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【SES日記】第2章⑨最終回!親の介護で実家に帰ります(嘘)

SES2年目です。
1年間過ごした2現場目もいよいよ最後の1ヶ月。

その職場がよかったにしろ悪かったにしろ、最後って泣けるのですが私だけでしょうか。

おそらく過去最大ボリュームの約6300文字です。


5月作業実績

計18日、実働時間合計166.5時間(残業36.5時間)
・内部結合テスト実施・エビデンス整理
・内部結合テストレビュー、指摘取り込み、お客様提示
・外部結合テストWBS作成
・外部結合テスト観点作成、レビュー、指摘取り込み
・外部結合テスト仕様書作成、レビュー、指摘取り込み
・総合テスト仕様書作成、レビュー、指摘取り込み
・影響調査
・出社当番(電話対応)
・退場作業、引継ぎ

改めて作業の多さにびっくりしました。
案件の途中で抜けるのでやれる限りのこと(総合テスト仕様書作成まで)はするつもりでしたが、noteを記載している3ヶ月後の今は信じられません。

内部結合テストの実施とエビデンス整理、レビューが終わったのが5月の3週目です。
問題があるたびに子リーダに相談していたのですが、親リーダに「それはデータの改ざんだ。内部的にやり直せ」ということになりました。
(結局私はできず子リーダがやることに)

今回より始まった外部結合テストの観点作成が、記載方式が確立していないため難しく時間がかかりました。
他3部署との連携が必要なのですが、誰がその調整をするねんって感じでとても困りました。
(私が動かないとダメだったのだろうかと思いましたが、上の人が動いていない認識で合っているようでした)

外部とは決まらないまま、内部だけの思いでテスト仕様書作成してよいとのことだったので、最後1週間くらいで2ユースケース分の外部結合テストと1ユースケース分の総合テスト仕様書を作成。
(A先輩がある程度は記載してくれていました)
最後の数日でレビューをしまくりました。

確か26日とか、その日しか会議が入れられなくて1日に6回くらい会議、5時間残業した日もありました。。

他にも勉強会動画作成というのがしれっと私に振られており(工数に入っていない)、知らないふりして去ろうと思っていました。
しかし、5月末期限で進捗を聞かれてしまったので他の人に振れないか子リーダに相談しました。

有識者も知らない内容でなぜ私が担当になったのか不明。私だからこそ作成できる内容だったら土日使ってでもがんばったのにな。。
もう退場するのに今から現場ルールを学ぶ気にもなれないし。

このままでは退場までに切りよく作業が終われないことをアピールし、子リーダが親リーダに怒られながら最終的には私の手を離れることになりました。
(でも、まだ退場しない同期は逃れられなかったので、5月末退場でよかった)


新しいことを学ばなければいけない。それがモチベ復活に

面談は今回1回で済みました。
今メモを見返すと、現場の技術であるC#(全くの未経験)とPostgreSQL(現場未経験)についてめっちゃ調べていました。隙あらばアピールしようとしていたようです笑。

今回も営業が前にいた現場で、営業同席、同時入場の5年目の先輩も一緒でした。
この現場で自分の苦手な環境がよく分かったのでそれがないかどうか営業に質問したかったのですが、先輩がずっとしゃべるもので質問できませんでした。。

その先輩は1年半前の初めての面談でも一緒で話したことがあり、フレンドリーで話しやすい人という印象です。
(しかし、先輩は覚えていなかったようです。忘れたままでいいのでつっこみませんでした)

当時、先輩はめちゃくちゃ緊張してる感があったのですが、今回はそんなこともなく、面談担当に対して気軽に質問しているように見えました。
スキルシートは長文に書き込まれていて真面目な印象も受けました。
(それを全部話すので内心「長いな〜」と思いながら右から左に流していました。あまりの長さに疲れた私は超シンプルに話しました)

向こうからの質問はなかったです。
営業が言う通り「ゆるい」現場なようです。
でも面談の場(応接間?)は緊張するし、苦手な逆質問は促されたのでドキドキでした(営業にも緊張してたねって言われた)。

面談担当が今回の新規システム構築を「規模がでかい」、「仕様が難しい」とおっしゃるので不安です。

この時、未経験のC#はそれほど不安に感じていませんでした。
むしろ新しいことを学ばなければならないため、モチベーションが復活してきました。
(今の現場は現場特有ルールはいっぱいあるけど、技術的にはあまり求められないので勉強のモチベが上がらなかった)

先輩はC#経験者だけど「Javaの方がいいよね?」って言ってて、この人フォローする気ないなと直感で感じました。


みんな出たがっている

毎週勉強会をしている仲の良い同期が5月から入場しました。
まさかの同期3人目。
しかも毎週この現場のよくないところを聞いていたのに入場することになるとは。。

1ヶ月目にして「もう出たい」と言っていました。
理由は以下のような感じです。
・スケジュール調整に時間がかかり、2週間で終わるような作業が1ヶ月半くらいかかりそう
・覚えなきゃならない現場ルールが多い
・リーダ陣のクセが強い。パワハラな親リーダ、他にも機嫌悪い人、嫌味言う人

