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残業代は働き方の質を上げる

教員の残業代はいわゆる固定残業代です。

教育調整額と言われますが、勤務時間の長短を問わず、働いている時間・働いていない時間関係なしに(勤務時間外の職務に対する評価も含んだ対価として)、給料月額4%が支払われています。ちなみにこの4%は昭和41(1966)年の勤務状況調査の結果を踏まえて、超過勤務時間相当分として算定されたものです。つまり、60年以上前のデータをもとにした固定残業代が未だ適用されているわけです。

当然これは見直すべきであると考えています。
一方、変更の方向性として、教職調整額を引き上げるのか、時間あたりの残業手当をつけるのかなど、様々な選択肢があります。
私は、固定額ではなく、時間あたりの残業手当をつけるべきだと考えています。教員から民間企業に転職し、時間あたりの残業手当がつく環境で働いた経験をもとに、理由を論じます。

残業が無駄を生むかどうかはマネジメントの問題

教員時代は残業しても給料が変わらないため、いかに効率化し、早く帰るかを考えていました。一方、民間企業に転職し、残業しただけ手当がもらえるようになり、頑張った月はその分の対価を得られるという経験から、良い意味で時間を気にせず働けるようになりました。近年、タイムパフォーマンス(タイパ)という言葉もあるように、時間あたりのパフォーマンスは当然重要です。しかし、パフォーマンスを上げていく過程で、無駄とされるものを数多く経験します。むしろ、無駄がなければ、イノベーションや変化は起こらないとすら考えます。

残業代がつくと、残業代を稼ぐべく無駄に働こうという考えが生まれるとの指摘がありますが、これはマネジメントの問題です。残業に対し、上司ないしはバックオフィスがきちんと報告や説明を義務付けることで、残業に対するアウトプットを見える可し、無駄な残業を省いていくという体制があれば、上記のような考え方は少なくなるはずです。

もちろん、これに伴い、管理職や事務方の負担が増えることは必至です。そこも含め、運用方法は考えなければなりません。また、そもそも業務量を減らしていくことも大切です。残業代がつくからといって、膨大な残業を肯定することに繋がってはいけません。
一方、生徒と向き合って仕事をするには、無駄や非効率性こそ大切な場面がたくさんあります。これをきちんと担保するために、時間あたりの残業代をつけるべきだと考えます。

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