「AI」まで一般社会に登場している。ネットやAIの情報・機能に流されて、どっちがロボットなんだろうか?と思ってしまうことがある。
情報が多すぎて、受け取る人間は上手く活用できているのだろうか。
「大は小を兼ねる」「備えあれば憂いなし」とか言ったヤツは誰だ?!
「大は小を消す」し、「備えあれば憂いは続くよ、どこまでも」の現代だぞ?!
大きい声は小さい声を消すし、間違っていても大きな情報は小さくても正しい情報を消しかねない。
情報という武器を備えるだけ備えても、もっと情報を求めて調べるから備えても備えても不安は消えないし、無限にある情報を探ることになる。

なんだか人間的じゃないよな~と思ってしまう私がいる。
確かに情報は重要だし、「情報を制するものが勝つ」的な風潮は理解できる。武器は、あればあるほど強い。
でも、流れるまま情報を受け取って、それだけを鵜呑みにして、そのまま使っているようにも思えて空しくなる。人間って「考える葦」じゃなかったの?
これまた昔の言葉だけれど、自分でその場を見渡して考えて動けるのが人間なのでは?と思う節がある。
情報を集めて、自身の状況・自身以外の状況、場所・立場的状況…など、いろいろ現状を考慮して頭脳で臨機応変に計算できるのが人間。
一方で与えられた情報を基にコンピュータで計算して、答えをたたき出すのがロボットや機械であり、融通の効く範囲が人間よりも狭いものだと思っている。
何でもかんでもではないだろうけど、ネット情報を鵜呑みにする傾向の強い現代人はどうなんだろう。
手軽に受け取れるようになった情報を、手軽すぎるが故に手にした情報をいちいち信じ過ぎてはいないだろうか。
もっと「自分」を出して、シンプルに物事を考えられないだろうか。
「あの人なら、たぶんこう思ってるよな」「自分ならこうするけどな」「これ自分がされたら嫌だから止めておこう」がシンプルにできる世の中はどこへ行ったのだろうか。個性が云々…どこが?その人のシンプルが個性ではないのだろうか。これまた「皆と違うことをすればネットで叩かれる」「白い目で見られるから、自分は嫌だけどこうしよう」は、また別のお話になりそうだけれど。ネットで得た知識・情報・意見を鵜呑みにした考えや行動は個性なのだろうか。(常識の範囲内は暗黙の了解として)

もっとシンプルに考えたいな~。


※全て個人的な意見ですので、ご容赦を…(汗)


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?