続・遠目に見えるのは・・・
さて、昨日もこんな書き出しでした。
昨日は部活に向かう生徒たちを見て、それに関して書こうと思っていたのに、いざ萩生田文科相の記事を引用して書き始めたら完全に論点がずれてしまいました。
ちなみに、今日遠目に見えるのは「N」を背負う少年少女たちです。
通じる地域と通じない地域があると思うのですが、「日○研」へ通う小学生のことです。
もちろん、小学校6年生にとっては、受験前の最後の追い込みの夏なんでしょう。
一生懸命、目標をもってやっていることを批判するつもりはありません。
しかし、この中学受験は諸刃の剣だよな、と思うことが多々あります。
小学生だからこそ、考えれば考えるほど、覚えれば覚えるほど知識を習得できる小学生のうちにやれるだけのことをやっておこう、というのはある意味では正解なのかもしれません。
しかし、それが無理やりであったり、本人の意思と無関係だったり、ただ点数や偏差値などの数字をあげるためだけであれば、ちょっと待ったといいたくなります。
なぜかというと、中学校に入ってから、勉強のしかたがわからなくなるから。
塾産業はもちろん、数字をあげて目的の学校に入れるところまでがお仕事なわけです。
しかし、本人のためにそれでいいのかというと、決してそうとはいえないという子どもを結構見てきた気がします。
・無理やりやらされすぎて勉強嫌いになってしまっている
・苦手教科とか得意教科が小学生の時点ではっきりしすぎて、苦手に目をそむける習慣ができていたり、完全にアレルギーを起こしてしまっている
・効率的に得点するために「捨て問」の習慣がついて、それを言い訳にして苦手教科から逃げる習慣になっている
・中学受験までの間に親子関係に致命的な亀裂が入ってしまっている
・中学入学がスタートラインなのに、中学受験合格で燃え尽きてしまって結局入学早々にドロップアウトしてしまう
問題を挙げればキリがありません。
塾はそれとなく繰り返しプリントを用意したり、子どもの成績が上がっていくように戦略を立てて実行するところまで面倒を見てくれています。
しかし、それがなくなった途端(=中学に入学した途端)、どのように勉強の戦略を立てればいいのか、どう実行していいのかがわからなくなってしまう。
そして、結果としてまた塾に行くようなことになってしまう。
塾側から見れば、お客さんがリピーターになってくれるので、ある意味では成功なのでしょう。
しかし、教員として、人間の成長という観点から見れば、いわゆる「自ら学ぶ」みたいなことは大失敗しているような気がしてなりません。
果たしてこんなことでいいのか、とちょっと思ってしまいます。
そんなことを、遠目にNを背負う少年少女を見ながら考えてしまいました。
皆さんはどう思いますか?
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