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9.ヤン・フォンシュ・ケメネさんのご来店

 現在、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていますが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。

 そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。

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 前回は、2002年日韓W杯のfieldセッションのお話をご紹介しましたが、今日は西フランス、ブルターニュ地方からいらっしゃったゲストのお話です──。(Irish PUB field 店長 佐藤)

↓前回の記事は、こちら↓

この瞬間に居合わせないなんて!何ともったいない事か (2002年10月)

 ヤン・フォンシュ・ケメネさん来日! ケメネールさんという表記が本当 らしいのですが、私らもっぱら「ケメネさん、ケメネさん」と勝手に呼んで ましたのでケメネさんで行きます。  

 誰やそれ?という方も多いと思います。私も実はそのクチでした。西フランス、ケルト圏ブルターニュの古い言語と音楽の研究者にして偉大なシンガー で、今回は日本ケルト学者会議のために来日されました。そしてこの日は京都・立命館大学での学会を前に field で交流会が開かれる事になったのです。

 私が認識していたのはこれだけだったので、まずはとりあえず field のセッション席側のエリアを全部予約席にして、一応マイクを2本セッティングして待つことにしました。どんなお客様が何人ぐらいでおいでになるか皆目見当もつかない少し不安な気分でした。  

 平日で、まだヒマな時間帯の午後7時半ごろ、ひょっこっとスキンヘッドの割には地味で小柄な外国人がやってきました。あ、ケメネさんだ! ここはニコニコ握手、握手。

ケメネ2

 彼は背中からリュックを降ろすとすぐにマイクの前に座り、何やらしきりに指示を出してきます。自分の足下を指さして、どうやらもう1本のマイクで靴音を録れという注文だったようで、すぐさまそのようにマイクをセッティングしました。そして、PAの電源を入れるか入れないかの内にもうマイクに向かって声を出しているのです。いきなりのPAチェックに戸惑いつつも、トーンの具合やエコーを調節し、床に向けた靴音マイクがハウリングしないようにギリギリの調整を冷や汗垂らしてやってると、調整はOKだからちょっと歌ってみるとの事です。  

 瞬間!  店内にいた数名のお客さんと field のスタッフは全員ケメネさんに釘付け状態。息をするのも忘れるほどの圧倒。日本で歌うのはこれが初めてだ、と言う彼の声がまさに初めて日本の空気を震わせた瞬間です。この空気は field の床を、壁を、天井を震わせてそこに居合わせた人間の心の奥の方をダイレクトに直撃しました。  

 交流会の予定時刻を過ぎてもあまりたくさんの人が集まってきません。関 係ない普通の飲み客がだんだん中央の席を埋めて行く中で、じゃあそろそろ やりましょうか!と、突然ケメネさんソロ・ステージの本番が始まりました。

 私はようやく「これはライブだと考えていいんだな」と判断し、夏の Irish Disco Party 時に仕込んだ色照明をONにし、モニターシステムで店内2箇所 のTVにステージの光景を映し出すことにしました。  

 赤と青の照明に浮かび上がった彼の上半身は両肩が波のようにうねり、床 を打つ靴のステップ音と深い歌声が店内に響き渡ります。決してPAのボリュームはそんなに上げていないのに、つまり、単に音が大きいというのではなく、店内が彼の声とステップに共鳴するのです。飲み騒ぐ体勢だった一般 のお客さん達の私語が少しづつ小さくなり、1曲終わった所で店中からどわっと拍手がわき起こります。  

 私は自分の店でのライブでこんな光景に初めて接しました。これは、もう、この音楽が好きだ嫌いだの次元ではありません。ジャンルがどうのケメネさんがどんな経歴の人間なのか等まったく関係ありません。このケメネさんというひとりのオッサンが全身から発するモノがとにかく圧倒的なのです。このように、2~3曲やって休憩歓談というペースでゆっくり時間は過ぎて行きました。  

 ここに、field セッション常連の若いフルート吹きとホイッスル吹きがやっ てきました。フルート吹きの方は常々ブルターニュの音楽に興味を持ってい る男です。もともとケメネさんの歌う歌は2人の掛け合いで歌うスタイルら しく、1フレーズの語尾を重ねて次の人が歌うのが普通なのでひとりでは息 が続かない、ということで、彼はその場でこのフルート吹きとホイッスル吹 きに口伝えでメロディーを教え始めました。

 奴らがヨタヨタながらも一応のメロディーを覚えた所でもう1本マイクを立ててステージ。突然、歌と笛の掛け合いが始まります。すべてが彼の魔法にかかったように進んで行くのです。  

↑ケメネさんが出演したフランスの放送局「France 3 Bretagne」の番組

 夜も更けて、店内も飲み客でほぼ満席に埋め尽くされてからは、彼は恐らく紳士的抑制でもってもうマイクの前には立たず、ステージ前の席でウイスキーを片手にくつろぎながら、取り巻く私たちの質問に丁寧に答え、踊りの話題になれば、自ら立ち上がってステップを踏んで見せてくれる。そして、 さらにまだ色々な歌を歌ってくれます。

 アイリッシュ・ソングまで披露してくれました。私たち1人1人の目を順番にじっと見据えながら歌われるこの濃密な空気。本当に息ができなくなるような震えが心の奥に飛び込んで来ます。実際に涙を流してしまった人もいました。

 最後の方では笛男2名が誘われ、猛烈な掛け合いのうねるようなリズムに私ももう我慢出来なくなって勝手にブズーキに手を伸ばして参加してしまいました。通訳の方と外国人のお客さんが3人で肩を組んで踊り始めます。  

 こ・こ・これこそがセッションだあ?!  

 残念なのは、普段 field セッションに出入りしている連中がこの日あまり顔を見せなかった事ですね。せっかく field に縁があるのに、この瞬間に居合わせないなんて!何ともったいない事か! 

 それとは逆に、偶然居合わせた飲み客の方々は、あれはいったい誰だったんだろう?と長くウワサにする事だと思います。  

 なんだか、しばし、忘れかけていた「本当に感動する」という感覚を呼び 起こされたような夜でした。今思い出しても夢の話を語っているような気分 で現実感が希薄です。  

 このような機会を与えていただいた永井道子さん、大城洋子さん、そして 何よりもヤン・フォンシュ・ケメネさんに深く感謝します。

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

※記事のヤン・フォンシュ・ケメネさんは、2019年3月に享年61歳でお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りします。(佐藤)

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↑fieldにある、タンバリンに書かれたケメネさんのサイン。

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