私よりも多くの現場(5つくらい?)を経験している人が言うので説得力があります。
私が感じていたことって間違っていなかったのだと。

もうすでに上長には「もう出たい」と話したそうです笑。
その上長はかつてB先輩(4月末退場)からこの現場のよくないところを聞いていたので共感してもらえたようです。

4月に入場した同期も「もう出たい」と話していました。
リーダ陣が多忙で雰囲気が悪いと。今までの現場で一番雰囲気悪いみたいです。

正直言うとまだ入って少しの彼らは「もう少しは耐えなさい」と思いますが、7月から入場しているC先輩も出たくてたまらないのに出られないそうです。

私は退場が決まった後で理由は「親の介護で実家に帰る」ということになりました。
3、4月で大入れ替えがあったため、上位会社がさらに上位会社に言えないからだそうです。

私は現場に迷惑かけないようにタイミング見計らって、営業と相談したつもりだったのに。他の人の退場は私とは関係ないし、なんで嘘つかなきゃならないの!と思ってC先輩に打ち明けたのですが、そうでもして私を退場させたかったのではとのことでした。

出られるだけ感謝だと分かりました。
もしかしたら3、4月に退場した人たちも出たがっていて、なにかしらの理由をつけさせられたのかもしれません。


先輩との不仲

私と先輩ではありません。
同期とA先輩が不仲です。

むしろ私はいい先輩だと思っていました。
技術力も高いし行動力がある。後輩フォローの意欲が高い。
有識者に直電はマネできないですが、彼の積極性に憧れを抱いていました。

しかし同期曰く、
・自分の案件を知らないところで勝手に進められており事後報告。自分も有識者に質問したいのに彼が有識者を奪っていて質問できない。
・子リーダに高圧的な態度を取り不快。
・細かい管理がありリマインドが多く息苦しい。
とのことでした。

入場から一緒で普段の様子から信頼と尊敬をしている同期です。
私はそれらのようなことはなかったですが、今までも同期の感じることに共感できることが多かったので、「感じ方の違い」では片付けられないと思っています。
私と同期で対応が違う、もしくは案件の違いかなと思っています(私と先輩の案件は同じユースケースだからあまり問題はないけど、同期の案件は違うし難しい)。

少し同期の味方をして一応週報にも記載しました。
私が書くまでもなくすでに対策は進んでいたのですが、同期の上長や営業は先輩擁護派だったので同期を擁護したかったのです。

最初の現場で私は、先輩からの一方的な評価で正社員になるのが半年遅れました。でも今の現場は二人きりじゃない。
私は同期もA先輩も尊敬しているので、二人の評価が下がらないように、私が感じたままを書きました。

ただすごいと思うのは、同期は「いただけない!」と思ったことをしっかりとご本人に伝えることです。
このエピソードは私の今後に影響を与えました。

この現場は自社メンバーも多く、いろんな人のいろんな行動が見られたので、「こうしていいんだ」と勉強になりました。


出社も慣れた。電話も慣れた

5月?から出社当番が変わって、1週間ごとにローテーションとなりました。
今まではグループ長が適当に決めていたので、ある人は出社が多く、ある人は少ないという偏りがありました。

今までの方式だったらテレワークで済む可能性もあったのですが、ローテーションのおかげで5月の5週目が出社当番でした。
前までは当番が分かった瞬間に憂鬱でたまらなかったのですが、さすがに1年もやっていると慣れたようです。

電話くらいしか当番作業はないのですが、とにかく電話嫌いで前職退職理由にも今回退場したい理由にも挙げたくらいとにかく嫌でした。

今までにも車の運転やレジなど苦手なものを慣れで克服してきましたが、電話は無理だと思っていました。
でも、慣れるんですね。ちょっと自信になりました。

どんな人からかかってくるか分かってくるようになれば問題ないです。何回か出ていると声で誰かも分かってきます。
職場が変わればまた慣れるところからのスタートになりますが、いつかは慣れることが分かっていれば、過剰な不安はしなくなると思います。

大体は内部や決まったお客様からの電話だったのですが、この週1回だけ、私には手が負えない問い合わせが来ました。
そういう時もどうしたらよいかが分かっていたので問題ありませんでした。(とは言えメンションしてチャットしても気付かれないことがあるので気づいて指示してくれたグループ長に感謝)


最後でさえ言葉にできなかった

最終日はみんなの前で軽く挨拶するんですよね。自社メンバーにはチャットも。
その文章をずっと考えて、これ今年に入ってから定期的に考えていたりしたのですが(笑)、最後の最後まで言葉がまとまらなかったです。

最終日前日も夜遅くまでずっと考えていて、一旦はまとめたのですが、それを言うこともチャットで送ることもしなかったです。
本心を表に出すと泣いてしまいそうだし、そんな熱い思いがあったのだと思われるのも恥ずかしい。淡々とすることに努めました。

