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第4回 染織祭調査3 洋画家・太田喜二郎が描いた「染織祭の感想」調査



1. はじめに

 今回は国立国会図書館デジタルコレクションを利用した調査で新たに分かったことのうち、染織祭を扱った絵画について調べていきます。大正から昭和にかけて京都の洋画壇をけん引した洋画家、太田喜二郎が染織祭の様子を描いた「染織祭の感想」について、下記表③を中心に調査を行いました。

染織祭調査で新たに判明したこと


2. 太田喜二郎とは

 太田喜二郎(以下、太田氏)は1883年に京都・西陣の織物商の家に生まれました。1903年には東京美術学校西洋画科に入学し、1908年にはベルギーへ留学、画家エミール・クラウスに師事し、印象派の技法を学びました。帰国後、国内の展覧会で受賞を重ね、京都市立絵画専門学校などの美術学校で講師として指導を行いました。また、明治神宮外苑聖徳記念絵画館の「黄海海戦」の壁画を描いた他、様々な展覧会の委員を務めていました。黒田清輝、神坂雪佳や与謝野晶子など多様な著名人と交流があったことでも知られています。
 昭和9年、太田氏は自身が出品選考委員を務めた大礼記念京都美術館美術展(昭和9年5月1日~25日)において「染織祭の感想」を出品しました。

画像:太田喜二郎「染織祭の感想」
(画像引用:芸艸堂 編『大礼記念京都美術館美術展覧会図録』,芸艸堂,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688543 印刷後スキャンして作成 )
画像:大礼記念京都美術館美術展覧会図録目次
(画像引用:芸艸堂 編『大礼記念京都美術館美術展覧会図録』,芸艸堂,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688543 印刷後拡大撮影して作成 )


 「染織祭の感想」で描かれている中央と右の女性が身に着けているのは、おそらく上古の時代衣装、中央より左、後方に立つ女性が身に着けているのは鎌倉の時代衣装です。後景に描かれているのは時代行列の観覧に訪れた人々でしょうか。現在当協会で染織祭を描いた絵画作品について確認できているのは、歴史画を専門とする画家であり、染織祭衣装制作の時代考証に携わった人物のひとりである猪飼嘯谷の「歴代女装図」のみです。

画像:「染織祭行列・上古時代 機殿参進の織女」絵葉書(京都染織文化協会蔵)
画像:猪飼嘯谷筆 本紙「上古 機殿参進の織女」(京都染織文化協会蔵)

 「染織祭の感想」を確認できれば、染織祭を扱った作品として2例目かつ初の洋画作品であるということから、染織祭の貴重な手がかりになるのではないかと考えました。今回の流れとしては、このようになっています。


3. 調査方法について

 太田氏の「染織祭の感想」は現存しているのか、もし現存していた場合は現在どこにある可能性があるのかを調べるため、太田氏についても前回同様国立国会図書館デジタルコレクション(以下、デジタルコレクション)等から検索し調査を行いました。
また太田氏について研究を行っている京都文化博物館 植田彩芳子主任学芸員(以下、植田学芸員)にご協力を仰ぎ、調査についてご助言頂いた他、太田喜二郎旧蔵資料の1000点以上の作品、スケッチを写した写真データ(以下、「太田氏遺作物」)を拝見させていただくことができました。

4. 本調査

 2023年10月27日、協会職員2名と染織祭調査にご協力いただいている北野裕子先生(龍谷大学非常勤講師)の合計3名で京都文化博物館 植田学芸員のもとへお伺いし、太田氏遺作物を拝見しました。
膨大な数に圧倒されつつも1000点以上の写真から「染織祭の感想」の手がかりを探しましたが、「染織祭の感想」とそれに準ずる絵画、スケッチを見つけることはできませんでした。
 しかし、祇園祭の様子を描いた絵や、やすらい花と思われる女性の絵の他にも機織りの風景を描いた作品など、染織や祭りの光景を描いた作品を数点確認することができました。

