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引っ越しから考える、モノ

シェアハウスとコワーキングを備えた小さな町のコミュニティスペース「KYOTO LAUNDRY HOUSE」がオープンする。(この宣伝用にブログを始めたのではない)

年明けからコロナ休業で、ランドリーマシン掃除以外、やることがなくなってしまった。ハウスの改装費をケチる為、旦那さんとDIYに日々励むことに。引っ越しの為の荷造りに追われ、床を削り、ホームセンターを行き来する毎日だった。

ハウスは狭い。余計なモノを、捨てなければならない。
しかし、目の前に立ちはだかる、巨大な荷物の山山山。

どんな気分をコーデしたかったのか。手に入れたのはなぜだったのか。
もう思い出せない。悲しいほどの、理由なき所有欲。

洋服。かばん。帽子。CD。雑貨。下着…

使ったり、使わなかったりした「私」をソト側から彩った、
かつてのモノたち。「私」のウチ側とは全くリンクせず。

ゴミ袋に捨てながら呪文のように唱えていた。
「過去の私よ、さようなら」。
背後のストーリーに感情移入してしまうモノもあるから、
整理にひどく時間がかかる。
別れは、夜な夜な、続けられた。

トランク一つで旅立って、帰国してきた頃のミニマリズムは何処へやら。
いつの頃からか、余計なモノをため込んでいた。

やっぱり「買いの原則」はコレだわ。

昔から、意味のある消費ができる人間になりたかったはず。今のような、エコバッグを持つのもぎこちない、生産者の顔が見えない、繰り返しの「購入」と「消費」をいつまでも続けてていいことなんてないかも。

あー、エシカル消費って、自分的「ネクスト段階」。
「買う時の選択肢」をしっかりするって話かー。

たしかに。
流行に左右されず、飽きないトーンを選ベば、捨てなくて済むかも。
さらに、生産者に還元できるアイテムなら、これ以上はない。

ふと、韓国での生活での「古着回収箱(헌옷 수거함)」を思い出した。

韓国が通貨危機を経験した1990年代後半に登場し始めた「古着回収箱」。町の至る所に設置されていて、服だけじゃなく「何でもBOX」で、リサイクルに出したい時に使える存在だ。都市部よりも、郊外の方がたくさんある。

「大事に使って(アッキョスゴ)、分けて使って(ナヌオスゴ)、変えて使って(パッキョスゴ)、もう一度使って(タシスゴ)」という「アナバダ」という社会運動がきっかけで、モノを必要とする人たち(恵まれない隣人やハンディーキャップを持つ方など)のために設置されたらしい。

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「買う時の選択」がダメでも、町に「リサイクルBOX」とかがあれば、
まだ、心が許される気がする。ゴミ袋に大量に詰め込む、無残な姿よりは。

ゴミの話は、まだDIY編でつづく…

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