“国宝”を守る 150年先を見通す3次元の書画修理 「美とは何か」#3
現代の経営に不可欠とされる「美意識を鍛える」。そもそも根源の「美」とは何なのか。国宝級の美術品が極める「美」とは? 文化財の多く残る京都で、明治の創業以来、書画修理を手がける表具師に尋ねた。(THE KYOTO編集長 栗山圭子)
書画の修理を手がける「岡墨光堂」。1894(明治27)年に創業し、寺社や博物館などの貴重な文化財の修理に数多く携わってきた。そのなかには、『源氏物語絵巻』など国宝や重要文化財も多い。
4代にわたり、一級の絵画や墨蹟に向き合う同社社長の岡岩太郎さんが「美」をどう捉えるのか知りたくて、連絡を取った。案内されたのは、暦の上で「大寒」の1月20日だった。
京都市中心部にある町家を訪ねた。中庭では、伝統的な「寒糊炊き」が行われていた。極寒の時季、足元から寒気が広がる。
修理支える寒糊 8~12年熟成
糊は修理に欠かせない大切な材料だ。
水で溶いた小麦澱粉を火にかけ、まんべんなく練る。とろりと練り上がった糊は、湯気を立ち上らせたまま、2斗甕(36リットル)に移され、外気で急激に冷やされる。例年、甕5つ分の糊を作り、土蔵の床下に収めるという。
「すぐには使わないんです。8~12年熟成させて、古糊にします」
「味噌などの発酵食品と同じ。熟成させることで分解され、適度な粘着力になる。粘着力が強いと固くなり、書画を巻いたり開いたりがスムーズにできず、傷めてしまう」
近年、科学的検証が進み、昔ながらの知恵が利にかなっていることが認められた。
現状維持が大前提
文化財の修理、とりわけ書画は、現状維持が大前提だという。
過去の修理で、薄くなった線を書き起こすなど、手が加えられたものも目にする。それも含めて、文化財としての学術的価値を探る。さまざまな人の手が入ったことで、価値が生じる場合もある。「原理原則を通すと、そのものの美的価値を失うことになりかねない」
裏打ちの糊や絵の具をとめる膠(にかわ)など、自然劣化も生じる。 「100~150年のサイクルで、修理するのが理想。150年先に修理する人が、なぜこんな処置をしたのか、明確に分かるようにしないといけない」
先人から手業のメッセージを受け取り、自分がいない未来の職人にメッセージを送る。美を継承するため、そんな責任を負っている。
繊細な線 微妙な隈取り
数々の美に触れてきた岡さんにとって、「美しいと感じるもの」を尋ねてみた。
「よいものには、心が揺さぶられる。国宝や重文などかかわりなく、繊細な線の美しさや微妙な隈取りのグラデーションなど。全体を見て『すごい』と思い、なぜすごいか、分解していくと、均質な、ぶれることのない輪郭線がある。見た時に迫るものがある」
16歳のとき、父親に初めて徳川美術館(名古屋市)に連れて行ってもらった。『源氏物語絵巻』を見たとき、呼吸が上がり、高揚した。現存最古の物語絵巻に生き生きと描かれた王朝の人々の暮らしぶり。しつらえられた調度品の文様や装束まで、ディティールの一つ一つに引きつけられた。50歳を過ぎた今も、年に何回か、胸に迫ってくるものに出会うという。
「神は細部に宿る」-。ドイツの建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの言葉だ。
岡さんは「美は細部に宿る」という。
「美は、つくる人の強い思いにもある。修理の際、画像を拡大していくと、肉眼では識別できない緻密な画像が現れることがある。顕微鏡で見ないとわからないような細かい模様を見て、ふに落ちる。そういうところに、心を尽くした表現がある」
もちろん、何を美しいと感じるかは人によって違う。色やものを感じる基準は環境によっても変わる。
「うちは、この床の間が基準」
かつて、富岡鉄斎や田能村竹田、竹内栖鳳らの展覧会をした座敷の床の間だ。「創業者の曽祖父が、書画を一番いい状態で見られるように造ったはず」という。晴れの日も曇りの日も、横から差す太陽の光が障子越しに間接照明となる。今も、預かった書画を床の間に掛け、醸し出される美の表象を確かめる。
「書画は2次元ではなく3次元」だという。紙や絹に線を描き、色を重ね塗る。そこに時代の古色がのってくる。さらに「人間がつくったものは、その人の感性が入っている。それは数値化できない。言葉、理屈で突き詰められないところに、感動させる何かがある」
科学的検証も進む文化財修理の現場で、数値に表せない美を求める。
※次回は3月19日に公開予定です。
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