太田氏遺作物の中で染織や祭りに関わりのある確認できた絵画
(太田喜二郎旧蔵資料より)

 植田学芸員曰く、太田氏の当時の日記(昭和9年)によると、実業家の野村徳七氏(以下、野村氏)の秘書が太田氏のもとを訪れ、その日記には続けて「美術館展出品画代金」と書かれていたそうです。太田氏はこの年の4月8日に染織祭を見物し「染織祭の感想」に着手、5月1日から始まる美術展覧会に出品しており、「染織祭の感想」を野村氏が購入した可能性があるそうです。
 植田学芸員を通して野村美術館に「染織祭の感想」の現在の行方についてご存じないかをお伺いしましたが、野村氏が所有した記録は見つからず、所有していたとしても、昭和20年に戦災にあった棲宜荘ごと焼失してしまったのではないかとのことでした。
 また、「染織祭の感想」は、デジタルコレクション内の調査では出品された展覧会図録以降見つかっていません。


5. 仮説

 もし仮に焼失していないとすると絵画はどこにあるのでしょうか。仮説を2つたてて、考えてみました。

 ①染織祭に携わった有力関係者のもとに渡った可能性
 ②野村氏のもとに一度あったが、その後別の人の手に渡った可能性

 ①は、日記にあった「美術館展出品画代金」は「染織祭の感想」を指しているのではなく野村氏は別の作品を購入し、「染織祭の感想」自体は染織祭に携わった有力関係者、もしくは太田氏の生まれである西陣の関係者に譲られている可能性です。
 出品目録には「売価」が記載されているものが多いですが、太田氏が出品したこの絵には売価の記載がありませんでした。最初から出品後の行き先が決まっていた、もしくは売るつもりがなかったのではないでしょうか。また、図録にはこの展覧会で京都市が購入した作品の一覧が掲載されていましたが、そこに「染織祭の感想」はありませんでした。
 そのような中で何故染織祭と特に関わりのない野村氏がこの絵画を購入したのか想像がつかないため、別の絵画を購入したのではないかと考えました。野村美術館には染織祭とは関係ありませんが、太田氏の絵巻があるそうです。
 ②は、野村氏が一度太田氏より「染織祭の感想」を購入し、その後別の人物の手に渡っている可能性です。「染織祭の感想」が描かれてから、焼失したのではと考えられる棲宜荘での戦災まで約10年間、その間に他者に渡っている可能性はないか、野村氏、太田氏両方の交友関係などから探すことはできないかと考えています。


6. まとめ

 「染織祭の感想」の現在の行方について最も有力な説は「野村氏によって購入、その後昭和20年の戦災により焼失」ですが、前述した仮説①のように染織祭と関わりの無い野村氏がなぜ「染織祭の感想」を購入したのかという疑問も残っています。
 これからも継続して「染織祭の感想」についての情報収集を行ってまいります。
 調査にご協力いただきました京都府京都文化博物館 植田彩芳子主任学芸員におかれましては深く感謝申し上げます。


7. お願い

 太田喜二郎作「染織祭の感想」について、もし何らかの情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、よろしければ下記当協会ホームページのお問い合わせフォームより情報をいただけたら幸いです。その他、染織祭にまつわる手がかりに心当たりのある方も是非、情報をお待ちしております。


8. 参考・引用文献

・芸艸堂 編『大礼記念京都美術館美術展覧会図録』,芸艸堂,昭和9. 国立国会 図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688543 (参照 2023-11-28)
・「近代文化人ネットワーク 太田喜二郎の周辺」令和3年, 京都大学人文科学研究所みやこの学術資源研究・活用プロジェクト発行
・太田喜二郎 日記(昭和9年) 


・今回調査に利用したサービス
 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

・調査協力
 京都府京都文化博物館
 学芸課 主任学芸員 植田彩芳子様