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33年ぶりの来訪
2022年8月17日
長野へ行ってから「出掛ける」ことを思い出し、しばらく前から注目している俳優さんの舞台があるというので、直前にチケットを取っていそいそと遠出をする。
芝居を観るのは3年ぶりで、いったいそうした日には何を着ていけばいいのか、自分がわからなくなっていることに気が付く。きっと多くの人がこの数年の間に経験した感覚だろう。
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東京公演が感染状況を鑑みて全部中止になったそうで、期せずして舞台初日だし、ノゾエ征爾の笑いはトウのたった関西人にはなかなかに難しいところがあったけれど、ルーシーやおじいさん、王子様のキャラは魅力的だったし、知恵を絞って作りあげた感があって、久しぶりに「文化的な刺激」を受けた感覚。不要不急かどうかは別として、こうした「お出掛け」は必要だなぁとしみじみ思う。
帰りにホールのあじさいの外壁を眺めながら、ここで高校の部活の演奏会をしたことを思い返す。同じ「中ホール」の舞台に贔屓の役者が立っていたことを嬉しく思ったけれど、ふと、当時まだこの人は生まれていなかったことに思い至る。その後大学生をしていた頃に生まれた人が、こんなに大きくなるのだから、(本人の自覚はどうであれ)自分も歳を取っているはずである。
そうやって時は流れ、歴史は刻まれ、人は老い、盛りを過ぎて、やがて舞台から去っていく。人生の時間は限られていることを、このごろやけに気づかされる。