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11.ダーヴィッシュが来た日。セッションとは何か? その答え。

 現在、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていますが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。

 そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。

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 2002年12月10日、アイルランドのスーパーバンド「ダーヴィッシュ」が関西公演を終え、fieldにやってきてくれた日。洲崎はこれまで続いていた「セッションとは何か?」という自問自答に、一つの答えを出します──。(Irish PUB field 店長 佐藤)

↓前回の記事は、こちら↓

ダーヴィッシュ襲来  (2002年12月)

 今月のテーマは、「今年の、これだけは書いておきたいアイリッシュ・ミュージック体験」という事なのだが、私個人的には先日12月10日にダーヴィッシュ京都公演の打ち上げ会場として彼らを迎えたパブのおやじとしての体験が、これまさに「今年の、これだけは書いておきたいアイリッシュ・ミュージック体験」そのものだし、前回の「ライブとセッションの微妙な関係」~「ライブとセッションは別物?」の続編という側面も加味して12月号を締めくくろうと思う。    

 ダーヴィッシュは、何を隠そう98年の暮れに私が初めてブズーキという楽 器を手にした時に、必死のパッチで(古いか?)でコピーしたバンドなのだった! 

 そのCDは《ライブ・イン・パルマ》だったが、初めて触る楽器だったことに加え、何よりも彼らのチューニングが半音高いことに気がつかず「なんじゃ!この楽器は!?」と、チンプンカンプンなのを楽器のせいにして危うくサジを投げかけた。  

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↑スペインでのライブが収録されている
ダーヴィッシュの名盤「ライブ・イン・パルマ」

 さすがにヴァイオリニストは絶対音感を持っている! 彼らの録音が半音 高い事を教えてくれたのは相棒のクヌギ君だった。というか、彼はダーヴィッシュのサウンドに魅せられて、私よりも半年以上早くブズーキを入手していたので、私の初めてのブズーキの先生は、認めたくないがこのクヌギ奴なのだ。というわけで、京都公演の会場だった磔磔ではクヌギ野郎はブズーキのマイケルの真ん前の最前列で腰振って踊り狂っていやがった!  

 とまあ、内輪話はこれぐらいにして、本題である。ダーヴィッシュのステージはライブCDやビデオから想像していたものとは少し様相が違っていた。非常に緻密なアレンジを職人技でキッチリ演奏するメカニカルな技量もさることながら、ヴォーカル&バウロンのキャシーのまるで指揮者のような身体の動き!! 

 あの大きな横揺れはなんじゃ!! アイリッシュ・リールって縦ノリちゃうのん?え? クヌギ君がブズーキのマイケル・ホルムズをさして  

 「あの、ぶっといリフの応酬はまるでマイケル・シェンカーやんけ!」

 と叫んだ如く、また、ギターのシェイマスは何かよく分からなかったが変則的組み合わせの弦を張ったギターで超低音を支え、ブライアンのマンドラがもはや16ビート・カッティングか!と息を飲むほどの離れ業を見せる。方やマイケル・シェンカーなら、こちらはナイル・ロジャースと言えば大笑いかな。  

 そうなのです。前回の私の原稿を読んでいただいた方は記憶しておられる かもしれませんが、field のハロウィン・パーティーで私が組んだユニット。 若いギター野郎の問題発言を誘発し、リズムを合わせるだけでも四苦八苦し たあのユニットはギター、ブズーキ、マンドリンだった。ほぼ同じ3本リズ ム・セクションでこ奴らは縦ノリ横ノリを自由自在に操っておるではないか!  

 そして、視覚的にその中心に居るのはキャシーという紅一点の指揮者! 

 また、その指揮者は時折想像以上に倍音の多い、音程の良いユーミンのような歌声で場内の空気を完全に支配した。音楽会というより、ショウとして完璧に完結している。アイリッシュ・ミュージックであることを忘れてしまうほどだ。  

 ライブ終了後、そんな彼らがわが field にやってきた! アルタンを迎えた時とも、ドーナル&アンディを迎えた時とも明らかに違ったのは、席について飲み物もそろっていない内に、皆もう自分の楽器を楽器ケースから取り出し始めたこと。ツアー最終日のステージがやっと終わった直後になんでスッとこういう動きになれるのだろう? ここで、私の脳裏をかすめたのは先月から持ち越しているお題、「ライブとセッションの微妙な関係」~「ライブとセッションは別物?」という問題だった。 

 ダーヴィッシュの field 訪問の詳細レポートは、field アイ研のホームページに譲るとして、ここでは彼らのセッションの楽しみ方を観察する。  

 とにかくいきなり彼らはセッションを始めた!! やはりチューニングは 半音高い!!  「うわ!ホンマに半音高いで!」 と感涙しながら自分のブズーキの糸巻きをキリキリ上げる。

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↑ダーヴィッシュのメンバーを交えてのセッション

 しばらくして、楽器持ってる人はみんな一緒にセッションしようということになり、いつものアイ研セッションメンバーが集まってくる。しか~し、チューニングを変えることができないフルートや微妙な調子の楽器を持っているフィドラーは半音違いのチューニングに戸惑うばかり。

 そんな時、マンドラのブライアン が 「チューン・ダウンしよう!」って言う。これにはちょっと驚いた。チューン・ダウンしたら、今度は彼らのフルートとアコーディオンが演奏できなくなるじゃないか! 

 なんと言うサービス精神。いや、もしかしたらこれはサービス精神なんかじゃないぞ、ととっさに思った。そこまでして、なるべく多くの人が参加できるような配慮。これがそもそもセッションというものなのかもしれないではないか!  

 ダーヴィッシュとのセッションはそのまま約2時間近く続いたが、あの職 人技の応酬のような完璧な音楽エンターテイメントを見せつけられた直後の このセッションという時間。それは確かに音楽であって音楽でない。この音 楽は人と人とのコミュニケーションの潤滑剤。つまり、セッションというのは音楽演奏の場ではなく、人と人とのコミュニケーションの場なのではないか? 

 これこそがセッションの目的なのだ。きっとそうだ!  

 もちろん彼らに確かめたわけではない。確かめたわけではないけれど、すでに、そんなことを尋ねたら「あたりまえじゃないか」という答えが返ってきそうな空気に満ちていた。少なくともこの夜の field には‥‥。

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↑ブズーキとバウロンに書かれたダーヴィッシュのサイン

*ダーヴィッシュのチューニングがなぜ半音高いのか? どなたか教えてください。

<洲崎一彦:大事なことを直接きくの忘れた大ボケのパブおやじ>



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