グループ長からは「思い出話は?」と振られました。
全然考えていなかったので「すぐには出てこないです」で逃げました。
正直言うと、親リーダが子リーダに毎日怒っていたことくらいしか覚えていないです。
それを言うと二人に話が振られそうなのでそれは阻止したかったです。
本当に泣いてしまいそうだから。

そしたら同期が振られました。
その場でもすらすらと言葉が出てきてすごいです。
同時入場の同期。つらい時もつらい時も、つらいことしかなかったけど共に手を取り合いがんばった同期。彼女のおかげで私はここまでやってこられました。
その場では「ありがとうございます」しか言えなかったけど、私も熱い思いがありました。

5月末の退場者は私しかおらず、他にも関係者に振ろうとするので困りました。
今プロジェクトを3月までまとめていた方からも言葉がありました。その場では声が聞き取りづらいこともあり、その後チャットもいただきました。
私のおかげでこのプロジェクトがスムーズに進みました。ありがとう。といいたような内容でした。
まさかこんなお言葉を頂けると思っていなかったのでウルッときました。

出社しているので困ります。
鼻水を抑えながら平静を装い、まだ残っているレビューを淡々とこなしました。


入場したことを後悔するレベルの退場作業

1週間前?くらいに退場作業を連携していただいたのですが、アンインストールとかファイルの削除とかそれのスクショとかチェックリストとかとにかくたくさんありました。
チェックリストの多い現場だったけど、最後まで多いのだなと。
最後終われるかが本当に不安で緊張した最終日でした。

引継ぎは最終日夕方に行いました。
結局引継ぎ者が決まらず?子リーダとA先輩にファイルを連携しました。
引継ぎと言っても私しか知らない情報はあまりないので、あってもなくてもどっちでもいいパス一覧くらいなものでした。

去る側は伝えたい思いとかあるのですが、明日から変わらない残る側との温度差があると思い、引継ぎの際に直接の挨拶をし損ねてしまいました。レコーディングされているし残るのは恥ずかしかったです。

チャットで私の案件をよろしくお願いします的なことを送りましたら、子リーダとA先輩から「私たちで成功させるから安心して。次の現場でもがんばって」といったようなお言葉をいただき、これまたこみ上げてくるものがありました。

テレワークなのもあって彼らとは必要最小限の質問しかしませんでしたが(それでも結構時間食う)、雑談とかもっといろいろ話をしてみたかったなと思います。

16:30が定時だったのですが、16時くらいから削除作業をやっても間に合わなかったです。グループ長承認は親リーダがしてくださるとのことで18時頃かな、無事に退場できました。

たまたま出社だった親リーダに見送ってもらいました。
子リーダにはパワハラだったけど、前職の上司に似てるところがあって、私は好きなリーダだったな。
もう少し働きやすい環境だったらもっと一緒に働きたかったです。


なんで泣けるのだろう

その後泣きました。
出たかった現場に出られて喜んでもいいはずなのに、この感情を言葉で表現するとなんだろう。

悔しい
もっといたかった
もっとがんばれたのでは?

今までの人生で最も働きづらい環境、苦手な仕事ばかりだったこの現場。
でも人はよかった。自社メンバーも上位会社の人も。
だからもっとこの人たちと働きたかった。

しかし、ここに居続けられない理由がたくさんあった。
なにか魔法にかかっていたかのように頭も体も動かなかった。どんよりとしたモヤにずっと包まれていた。
それが晴れた今、もっとできたのではないかと思う自分がいる。

それは次の「始まり」があるからモヤを立ち切れたのであって、この「終わり」があることはしょうがないことなのです。
「終わり」は自分にとってプラスであるものであっても、しっかりとダメージを負う。

この涙は1年がんばった証であり、後悔であり、喪失感である。

前の現場の終わりは、あいみょんの「生きていたんだよな」を聴きながら大号泣したようですが、今回はエレカシの「悲しみの果てに」が流れてきました。


悲しみの果てに何がある?

悲しみの果てに何があるかなんて?
分かりませんでした。この時は。
ただ悲しみに暮れていました。

切り替えなければ。
明日から始まる次のことを考えなければ。

先輩と入場のはずだったのですが、間際で先輩がコロナになりました。
私は初めて一人で入場することになります。

不安?
悲しみの方が強くてそれどころではなかったです。

この現場で一人で入場する人を何人も見ました。
先輩だって、初めての現場では分からないことだらけで初歩的な質問もたくさんする。なんだって質問していいんだとこの現場で知ることができました。
だから大丈夫。

慣れたらグループ長にも「分かりません」って平気で言っていました。
慣れが大事!慣れるまでの辛抱!

今の悲しみは明日になったらしてられない。
今宵はこの悲しみを噛み締めよう。


さいごに

長い文章をここまで読んでくださりありがとうございます。

次回
【SES日記】第3章①三度目の正直?180度環境の違う現場

第3章も読んでくださると嬉しいです。


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