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自殺は神様が許してくれた人しか成功しない


(スピリチュアルではなく)

未遂をしてそれでもなお生きてしまっているから思うこと。

誰かのニュースの度に思う。

神様から許された人だと。

そして少し羨ましくなる。

先に断っておくが、この文章は推進するものでもとめるものでもない。


親からの毎日の失神するほどの暴力、「お前を産んだことが人生の汚点」などと言われ唾を吐かれ続けること、ボロボロの身体で学校に行って眠気に負けて寝てしまい、ついていけない勉強に先生からも注意の毎日、誰にも言えないこの状況に、2度死のうとしたことがある。

学校に行くふりをして無断欠席をし、そのまま九州から遠くの東北まで逃げて川に飛び込んでみたりふらっと車通りの多い道路に飛び出してみたり凍死をしようとしてみたり。学校の近くのお堀に飛び込んでみた事もある。

だが、全部失敗して今ここにいる。

飛び込んだのにちょっと流されて終わりだし、車は止まるし、真冬にくそ薄着で野宿をして外で寝たのに起きたら足が動かんだけだし……

結局、人の目を掻い潜って逃げてなんともなかった振りをして帰るか、捜索していた警察に捕まり、家に連れ戻された。

未遂なんか言おうものなら、虐待もバレて、今まで必死に取り繕ってきた世間体も壊れ、ここに居れなくなるし、とんだ親不孝者だと思い、学校に戻ってからは警察にも学校にも親にも友達にも「なんとなく遠くに行ってみたかった」と有り得ないような不思議ちゃんキャラを通した。行動に責任がないという先生たちからの説教の毎日の学校謹慎に家庭謹慎に警察からの説教を受けた。

その時に思った。

これが私の使命なのかと。

こんなにも死のうとしたのに死ねないのは、きっと神様が許してくれないからだと。

これくらいの苦しさでは、神様は許してくれないんだと。

神様は、これ以上頑張れない、もうこれ以上人生を全うしきれないという人しかを成功させてくれないんだと思うようになった。


それから、あんなにも死にたいと思っていたのにその気は失せた。

ただ、今でもいつ死んでもいいとは思っているし特段生きたいとも思ってない。

だけど、生き残ってしまったからには、神様に許してもらえるまで生きなきゃいけないという使命がある。

そのために、未遂を経験してるからにはその味わった(味わっている)苦しさを伝え、寄り添い、強い人間にならなきゃいけない。


これからも続くであろう苦しい日々は全てそのためにあるんだと心の中で思っている。


神様はまだ許してくれない。

もっともっと頑張らないときっと成功しないぜ。




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