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8.ワールドカップとセッション

 現在、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていますが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。

 そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。

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 前回は、セッションのあり方に悶々とする洲崎に、まるで激励を飛ばすようなアイリッシュ・ミュージシャンたちとの出会いを書いた記事をご紹介しましたが、今回は全く別の意味で刺激的な出来事。2002年日韓W杯の時のfieldセッションのお話──。(Irish PUB field 店長 佐藤)

↓前回の記事は、こちら↓

fieldどたばたセッションの現場から 12 〜ワールド・カップ襲来!〜(2002年7月)

 最近、ずっとセッションの話題から脱線し、何かしら大げさな話題が続いていたので、今回はちょっと休憩という感じで、本来のセッション話です。というか、「ワールドカップとセッション」というようなテーマになりますか。  

 さて、告白すると、私はパブのおやじながら、普段からサッカーはあんまり詳しくないし、ワールドカップというものを全くといっていいほどちゃんと認識していなかった!  

「日本での開幕戦がアイルランド戦? ふーん」  

 てなもんだった。

 よそのパブでは、整理券まで出して「さあ!みんなでアイルランドを応援しよう!」イベントをやってるなんてことも知らず、3時半キックオフのアイルランド戦の存在は知りつつも、いつものように5時に店を開けた。ん?なぜかいつもより外国人、それも観光客風が多いなあ・・。とか何とか言いつつ店内TVでは一応ワールドカップを流した。ご丁寧に音声は消して、BGMはいつも通りのアイリッシュ・ミュージック。  

 そうやって何日か過ぎた頃、とある日曜日の日本戦にあわせて、営業しているか?という問い合わせ電話がバンバン鳴りだしたのだった。え、世間はそんな具合になってるの?って初めてあわててワールドカップ体制に頭を切り換えたのだった。細長い店内に1台だったTVを一挙に4台に増やして、TVが見えない席がないようにした。外国人客の多い時はスカパーの音声設定を英語放送にした。

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↑セッションをいつもする席のTV。最近ではラグビーW杯で盛り上がりました。

 にわかに勉強して対戦表を貼り出したり、午後のキックオフがある時は3時開店にして、定休日の日曜日も開けた。開幕から2週目ぐらいで、やっと、わがパブも世間に追いついたかのような観があった。  

 で、問題のセッションである。最近fieldはセッションは週に3回もあり、これが午後9時からだから、ワールドカップの夜の試合8時半キックオフとまともにぷつかるのだ。いつものセッション席には 臨時TVを設置したので常に誰かが観戦してる。また、セッションしに来る人々は往々にしてあまりサッカーに興味がない。おまけに、はじめからワールドカップじゃなくて、セッション目当てのお客さんも少数だがおいでになる。その場になって「今日はセッション中止」とも言えない空気なのだ。それで、集まったセッション・メンバーには、まずは、奥のギャラリールームに待機してもらって(この部屋にもTVが設置されたのだが)他のお客さんのようすを見ながら音を出しましょう、ということにした。

 というのは、ある夜のこと、奥の部屋から聞こえてくる楽器の音を、音楽と間違えて、カウンターでイングランド戦を観戦していた外国人のお客さんが「あの、音楽を消してくれ」とクレームをつけて来たりしたこともあったからだ。  

 そして、あれは、韓国vsイタリア戦の夜だった。TV観戦のお客さんもそれほど多くなく、奥の部屋にはセッション陣しかいなかったので、時間通 りにセッションを開始した。時々、TVを指さして「あ!トッティ!」と声を上げる奴もいれば、「誰それ?」という奴もいる。演奏しながらも横目でTVをにらんでいる奴もいれば、目をつぷって演奏に没頭している奴もいるという何とも雰囲気の定まらないセッションなのだった。  

 一方、この 韓国vsイタリア戦は0-1のまま緊張感のある試合を繰り広げていたが、後半終了間近に韓国が1点入れて同点に追いついた! 

 気がつくと、この時はみんな楽器を持つ手を止めて、TVに釘付け状態。そして、試合は後半戦が終わり1-1の同点のまま延長戦が行われるというではないか。

 よっしゃ、11時にはちょっと早いけど、この間にラストチューンをしよう!とい うことになって、バタバタとチューンを回す。いつもより早いセッション終了で、正真正銘サッカーにまるで興味のない2~3人を残して、あとは、思い思いのTVの見やすい席へと散って行ってしまったのだった。さて、このお話をみなさんどのように見るだろうか?  

 「そこまでして、セッションしなくてもいいんじゃない?」という意見もあれば、  

 「一応セッションを聴きに来たお客さんも居たのなら、もっとまじめにしなきゃ」 という意見もあるだろう。

また、「店側の方針をもっとキチンとすべきだ」 というような意見もあるかもしれない。

 ただ、そういう厳しいご意見に対する言い訳になるのかもしれないのだが、このワールドカップ期間中の一連のドタバタ・セッションで私が強く感じたのは、実は、われわれのセッションのいい加減さがかもし出すえも言えぬ心地よさだったのだ。ワールドカップという空気の非日常感が対比となって、われわれにとってセッションがなんと当たり前に日常的なものであったかを思い知らされたのだ。  

 もちろん、セッションで演奏される音楽の質や、セッションが中心となったパブ全体の空気を支配する盛り上がりというのは重要な問題だ。だが、こういう場が、日常あたりまえの場になっている現実も、数年前の自分自身や店の環境を思うにつれ、これはもの凄い事実ではないかと思うわけなのだった。  

 すんません。今回はちょっと自賛風にまとまってしまいました。

<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>

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